イングランド中部オックスフォードシャーのウッドストックに位置し、イギリスのカントリーハウスの中で唯一「パレス」の名を冠している。庭園は自然を模したイギリス式庭園の傑作として名高く、イギリス・バロックの宮殿と自然の景観との見事な調和から「自然主義のヴェルサイユ」の異名を持つ。
1701~14年、スペイン王位を引き継ごうとしていたフランス・ブルボン家に対し、イングランド、ネーデルラント、神聖ローマ帝国、プロイセンといった国々が反対してスペイン継承戦争が戦われた。現在のオランダ、ドイツ、イタリアなどが戦場となったが、ドイツ戦線では1704年8月13日、ブレナム(ブレンハイム)の戦いでイギリスの総司令官であるマールバラ公ジョン・チャーチルがフランス=バイエルン連合軍に大勝を収めて戦いの行方を決定付けた。
この戦功に対してイングランドのアン女王はオックスフォードの北西13kmほどに広がるウッドストックの領地を与えた。さらに議会から資金の援助を受けると1705~22年にかけて宮殿が建設され、戦勝を記念して「ブレナム」の名が付けられた。イギリスでは貴族の領地における本邸は「カントリーハウス "country house"」と呼ばれ、国王の住居である「宮殿 "palace"」と区別されるが、ブレナム宮殿は王室以外で唯一 "palace" が許された。
ブレナム宮殿の設計は建築家ジョン・ヴァンブラが担当し、ニコラス・ホークスムーアが協力を行った。フランスのヴェルサイユ宮殿(世界遺産)を模して重厚なバロック様式が採用され、イギリス初のバロック建築(イギリス・バロック様式)となった。南北のファサードには巨大なポルティコ(列柱廊玄関)が取り付けられ、南ファサードの頂部にはフランスから持ち帰った勝利のトロフィーとルイ14世の胸像を設置して戦勝を讃えた。この宮殿でウィンストン・チャーチルが生まれたことでも有名だ。
ブレナム宮殿の名を高めているのが庭園だ。粗野・不規則・変化に富む自然の造形に回帰し、絵画的な美を重視する18世紀のピクチャレスク運動の影響を受け、ヴェルサイユ庭園のような幾何学式庭園(土地を整然と区切った整形庭園)ではなく、自然を模したロマン主義的な風景式庭園(イギリス式庭園)が取り入れられた。造園家ヘンリー・ワイズは池や沼・湿地を造って自然の風景を再現し、宮殿の正面にグランド・ブリッジと呼ばれる巨大な橋を架けて宮殿と接続した。
18世紀後半にはランドスケープ・アーキテクト(景観設計家)であるランスロット・「ケイパビリティ(将来性)」・ブラウンが林や丘を増築して自然の要素を強化し、グライム川をせき止めてクイーン・プールとグレート・レイクふたつの池を造り、グランド・カスケード(カスケードは階段状の連滝)や運河を加えて巨大な水域を整備した。壮大な宮殿と自然な景観の調和から「自然主義のヴェルサイユ」と称賛され、イギリスの風景の縮図と讃えられて大いに愛された。この時代にウィリアム・チェンバーズによるゴシック・リバイバル様式のダイアナ神殿や、ジョン・イェンによるローマン・リバイバル様式のヘルス神殿などが築かれている。
20世紀はじめには造園家アシル・デュシェーヌが宮殿にフランス・バロック様式の幾何学式庭園を造園した。これにより美しい自然景観の中に荘厳な宮殿が浮かぶ現在見られる景色が完成した。
世界遺産の資産は、南東のブラドンの町の手前からブレナム宮殿を経て北西端まで約4.5km、北東のウッドストックの町の手前から南西へ約2kmの範囲で、ほとんどがイギリス式庭園となっている。
