ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園

Studley Royal Park including the Ruins of Fountains Abbey

  • イギリス
  • 登録年:1986年、2012年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:310ha
  • バッファー・ゾーン:1,622ha
イギリス式庭園にたたずむ世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、ファウンティンズ修道院遺跡
イギリス式庭園にたたずむ世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、ファウンティンズ修道院遺跡 (C) Michael D Beckwith
世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、ファウンティンズ修道院の身廊部
世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、ファウンティンズ修道院の修道院教会の身廊部
世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、セント・メアリー教会
世界遺産「ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園」、セント・メアリー教会 (C) Rosser1954

■世界遺産概要

イングランド北部ノース・ヨークシャー州のリポンに位置する山水風景と教会や城館、修道院の廃墟が見事に調和したイギリス式庭園の傑作。なお、本遺産は2012年の軽微な変更でバッファー・ゾーンを拡大している。

○資産の歴史

1132年、ヨークのセント・メアリー修道院から13人のベネディクト会修道士がスケル川の風光明媚な谷に移り住み、ファウンテンズ修道院を創設した。この頃の教会堂は木造だったと見られる。まもなくシトー会に参加し、イングランドで2番目となるシトー会の修道院となり、修道士士ジョフロア・デナイの下で教会堂をはじめとする施設の建設が進められた。

中心となる教会堂は1170年頃に完成した。全長91mにもなる巨大な建物だが、清貧を旨とするシトー会の教会らしく華美な装飾はなく、フランス・フォントネーのシトー会修道院(世界遺産)とよく似た構造で、重厚なノルマン・ロマネスク様式の影響も見られる。東端に位置する九祭壇の礼拝堂の天井には尖頭アーチがあり、異なる様式が加えられている。13世紀には周囲を石垣で囲われ、16世紀には高さ49mに及ぶ鐘が増築された。

イギリスにおけるシトー会の修道活動の拠点として繁栄したが、16世紀にイングランド王ヘンリー8世がローマ・カトリックと袂を分かち、修道院解散令で修道院の解散と財産の押収を命じると修道院は1539年に接収され放棄された。

1693年、ジョン・エイズラビーはスタッドリーの土地を相続。国会議員として活躍したがやがて議会から追放されると、1718年に開始した庭園の建設に専念する。1742年に亡くなると息子ウィリアムが引き継ぎ、ファウンテンズ修道院跡を買い上げて庭園を拡張した。

それまでの庭園はシンメトリー(対称)と幾何学的な平面プランを基本とする整形庭園だが、18世紀のイギリスでは自然回帰の思想(ピクチャレスク運動)が広がり、自然そのままの造形が愛された。ウィリアムはこの思想を取り入れ、川や池泉・田園・森林を自然に見えるように配して見事な景観を作り上げた。この時代のイギリスの風景式庭園(非対称・不均衡・曲線を特徴とする自然を模した庭園)をイギリス式庭園という。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は2件だが、1件(コンポーネント2)はファウンティンズ修道院遺跡の近くにわずかな飛び地があるにすぎない。メインとなるコンポーネント1は南東のファウンティンズ・ホール、ファウンティンズ修道院遺跡から北東の鹿公園へ展開している。

ファウンティンズ修道院遺跡は1132~1539年まで活動していたシトー会の修道院の遺跡で、16世紀に放棄されて廃墟となった。中心となる遺跡は修道院教会で、当初は木造教会堂だったが1170年頃にノルマン・ロマネスク様式の石造教会堂に建て替えられたと考えられている。教会堂は全長約90mの「†」形のラテン十字形・三廊式(凸形で中央の身廊、両側の側廊の3つの空間からなる様式)で、身廊の列柱やアーチ群、西ファサードやアプス(後陣)の壁の一部が残されている。修道院教会の北には高さ49mの鐘楼が立っており、南には回廊や僧院といった施設が立ち並んでいる。

修道院の西にたたずむファウンティンズ・ホールはスティーブン ・プロクターの設計で1598~1604年にルネサンス様式(ジャコビアン様式)で建設された。当時修道院は採石場となっており、この建物も修道院の石材が再利用されている。内部は20世紀に改装されており、ホールや宿泊施設として現在も利用されている。

