カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群

18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex

  • イタリア
  • 登録年:1997年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)
  • 資産面積:87.37ha
  • バッファー・ゾーン:110.76ha
世界遺産「カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、カゼルタ王宮と運河
世界遺産「カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、カゼルタ王宮と運河
世界遺産「カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ディアナの噴水
世界遺産「カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ディアナの噴水
水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ヴァンヴィテッリの水道橋
水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ヴァンヴィテッリの水道橋 (C) Kris De Curtis
水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ベルヴェデーレ宮殿
水道橋とサン・レウチョ邸宅群」、ベルヴェデーレ宮殿 (C) Lucamato

■世界遺産概要

ナポリ王国の首都ナポリ郊外に築かれたスペイン・ブルボン家の王宮とバロック様式の広大な庭園を中心に、庭園に水を引く水路と水道橋、そして絹糸や絹織物を生産するための工場・邸宅等の産業地区をまとめた世界遺産。

○資産の歴史と内容

1700年、ルイ14世の孫でフランス・ブルボン家のフェリペ5世がスペイン王位に就く。ブルボン家の進出に対してイギリス、オランダ、オーストリアなどが反発してスペイン継承戦争が起こるが、最終的に王位は認められてスペイン・ブルボン朝がはじまった。ポーランド継承戦争(1733~35年)でスペインはシチリア島やナポリを攻略し、1734~35年にかけてフェリペ5世の息子カルロスがナポリ王カルロ7世、シチリア王カルロ3世として即位した。

カルロ7世は本家であるフランス・ブルボン家への対抗心が強く、ナポリ郊外にヴェルサイユ宮殿(世界遺産)を凌駕する新宮殿の建設を決意。ローマで名を馳せていたバロック・ロココの建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリに設計を依頼し、1752年に建設がはじまった。カルロ7世は1759年にカルロス3世としてスペイン王に就いてナポリを去り、3男フェルディナンド4世(後の両シチリア王フェルディナンド1世)の治世の1780年にようやく使用がはじまり、王宮はナポリ王宮(レアーレ宮殿。世界遺産)から移された(完成は1845年)。

宮殿はヴェルサイユ宮殿にならって海からの砲撃や内乱を避けるために郊外のカゼルタに築かれた。本館は平面249×184m・高さ36mの田の字形5階建ての壮大なバロック様式のコートハウス(中庭を持つ建物)で、約1,200の部屋と34の階段を有している。王の住居にとどまらず、スペインのエル・エスコリアルの王宮を参考に行政機能も集約され、官邸としての機能も併せ持っていた。正面の楕円形のパレード(前庭。カルロ3世広場)から一直線に専用道路(カルロ3世・ディ・ボルボーネ通り)を走らせてナポリ市内へのアクセスも確保した。

北に広がる広大な公園は全長3kmに及ぶバロック庭園で、サン・レウチョの丘の大噴水からダイアナ、アクタイオンの噴水へ高低差150mの滝を下り、長い運河を経て宮殿前の平面幾何学式庭園へ続いている。その間にマルゲリータ、エオロ、セレスなど数々の噴水や池・彫刻が配されているが、これらはロシアのペテルゴフ宮殿(世界遺産)を参考にしているといわれる。北東には自然そのままの風景式庭園(イギリス式庭園)であるイギリス庭園も設置されている。

こうした公園の水は38km離れたフィッゾの水源から6つの山と3つの水道橋を有するカロリーノの水路によって運ばれている。有名なヴァンヴィテッリの水道橋は全長528m・最大高60mで、ローマ時代の水道橋を参考に3層のアーチで築かれている。水路は王宮の公園だけでなく、サン・レウチョの邸宅群や絹工場・製粉所・製鉄所など周辺の産業にも大いに活用された。

サン・レウチョはもともとベルヴェデーレと呼ばれる王家の狩猟場で、フェルディナンド4世が愛する狩猟館=ベルヴェデーレ宮殿が立っていた。しかし、1778年に3歳の長男を天然痘を亡くすと、貧困層のためサン・レウチョにホスピスを設置。彼らの支援と産業革命推進のため一帯の開発を決め、建築家フランチェスコ・コレチーニに依頼して絹の製糸・織物工場や染色場・養蚕場、労働者のための住居や学校・病院などを建設した。優秀な労働者を育てるためにフランスの絹工場へ研修に送り、子供たちに無料で教育を施すなど、先進的な産業集落が運営された。最終的にはフェルディナンド・ポリスと呼ばれる大規模な産業都市を目指したが、1806年のフランス・ナポレオンの侵略によって終わりを告げた。

■構成資産

○王宮

○公園

○ヴァンヴィテッリの水道橋

○サン・レウチョ邸宅群

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

カゼルタの遺産は18世紀の啓蒙主義の精神を反映する独創的な創造物であり、自然に調和するように大規模な開発計画に沿って築かれた建造物の建築的価値はきわめて高い。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

野心的な新市街のための大規模プロジェクトによって誕生した遺産で、その革新的なコンセプトによって堂々たる建物・庭園・街路・自然景観が誕生した。この新しい景観構成はコンプレックス全体を接続・統合するために築かれたカロリーノの水路のように、歴史的重要性を持つ卓越した工学技術によって実現した。これらは人類の価値の交流の重要な証拠である。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

カゼルタの建造物群は、当時流行していた新古典主義の文化を反映し、堅牢性・機能性・審美性を重視したウィトルウィウスの原則(ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの提唱した建築3原則)に沿って進められたブルボン朝期の都市計画の顕著な例である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ベルヴェデーレに築かれたサン・レウチョの絹産業集落は高い精神性を有する高度な社会を目指す理想主義的な思想を根底としており、傑出した価値を持つ。

■完全性

建設当時から王宮や公園、サン・レウチョの建造物群は地域の歴史的象徴として重視されており、社会的・機能的な意味で完全性は良好に保たれている。特にカロリーノの水路は王室の財産であるだけでなく地域のインフラとして重要な意味を持っている。建造物群について内部空間の改修はあっても素材的・構造的な変化はなく、完全性は維持されている。建物と庭園の修復は科学的に行われており、周辺景観の主要な特徴も保持されている。

王宮と公園に関するリスクとしては、周辺景観に対する都市開発の圧力と訪問者によって引き起こされる劣化が挙げられる。サン・レウチョの建造物群に関しては同様に周辺景観に対する都市開発の圧力と、建物の多くが使用されていないことによる補修管理資金の不足が懸念される。カロリーノの水路についても都市化による周辺景観の変化と資金不足が問題である。

■真正性

建造物や公園はよく保全されており、真正性は高いレベルで維持されている。外観は依然として良好な状態を保っており、不適切な人的介入は最小限に抑えられている。建物と庭園の修復・メンテナンスについて、ヴァンヴィテッリ親子やコレチーニらの設計を尊重し、当時の素材や構造を保持した修復が行われている。地元の人々は宮殿と公園を定期的に訪れる伝統を守っており、サン・レウチョでは絹工芸品の生産が続けられている。

一時、カゼルタは開発を受け、サン・レウチョやティファニーの丘の庭園や建造物が失われたが、現在はボスコ・ディ・ サン・シルヴェストロ自然保護区として保護されている。可能なら復元されることが望ましい。

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