ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群

City of Vicenza and the Palladian Villas of the Veneto

  • イタリア
  • 登録年:1994年、1996年重大な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)
  • 資産面積:333.87ha
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、パラッツォ・キエリカーティ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、パラッツォ・キエリカーティ (C) Ernesto Sguotti
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、市街のシニョーリ広場、ロッジア・デル・カピタニアート、バシリカ・パッラディアーナ、ビサーラ塔
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、市街のシニョーリ広場、左がロッジア・デル・カピタニアート、右がバシリカ・パッラディアーナ、塔はビサーラ塔
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・バルバーロ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・バルバーロ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・コルナーロ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・コルナーロ (C) Hans A. Rosbach, copyleft: Multi-license with GFDL and Creative Commons CC-BY-SA-2.5 and older versions (2.0 and 1.0)
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・アンガラーノ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・アンガラーノ (C) Hans A. Rosbach
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・アルメリコ・カプラ、通称ラ・ロトンダ
世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」、ヴィッラ・アルメリコ・カプラ、通称ラ・ロトンダ (C) Quinok

■世界遺産概要

イタリア北部ヴェネト州の町ヴィチェンツァ周辺に点在する後期ルネサンスの旗手アンドレア・パッラーディオ(1508~80年)の作品群を登録した世界遺産。1994年にヴィチェンツァ市街の23軒と郊外の3軒が登録され、1997年に郊外の21軒が追加登録された。なお、本稿ではパラッツォ(宮殿)、ヴィッラ(別邸・別荘)、ロッジア(柱廊装飾を持つ邸宅)を区別するため、固有名詞はイタリア語のまま表記している。

○資産の歴史

ヴィチェンツァのある場所はもともと湿地だったが、ローマ帝国の時代に城壁を巡らせて城郭都市となり、ポー平原北中部の主要都市として発展した。ヴィチェンツァの名前は「勝利」を意味するラテン語ヴィチェティアから名付けられた。3世紀にはキリスト教が広がり、4世紀には司教座が置かれて大聖堂が築かれた。ベネディクト会の修道院が創設されるなどキリスト教都市として発達するが、宗主国はビザンツ帝国(東ローマ帝国)、ランゴバルド王国、フランク王国などしばしば変化した。12~13世紀になるとヴェネツィア(世界遺産)、パドヴァ、ヴェローナ(世界遺産)などとともに商業圏を築いて繁栄し、町に数多くの宮殿や別荘・公共施設が築かれた。一方で自治権をほとんど失い、ヴェローナの名家デッラ・スカラ家(スカリジェリ家)をはじめパドヴァ、ヴェローナ、ミラノ、15~18世紀にはヴェネツィアの支配下に入った。

1508年にパトヴァに生まれたパッラーディオはヴィチェンツァに移り、建築家としての修行を開始した。ヴェネト地方のローマ建築を見て回り、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著書『建築』を愛読するなど古典建築の研究に励み、2度にわたって本場ローマ(世界遺産)を訪れている。

当時のローマはギリシア・ローマ時代の芸術文化を再興したルネサンス美術の最盛期で、ドナト・ブラマンテやラファエロ・サンティといった名建築家が活躍していた。しかし、フランスと神聖ローマ帝国の間で争われたイタリア戦争の最中でもあり、特に神聖ローマ皇帝カール5世がローマを攻撃した1527年のローマ劫掠はローマにおけるルネサンスにピリオドを打った。

パッラーディオがヴィチェンツァで設計した最初の宮殿がパラッツォ・チヴェーナ・トリッシノ(パラッツォ・チヴェーナ)、続く宮殿がパラッツォ・キエリカーティだ。等間隔に並んだ柱や半円アーチ、ギリシア式の柱頭、窓の上のペディメント(三角破風)など、ギリシア・ローマ・ルネサンスのスタイルを集大成したものとなった。フィレンツェやローマでは教会堂や宮殿に限られていたルネサンス建築をこじんまりとした邸宅にまで持ち込んだ。

際立っているのが1567年に建設がはじまったヴィッラ・アルメリコ・カプラ、いわゆるラ・ロトンダだ。正方形の建物の四方にポルティコ(列柱廊玄関)を取り付けた点対称のギリシア十字形で、ポルティコの柱はイオニア式、柱は大きなペディメントを支えており、中央には巨大なドームが据えられている。ギリシア風のオーダー(基壇から柱、ペディメントに至る展開様式)にローマ風のドームを組み合わせ、それを邸宅に持ち込んだパッラーディオらしい構成となっている。この後の作品、ヴィッラ・エモやヴィッラ・バルバーロなどは横長、パラッツォ・ダ・ポルト・ブレガンゼやヴィッラ・コルナーロなどは縦長で、ジャイアント・オーダー(1~2階を貫く柱を持つファサードの展開様式)が見られるものもあり、ルネサンス的な均整を崩したマニエリスム・バロック的な展開が見られる。

