グレートブリテン島の北15kmほどに浮かぶオークニー諸島に残る西ヨーロッパで最重要とされる新石器時代の遺跡で、巨大なメガリス(巨石記念物)やマウンド(墳丘・墳丘墓)が古代の神秘的な文化的景観を描き出している。構成資産はメイズハウ、ストーンズ・オブ・ステネス、リング・オブ・ブロッガー、スカラ・ブレイの4件で、2015年にバッファー・ゾーンが拡大されている。
4件の構成資産は外洋に面した西のスカラ・ブレイと、ステネス湖とハリー湖の畔に位置するメインランドの3件の2グループに分けられる。メインランドのストーンズ・オブ・ステネスとリング・オブ・ブロッガーは直線で結ばれており、周辺からは多数の遺跡が発掘されている。これらは視覚的に接続されたものであるだけでなく、オークニー諸島全域に広がる他のモニュメントとリンクしているものと考えられている。いずれも北西ヨーロッパで紀元前4000年以前から行われていた農業文化の遺産であり、当時の生活スタイルや宗教観・科学的成果を集大成したものとなっている。
メイズハウは紀元前2800年頃に築かれた直径35m・高さ7mの半球形のマウンドで、玄室(棺を納める部屋)への通路=羨道を持つ羨道墳となっている。羨道は全長11mで、中央の4.6m四方の玄室に続いており、玄室の棺に遺体が収められていたことから宗教と関係した葬祭遺跡と考えられている。羨道の方向は冬至の日没に太陽光が玄室を照らし出すように計算されていた。
ストーンズ・オブ・ステネスは紀元前3000頃に築かれたストーン・サークルを中心とするヘンジ(円形の遺跡)で、幅6m・深さ2.3mの土手と溝に囲まれた聖域に、12基のメンヒル(立石)が直径約32mの楕円形に配されている。石は先端が尖った歯のような形状で、大きなものは高さ5.7mに及ぶ。北の土手の外にはウォッチ・ストーンが置かれており、その延長線上1.5kmほどにリング・オブ・ブロッガーが立っている。ストーン・サークルの目的はわかっていないが、なんらかの儀式や天体観測用の施設と考えられている。世界遺産には含まれていないが、周囲では住居跡であるバーン・ハウスやネス・オブ・ブロガーをはじめ数多くの遺跡が発掘されている。特にバーン・ハウスは紀元前3000年以前からの入植地で、スカラ・ブレイと似た住居跡が出土している。
リング・オブ・ブロッガーは幅5〜6m・深さ3mの土手と溝に囲まれた紀元前2500~前2000年頃のヘンジで、中心となる直径104mのストーン・サークルにはもともと60基のメンヒルが立っていたが、36基のみ現存している。これらをプラムケーキ・マウンドやサウス・マウンドなど13基のマウンドが取り囲む遺跡コンプレックスとなっている。
スカラ・ブレイは新石器時代のものとしては類を見ないほど保存状態がよい住居跡で、紀元前3100~前2500年の約600年にわたって使用されていた。当時の海岸線は現在より遠方にあり、貝塚に隣接して築かれていた。屋根を除いて石造で、石のベッドや棚・椅子・暖炉といった家具が残されており、トイレや排水設備も調っていた。陶器や火打石、穀物の種、動物や魚介類の骨、ビーズ(石・骨・貝・木などで作られた管状・玉状の飾り玉)の装飾品なども出土しており、穀物栽培やウシやヒツジの放牧、釣りなどをしていた当時の生活の様子を伝えている。
4件の構成資産の完成度は高く独創性に満ちて非常に洗練されており、人間の創造的な才能を示す傑作である。
オークニー諸島の新石器時代の主要なモニュメントはグレートブリテン島やアイルランド島を中心とするブリテン諸島や北西ヨーロッパの祭祀遺跡と共通点があり、人類の価値の重要な交流を示している。
主要なモニュメントは祭祀や葬祭関係、あるいは私的なモニュメントの組み合わせで、紀元前3000~前2000年ほどに栄えた文化に関するユニークな証拠を提示している。特にスカラ・ブレイの保存状態は北ヨーロッパの新石器時代の住居跡の中でも類を見ない。
主要なモニュメントは人類史において巨大な祭祀用モニュメントを建設した最初期の重要な段階を示す建築アンサンブルであり、考古学的景観の際立った例である。
顕著な普遍的価値を示すすべての要素が資産に含まれているが、境界線はタイトで資産の価値をサポートする遺跡や背景を提供する景観は含まれていない。こうした景観は漸進的に進む変化に対して脆弱である。モニュメントに対する物理的な脅威としては、訪問者の足踏みや海岸侵食が挙げられる。
主要なモニュメントの真正性は高いレベルで維持されている。特にスカラ・ブレイの保存状態は北ヨーロッパの先史時代の住居跡としては他に例がない。初期の発掘で一部が失われたり再建されたものもあるが、それを特定して本来の姿を理解する十分な情報がある。
メイズハウにおける発掘は基本的に古物学的で考古学的だった。モニュメントの大半は本来の場所にあり、羨道は冬至の日没の方向に設定されていた。ストーンズ・オブ・ステネスやリング・オブ・ブロッガーにおける倒れた石や前者のドルメンの再建は19~20世紀初頭に行われ、現在の形になった。その大部分がもともとの位置にあることは古物学的な研究で証明されている。
中央西部のメインランドのモニュメントは田園風景の中に威圧的な特徴を維持したままたたずんでいる。その形状とデザインはよく保存されており、訪問者はその場所・配置・他の遺跡や資産外の現代的モニュメントとの関係、さらには地理学的環境を容易に理解することができる。広範囲にわたるトポグラフィックな景観は資産に対する現代的な知見を定義するのに役立ち、モニュメントが開発・使用された理由と密接に関連している。