パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院

Cilento and Vallo di Diano National Park with the Archeological Sites of Paestum and Velia, and the Certosa di Padula

  • イタリア
  • 登録年:1998年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:159,109.73ha
  • バッファー・ゾーン:178,100.98ha
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のパエストゥム、アテナ神殿
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のパエストゥム、アテナ神殿
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のパエストゥム、左がヘラ神殿、右がネプチューン神殿
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のパエストゥム、左がヘラ神殿、右がネプチューン神殿
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のヴェリア、山上の塔はブルーカ要塞 (C) AlMare
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」のヴェリア、山上の塔はブルーカ要塞 (C) AlMare
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」、パドゥーラ修道院の全景とチレントの山々
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」、パドゥーラ修道院とチレントの山々。長方形の大クロイスターは世界最大とされる (C) Velvet
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」、パドゥーラ修道院のメイン・ファサード
世界遺産「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院」、パドゥーラ修道院のメイン・ファサード

■世界遺産概要

イタリア南西部カンパニア州サレルノ県に位置するチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園(チレントとディアノ渓谷国立公園)を中心とする広大な渓谷を登録した世界遺産で、ギリシア・ローマ時代の古代遺跡や中世の城・修道院・教会堂が周囲の景観と調和した見事な文化的景観を奏でている。

○資産の歴史

チェルバティ、ステラ、ブルゲリアの3山と海に囲まれたチレント地方は古くから交通の要衝で、3山の尾根を伝うルートを通って多くの民族グループが行き来した。25万年以上前の旧石器時代から人類の居住跡が発見されており、中期旧石器時代には旧人であるネアンデルタール人のものと思われるムスティエ文化の石器が発掘されている。数万年前から新人であるクロマニヨン人が取って代わり、中石器時代に定住生活を勝ち取った。紀元前2000年頃から移牧が開始され、エーゲ海のミケーネ文明の影響を受けて文化は洗練された。やがてイタリア半島で繁栄したエトルリア人の勢力圏と南イタリアのギリシア人勢力圏マグナ・グラエキアの境界線となった。

紀元前7世紀には渓谷の北東の沿岸に植民都市アグロポリとポセイドニアが建設された。アグロポリはアテネのアクロポリスと同様「頂の都市」を意味し、ポセイドニアはギリシアの海神ポセイドン(ローマ神ネプチューン)を由来とする。特に5kmの城壁に囲まれたポセイドニアは公共広場アゴラを中心に整然と区画整理された方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の城郭都市で、ヘラ神殿(バシリカ)、ポセイドン神殿(ネプチューン神殿)、アテナ神殿(ケレス神殿)というドーリア式(ドリス式)の際立った神殿が築かれた。紀元前5世紀にルカニア人がポセイドニアを引き継ぎ、町をパイストゥムに改称した。

紀元前273年に共和政ローマがパイストゥムを征服し、パエストゥムとなった。アゴラをフォルム、ポセイドン神殿をネプチューン神殿に替え、テアトルム(ローマ劇場)など数多くの建造物が築かれた。ポエニ戦争などでもローマを支援して資金を提供するなど重要都市としてありつづけた。紀元前2世紀にはアッピア街道から分かれてイタリア半島南部西岸を縦断するポピリア街道(カプア=レギウム街道)が開通し、海路だけでなく陸路の要衝となった。こうしてローマ人は独自の道路網を整備したため渓谷を通る古代のルートは放棄された。この時代に多くの森が伐採されてオリーブやブドウの畑になった。313年に皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認すると、徐々にキリスト教が広がっていった。

紀元前540年頃にはポセイドニアの南の沿岸にギリシア植民都市エレアが築かれた。パルメニデス、ゼノン、メリッソスといった哲学者の拠点となり、「エレア派」と呼ばれる一大潮流生み出した。ルカニア人と対立しつつも共和政ローマとは良好な関係を維持し、紀元前88年頃にローマに組み込まれてヴェリアと呼ばれる都市となった。港はイタリア半島南部の主要港のひとつとなり、カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル/シーザー)の側近ブルートゥスや後に初代皇帝アウグストゥスとなるオクタウィアヌスがヴェリアに海軍基地を置いた。やがてヴィッラ(別邸・別荘)が築かれて別荘地として繁栄したが、港が土砂で埋もれて船舶の停泊が難しくなり、またポピリア街道が内陸部を通過したことで港湾都市としての重要性を失って次第に衰退した。

476年に西ローマ帝国が滅びるとローマの道路網は打ち捨てられ、徐々に放棄された。一方で古代のルートが復活し、渓谷の要衝に城や町が建設され、豊かな自然を利用して教会堂や修道院が築かれた。その典型がノヴィ・ヴェリアで、ノヴィ・ヴェリア城を中心に城下町が発展し、東の山中には巡礼地としてマドンナ・デル・モンテ・サクロ(聖母マリアの聖なる山)の聖域が整備された。渓谷の東のパドゥーラ修道院(サン・ロレンツォ修道院)もそんな修道院群のひとつで、1306年にローマの聖ラウレンティウスに捧げるために新しい修道院が築かれた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は3件だが、多くはチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園に含まれている。