パッラーディオは市街地のパラッツォでは周囲の古典あるいは中世の重厚な街並みとの調和を図り、郊外のヴィッラでは一軒家として丘や森林といった風景との調和を重視した。こうした潮流は「パッラーディオ様式」と呼ばれ、ヴェネト地方でイタリア・ルネサンス最後の輝きを放った。

18~19世紀にはイギリスやアメリカでネオ・パッラーディオ様式として再興され、数多くの世界遺産を生んでいる。一例が、イギリスの世界遺産「エディンバラの旧市街と新市街」のロイヤルバンク・オブ・スコットランド本店、「バース市街」のプライヤー・パークやアセンブリー・ルーム、アメリカの世界遺産「シャーロットヴィルのモンティセロとヴァージニア大学」のモンティセロや大学図書館ロタンダ(ロトンダ)だ。

○資産の内容

世界遺産の資産はヴィチェンツァ市街の23軒と郊外の24軒。市街の23軒は、パラッツォ・バルバラーン・ダ・ポルト、パラッツォ・ポイアーナ、パラッツォ・チヴェーナ・トリッシノ、パラッツォ・ティエーネ・ディ・スカンディーノ、パラッツォ・ダ・ポルト・フェスタ、ロッジ・デッラ・バシリカ(バシリカ・パッラディアーナ)、ロッジア・デル・カピタニアート、パラッツォ・ヴァルマラーナ・ブラガ、パラッツォ・ティエーネ・ボニン・ロンガーレ、パラッツォ・ダ・ポルト・ブレガンゼ、パラッツォ・キエリカーティ、テアトロ・オリンピコ、アルコ・デッレ・スカレッテ、パラッツォ・ダ・モンテ・ミリオリーニ、パラッツォ・スキオ、カーサ・コゴッロ、サンタ・マリア・ヌオーヴァ教会、サルヴィ庭園のロッジア・ヴァルマラーナ、パラッツォ・ガルザドリ・ボルトラン、ヴィチェンツァ大聖堂のドーム、ヴィチェンツァ大聖堂の北エントランス・ドア、パラッツォ・カプラ、サンタ・コロナ教会のヴァルマラーナ・チャペルとなっている。また、郊外の24軒は、ヴィッラ・トリッシノ、ヴィッラ・ガツォッティ、ヴィッラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトンダ)、ヴィッラ・アンガラーノ、ヴィッラ・カルドーニョ、ヴィッラ・キエリカーティ、ヴィッラ・フォルニ・チェラート、ヴィッラ・ゴディ・マリンヴェルニ、ヴィッラ・ピサーニ・フェッリ、ヴィッラ・ポジャナ、ヴィッラ・サラチェーノ、ヴィッラ・ティエーネ、ヴィッラ・トリッシノ、ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ゼン、ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ブレッサン、ヴィッラ・バドエル、ヴィッラ・バルバーロ、ヴィッラ・エモ、ヴィッラ・ゼノ、ヴィッラ・フォスカリ、ヴィッラ・ピサーニ、ヴィッラ・コルナーロ、ヴィッラ・セレーゴ、ヴィッラ・ピオヴェーネとなっている。

代表的な建物として、まずクリコリのヴィッラ・トリッシノが挙げられる。貴族ジャン・ジョルジオ・トリッシノの依頼で1534~38年頃に建設された邸宅で、パッラーディオのデザインであるか否かは論争がある。ただ、ヴィッラの建設でパッラーディオに心酔したトリッシノが以後の活動のサポートを行い、さまざまな貴族に紹介したことでその後の飛躍につながったといわれる。1階にイオニア式、2階にコリント式の四角柱のピラスター(付柱。壁と一体化した柱)、2階に小さなペディメントを持つ邸宅で、ロッジアを備えたルネサンス様式となっている。なお、サレーゴにある同名のヴィッラ・トリッシノはルドヴィコとフランチェスコのトリッシノ兄弟の依頼でパッラーディオが設計した別のヴィッラで、1570年代に建設が開始されたものの未完成で終わっている。

ヴィッラ・ゴディ・マリンヴェルニはヴィッラ・ゴディとも呼ばれる邸宅で、パッラーディオの設計で1537~40年代に築かれた。最初期の宮殿建築のひとつで、外部に装飾はほとんど存在しないがファサード中央部にロッジアが見られる。対照的に内部は豊富な装飾で彩られており、特にジョヴァンニ・バティスタ・ゼロッティやバティスタ・デル・モロらの見事なフレスコ画で知られる。

パラッツォ・チヴェーナ・トリッシノはパッラーディオがチヴェーナ家の邸宅としてヴィチェンツァに建設した最初の都市型宮殿建築で、1540~42年に建設された。まもなくトリッシノ家に所有権が移ったことからこの名が付いた(単にパラッツォ・チヴェーナとも呼ばれる)。ルネサンス様式のタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)で、ヴェネツィアのルネサンス建築を踏襲したデザインとなっている。