ブレナム宮殿の本館はジョン・ヴァンブラの設計で1705~22年にかけて建設されたイギリス・バロックを代表する宮殿だ。本館は「円」字形で、ふたつの中庭と、両手を広げたような東翼と西翼に挟まれたグレート・コートを持ち、4隅に4基の塔が据えられている。メインとなる北ファサードとグレート・コートは重厚なバロック空間で、ポルティコに見られるコリント式の円柱や角柱、レリーフを内蔵したペディメント(三角形の破風部分)、頂部に並べられた彫刻、左右のコロネード(水平の梁で連結された列柱廊)と、フランスのヴェルサイユ宮殿やバチカンのサン・ピエトロ大聖堂(世界遺産)を彷彿させる造りとなっている。南ファサードも同様のポルティコが見られ、頂部に戦勝記念であるルイ14世の大理石製の胸像とトロフィーが掲げられている。内部には200を超える部屋があり、グレート・ホールには画家ジェームズ・ソーンヒルによるブレナムの戦いの天井画、サロンには画家ルイス・ラゲールによる神の加護を受けるマールバラ公の天井画が掲げられており、宮殿の来歴を物語っている。全長56mを誇る図書館はニコラス・ホークスムーアの設計で、図書や文書だけでなく美術コレクションなども収められた。宮殿礼拝堂はチャーチル家の墓所でもあり、ジョン・チャーチルをはじめ歴代のマールバラ公の棺が収められている。
宮殿の北東のイタリアン・ガーデン、南西のウォーター・テラスはいずれもアシル・デュシェーヌが設計した幾何学的な構成を持つ整形庭園で噴水が見所となっている。庭園の南にはサウス・ローンと呼ばれる芝生が広がっており、東にジョン・イェン設計のヘルス神殿のあるシークレット・ガーデン、西にウィリアム・チェンバーズ設計のダイアナ神殿のあるローズ・ガーデンというイギリス式庭園が広がっている。南西のローズ・ガーデンの先、ボスコ(樹林)を越えるとグライム川が流れており、グランド・カスケードが流れ落ちている。逆に南東には石壁で囲まれた整形庭園であるプレジャー・ガーデンがあり、迷路になっているマールボロ迷園などで知られる。プレジャー・ガーデンから宮殿へはミニ鉄道が走っている。
宮殿の北にはクイーン・プール、西にはグレート・レイクというランスロット・ブラウンがグライム川の流れをせき止めて築いたふたつの池が広がっており、間にヴァンブラ設計のグランド・ブリッジが架かっている。グランド・ブリッジの先は広大なブレナム・パークで、中央にヘンリー・ハーバート設計で高さ41mを誇る勝利の柱が立っている。
フランスの古典主義を否定し、感性に重きを置いて自然を愛するロマン主義の動きの嚆矢となる作品で、18~19世紀にかけてブレナム宮殿の建築と空間構成はイギリスから世界へ広がった。
国家的英雄の栄誉を記念して築かれたマールバラ公の故郷となる宮殿で、イギリスの貴族社会とカントリーハウスを代表する遺産である。同時に、ドイツの世界遺産「ブリュールのアウグストゥスブルク城とファルケンルスト」や「ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場」と並び、18世紀のヨーロッパを代表する貴族の邸宅である。
資産は18世紀に築かれた乾式の石垣に囲われており、全域が登録されていて法的保護も受けている。壁の内部の主要な建物のレイアウトは建設以来変更されておらず、庭園の全体的な構成もヴァンブラとブラウンが設定した通りだ。もともと建物と庭園はローマ時代初期および中世の景観の上に設計されたが、ヴァンブラとブラウンの風景を通してもまだ確認することができる。所有者による景観や建物への影響は現在まで続いているが、これらは資産の顕著な普遍的価値を損なうものではない。
庭園には重要な古木があり、病気や寿命で標本木のいくらかが失われたが、可能な限り同じ種を再移植された。気候変動と干ばつのため、庭園の景観を保護するために使用される種の組み合わせを調整する必要がある。
資産の完全性は石垣によって十分保護されているが、門や庭園の建物・周囲の村の建物と景観の間には重要な視覚的リンクが存在し、これらが保護されるよう十分注意する必要がある。
バロック様式の宮殿と庭園の全体的な関係は明確に整理されており、20世紀初頭の景観の変化にもかかわらず、この資産の顕著な普遍的価値は容易に確認できる。宮殿と庭園の形状とデザインはうまく引き継がれており、外観および建具や調度品についても高い割合でオリジナルが伝わっている。