最重要の遺跡がパエストゥムだ。パエストゥムは4.75kmの城壁に囲まれた城郭都市で、かつては主要な門が4基と28の塔が存在し、フォルムを中心にテアトルム、マケルム(市場)、クリア(議場)、裁判所、テルマエ(浴場)、レストラン、住居など数多くの建物が立ち並んでいた。ほとんど建物として残っていない中で奇跡的に残された3基のドーリア式神殿がヘラ神殿、ネプチューン神殿、アテナ神殿だ。

ヘラ神殿は紀元前6世紀に建設された平面54.2×24.5mの長方形の周柱式神殿で、最高神ゼウスの妻ヘラを祀っていた。「バシリカ」とも呼ばれているが、祭神が不明だった18世紀に仮に付けられた名称だ。ドーリア式は全体が低く、柱は太く、柱間(柱と柱の間)が狭く、柱頭の装飾がない、ズングリとした男性的で重厚なスタイルで、この神殿でも踏襲されている。ただ、高さ約6.5mの柱が長辺に18本・短辺に9本並んでおり、短辺に奇数本の柱が並ぶ稀有な例となっている(奇数本の場合、中央に柱が立つため一般的には偶数本、特に6本柱が好まれた)。また、基壇中央がやや盛り上がっており、わずかに柱と柱の間隔(柱間)を変えるなど人間の視覚のクセを矯正する「リファインメント」と呼ばれる微妙な調整が行われている。中央の本殿はプロナオス(前室)、ナオス(主室)、オピストドモス(後室)の3室構成で、ナオスにヘラ像が収められていたと考えられている。

ネプチューン神殿は海神ネプチューン(ポセイドン)を祀っており、ギリシア時代にはポセイドン神殿と呼ばれていた。紀元前5世紀の建設と見られ、基壇は平面60.0×24.3mで長辺14本・短辺6本の柱が立ち並び、中央本殿がプロナオス、ナオス、オピストドモスという3室構成でリファインメントが使用されている点はヘラ神殿と同様だ。ギリシア・ローマ建築は基壇からクレピドーマ(基壇)-柱-エンタブラチュア(梁)-ペディメント(頂部の三角破風)というオーダー(展開様式)を持つが、ネプチューン神殿はエンタブラチュアとペディメントが非常によく残されている。

アテナ神殿はギリシア神話の戦いと知恵・都市の女神アテナを祀っていたと見られる神殿で、ローマ神話の豊穣の神ケレスの神殿との説もあってケレス神殿(ギリシア神話のデメテル)とも呼ばれる。紀元前6世紀の建設と見られ、平面は35×16mほどと3神殿の中ではもっとも小さく、柱は長辺13本・短辺6本となっている。プロナオス(前室)、ナオス(主室)の2室構成で、プロナオスにはイオニア式の6本の柱が見られ、ドーリア式とイオニア式が混在する最初期の例と見られる。

パエストゥム周辺に見られる遺跡としては、セレ川沿いに残る女神ヘラの聖域に残るヘラリオン(ヘラ神殿)、城壁外にいくつか残るネクロポリス(死者の町。墓地)の中でも最大規模を誇るガウドのネクロポリス、きわめて貴重なギリシア時代の多数のフレスコ画が残るトゥッファトーレの墓などがある。

ヴェリアは紀元前6世紀に建設された港湾都市で、ギリシア時代にはエレアと呼ばれていた。町の北西にはアクロポリス(町の中心的な丘)がたたずんでおり、ギリシア時代はアゴラ、ローマ時代はフォルムを中心に展開した。3つの川と海を持つ豊かな土地だったが、次第に港が土砂に埋もれ、ローマ帝国のポピリア街道が町から外れたことで衰退し、湿地化が進んで1世紀頃に放棄された。現在発見されているのは、古代の港、アクロポリス、城壁と塔・門、テルマエ、ヴィッラ、住居などの遺構で、マリーナ門やローザ門は比較的よい形で残されている。アクロポリスに残るブルーカ要塞とパラティーナ礼拝堂は中世のもので、イスラム教勢力やノルマン人の侵略に対して建設されたものだ。

チレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園とその周辺には中世の数多くの城・修道院・教会堂が残されており、一部は世界遺産の資産に含まれている。その代表例がパドゥーラ修道院だ。