修道院遺跡の東からスケル川が伸びており、美しい水景が展開している。苔むしたラスティック橋から北はウオーター・ガーデンで、直線状の運河、円と三角形の池を並べたムーン池群が展開し、周辺の森にはギリシア神殿を模したグリーク・リバイバル様式のフェイム神殿やパイエティ神殿、ノルマン・リバイバル様式のオクタゴン・タワー、ネオ・パッラーディオ様式のミニ・バンケッティング・ハウスなどがたたずんでいる。

フィッシング・パビリオンと堰の北にはスタッドリー湖とシカ公園が広がっている。中世のシカ公園は周囲の森から柵や斜面で仕切られており、野生の鹿は中に入れはするが出られない仕掛けが施されていた。現在、シカ公園にはアカシカ、ダマジカ、エゾシカの3種が生息している。

シカ公園の西端にたたずんでいるセント・メアリー教会だ。ウィリアム・バージェスの設計で1871~78年に建設されたゴシック・リバイバル様式の教会堂で、誘拐し殺害された犠牲者の遺族が未使用に終わった身代金を寄付して建設された。内部はステンドグラスをはじめヴィクトリア朝期の見事な装飾で彩られている。周辺にはゴシック・リバイバル様式のコリスターズ・ハウスや古代エジプトのオベリスクが立っている。

■構成資産

○ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園(コンポーネント1)

○コンポーネント2

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

この遺産の独創的で印象的な美しさは、イギリス最大を誇る中世の遺跡に人間が設計した自然の風景が見事に調和していることに起因する。これらはウオーター・ガーデンの設計とともに人間の創造的な才能を示す真の傑作である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

修道院遺跡やファウンテンズ・ホール、セント・メアリー教会、ウオーター・ガーデン、シカ公園といったすぐれた建造物があり、それらが調和して見事な景観を描いている。ファウンティンズ修道院は中世の修道院の活動、スタッドリー王立公園は18世紀のヨーロッパ上流社会のスタイルと富を伝えている。

■完全性

ウィリアム・エイズラビーが所有していた時代に最盛期を迎えたスタッドリー王立公園はほぼ手付かずで残る18世紀後半の数少ない庭園のひとつであり、景観を構成する要素は所有者が変わってもほとんど変わっていない。それぞれの所有者はもともとのデザインを尊重しつつ、わずかに強化を図った。しかし、それでも管理不足によって多くの特徴が失われ、本来の形で残る部分は少なくなった。18世紀後半に劣化した建物や景観は排除され、土地の一部が売却された。こうした困難にもかかわらず、顕著な普遍的価値を示す要素はいまでも明白である。

20世紀後半にナショナル・トラスト(イギリスの歴史ある自然・文化保護団体)の管理となり、一部はイングリッシュ・ヘリテッジ(イギリス政府が設立したイングランドの歴史遺産を管理する組織)が管理しており、法的な保護も受けている。ただ、資産の境界は庭園の範囲ではなくナショナル・トラストの所有権の領域にほぼ沿っているため、いくつかの重要な要素は資産の外にある。景観の変化に対して脆弱であるが、2012年に設定された広いバッファー・ゾーンが完全性を補完している。

■真正性

全体として資産は18世紀の景観の特徴を示す形状・デザイン・素材・機能・位置に関して高い真正性を保持している。しかし、他の多くの文化遺産、特に公園や庭園といった有機的に変化するものと同様に、スタッドリー王立公園の景観は構造とデザイン両面において1781年の発足時から継続的に変化し、成熟期を迎え、修復され、劣化し、崩壊している。植物の生育や気候・開発は景観に対してポジティブ・ネガティブ両面で物理的構造に変化を与える可能性がある。

これまで資産の顕著な普遍的価値を維持するために必要な多くの保全作業が行われてきた。庭園や建築物・遺跡に対する作業は徹底的な調査に基づいて適切に行われており、記録として残されている。ファウンテンズ・ホールや守衛小屋、水車小屋は訪問者のために慎重に再利用されており、ウオーター・ガーデンは洪水などの気候や天気の影響を受けているが現代の技術を用いるなどして外観を変えずに対処している。

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