パドゥーラ修道院あるいはサン・ロレンツォ修道院は、シチリアやナポリの貴族トッマソ2世サンセヴェリーノの依頼で1306年に設立された修道院で、後にカルトゥジオ会に寄贈された。修道院は貧者のために生涯を捧げ、教会財産を皇帝に差し出すことを拒否して焼網で火あぶりの刑に処せられたローマの聖ラウレンティウスに捧げられており、これを模して網状に小部屋を連ねているとされる。320の部屋とホールを有するイタリア最大の修道院で、当初はロマネスク様式やゴシック様式を主としていたが、16世紀後半~18世紀後半まで大改修が行われて多くがバロック様式となった。この時代に世界最大の回廊といわれる84本の柱が立ち並ぶ150×104mの大クロイスター(クロイスターは中庭を取り囲む回廊)や、小型のフォレステリアのクロイスター、ドメニコ・アントニオ・ヴァッカロの彫像で飾られたバロック様式のメイン・ファサード(南ファサード)、バロックの絵画やフレスコ画・スタッコ(化粧漆喰)・マヨルカ焼きの床・大理石の祭壇などで彩られた付属教会堂、白大理石の螺旋階段やマヨルカ焼きの床で知られる修道院図書館、イタリア式庭園などが築かれた。ナポレオン戦争ではフランス軍本部、イタリア統一運動リソルジメントではガリバルディの南軍の基地として使用された。

ノヴィ・ヴェリアにはギリシア時代から要塞があり、1291年にはノヴィ・ヴェリア城が建設されて次第に城下町が発展した。その東のジェルビゾン山中にあるのが「聖母マリアの聖なる山」を意味するマドンナ・デル・モンテ・サクロの聖域だ。ローマ時代には女神ヘラの神殿が立つ聖域だったようで、10~11世紀頃に修道士が周辺の洞窟に住みはじめ、14世紀頃に修道院が整備された。伝説では14世紀の建設中に聖母マリアが現れたとされ、巡礼地となった。現在聖域には僧院の他にサン・バルトロメオ礼拝堂やゲストハウスなどの施設がある。

これ以外に、山上にギリシア・ローマの遺跡や中世の要塞跡が残るモーイオ・デッラ・チヴィテッラ、青銅器時代から中世の要塞まで数々の遺構が残るロッカグロリオーザ、初期キリスト教の教会堂や修道院・要塞跡が残るカメロータなどがよく知られている。

■構成資産

○パエストゥム、ヴェリア、パドゥーラ修道院、チェルバティ山、ヴァッロ・ディ・ディアノ

○リコサ岬とステラ山地区

○パリヌロ岬、インフェレッチ岬とブルゲリア山地区

■顕著な普遍的価値

本遺産は複合遺産として推薦されたが、IUCN(国際自然保護連合)はヨーロッパにおける自然的価値は認めたものの世界レベルといえる顕著な普遍的価値を満たす説得力のある事例は提示されておらず、また自然としては完全性を満たしておらず、むしろ自然と文化が一体化した文化的景観であるとして自然遺産としての価値を認めなかった。

また、推薦時にはテッジャーノやパドゥーラといった渓谷の東部分は含まれていなかったが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)が提案して追加された。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

先史時代から中世にかけてチレントの尾根を結ぶルートは多彩な文化・政治・経済を結ぶ要衝としてありつづけた。それを示す際立った重要性を持つ遺跡や建造物が点在し、自然と調和した見事な文化的景観を奏でている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

チレントは地中海の人間社会の発展においてきわめて重要な役割を果たしたふたつの地域、アドリア海とティレニア海を結ぶ唯一の接点として発達し、それを証明する明確な文化的景観が残されている。

■完全性

資産はほとんど手付かずで完全性は維持されている。グレート・アトラクターと呼ばれるギリシャ植民都市パエストゥムとヴェリアのふたつの考古遺跡や、古代から伝わるパドゥーラ修道院の記念碑的な建造物群、そしてモーイオ・デッラ・チヴィテッラ、ロッカグロリオーザ、カゼッレ・イン・ピッタリといったルカノス地方の集落をはじめ考古学・美学上重要な多くの関連遺跡――こうした遺跡や建造物はチレント・エ・ヴァッロ・ディ・ディアノ国立公園内に位置している。そしてまた広大な敷地にはリコサ岬、パリヌロ岬、インフェレッチ岬といった海辺の景観があり、あるいはブルゲリア山脈など内陸の景観も含まれている。国家的に重要な自然保護区内に位置することで資産の完全性は保証されている。こうした広大な土地では変化が避けられないものだが、この資産は人間と自然の古くからの相互作用が生み出した文化的景観としての特徴を保ちつづけている。

資産に対する脅威としては主として地滑りや洪水などの自然災害に関するものがあり、また国立公園内における違法建築も懸念される。

■真正性

園内の文化的要素の真正性は高く、先史時代にさかのぼる人間の居住跡とともにティレニア海の際立った重要性と品質を持つ文化的景観が保持されている。古代の登山道網の痕跡は数多くの宗教的な聖域に見ることができ、ルート上の村や集落はその真正性をほとんど変えることなく伝えている。

パエストゥム、ヴェリア、パドゥーラ修道院では多くの修復作業が行われてきた。パエストゥムでは3つのドーリア式神殿や住宅などの修復を実施し、新しいセクションが先史・原史時代の博物館で一般公開された。ヴェリアではアクロポリスに立つ中世の塔とともにローマン・バス(ローマ浴場)やロサ門が完全に修復・保存され、パドゥーラ修道院も監督官庁によって見事に修復された。

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