市街中心部のタウンハウスであるパラッツォ・キエリカーティと郊外の別邸であるヴィッラ・キエリカーティはキエリカーティ伯爵の依頼で1550年代に並行して建設が開始された。パラッツォ・キエリカーティはファサード(正面)の1階がドーリア式、2階がイオニア式の柱で覆われており、左右はロッジア、1階中央部はポルティコとなっている。周柱式の神殿のような荘厳さながら、屋上に立ち並ぶ彫像や尖塔、低くに設けられたペディメントなどにはマニエリスム・バロック的な要素も見られ、きわめて斬新な意匠となっている。一方、ヴィッラ・キエリカーティはファサードにイオニア式の柱とペディメントを持つポルティコを備えた一軒家で、ラ・ロトンダで完成されるパッラーディオ様式のプロトタイプとなっている。こうした構成はヴィッラ・フォスカリやヴィッラ・バドエル、ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ゼンなど、郊外のヴィッラでしばしば見られる。

ヴィッラ・コルナーロは1550年代に建設がはじまったコルナーロ家の邸宅で、2層のポルティコには1階にイオニア式、2階にコリント式の列柱が見られ、上段にはペディメントが配されている。こうした展開はヴィッラ・ピサーニでも見られ、ヴィッラ・アンガラーノでは3層の頂部にブロークン・ペディメント(ペディメントの三角上部を開けた様式)を頂く独特のデザインとなっている。

同時期のヴィッラ・バルバーロはバルバーロ兄弟の依頼で1550~60年代に建設された。中央のテンピエット(小神殿)と呼ばれる建物はローマのフォロ・ロマーノ(世界遺産)のポルトゥヌス神殿をモチーフにしているといわれ、イオニア式の列柱にペディメントを備え、ティンパヌム(ペディメント内部の三角部分)にはバルバーロ家の紋章がレリーフ化されている。左右に伸びる列柱とアーチはルネサンスらしい意匠で、いずれもパビリオンに通じている。パオロ・ヴェロネーゼの見事なコレクションで知られており、クロツェーラの間やバッカスの間、オリンポの間、ルツェルナの間などで巨大なフレスコ画を見ることができる。ヴィッラ・エモでは非常に似た展開が見られ、ヴィッラ・アンガラーノは「コ」字形のコートハウス(中庭を持つ建物)となっている。

ロッジ・デッラ・バシリカは一般にバシリカ・パッラディアーナと呼ばれるタウンハウスで、もともとパラッツォ・デッラ・ラジョーネというゴシック様式の宮殿だった。1549~1614年にパッラーディオが大々的に改築を行い、周囲を囲むロッジアやポルティコを設置した。ロッジアの柱は1階がドーリア式、2階がイオニア式で、2本の柱をまとめたスタイルはマニエリスム的でもある。隣接のビサーラ塔は13世紀の創建で、15世紀に高さ82mに拡張されて市街でもっとも高い歴史的建造物となった。

ロッジア・デル・カピタニアートはパラッツォ・デル・カピタニアートともいわれるタウンハウスで、1565~72年頃に建設された。ファサードの1階部分はロッジアで、コリント式の柱は2階まで突き抜けるジャイアント・オーダーとなっている。柱の上はエンタブラチュア(柱とペディメントの間の梁構造)で、ペディメントのないローマ時代の凱旋門のような構成を取っている。ヴィチェンツァはスペインやヴェネツィア等の連合艦隊がオスマン帝国を破った1571年のレパントの海戦に寄付などの形で参加しており、宮殿には戦勝のレリーフや彫像が掲げられた。

ヴィッラ・アルメリコ・カプラはヴィッラ・カプラ、ヴィッラ・アルメニコとも呼ばれる邸宅で、通称をラ・ロトンダという。1567年にパッラーディオの設計で建設がはじまり、彼の死後、1605年に建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィが完成させた。ローマのパンテオン(世界遺産)にインスピレーションを得たと伝わる建物で、オクルスと呼ばれる採光用の穴を持つドームとポルティコがその特徴を引き継いでいる。ただ、パンテオンのポルティコが1基であるのに対し、ラ・ロトンダは正方形の建物の各面にポルティコを持つギリシア十字形の四面堂(四方が同じ構造を持つ建物)で、ポルティコにはイオニア式の6本の柱の上に大きなペディメントが掲げられている。内部にはドーム下のメインルームの他に4室の部屋があり、ドームや天井はバロック様式のスタッコ細工や彫刻、フレスコ画などで覆い尽くされている。

■構成資産

○ヴィチェンツァ市街(23の建造物を含む)

○ヴィッラ・トリッシノ(現トレッテネロ、クリコリ)

○ヴィッラ・ガツォッティ

○ヴィッラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトンダ)

○ヴィッラ・アンガラーノ

○ヴィッラ・カルドーニョ

○ヴィッラ・キエリカーティ

○ヴィッラ・フォルニ・チェラート

○ヴィッラ・ゴディ・マリンヴェルニ

○ヴィッラ・ピサーニ・フェッリ

○ヴィッラ・ポジャナ

○ヴィッラ・サラチェーノ

○ヴィッラ・ティエーネ

○ヴィッラ・トリッシノ(サレーゴ)

○ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ゼン

○ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ブレッサン

○ヴィッラ・バドエル

○ヴィッラ・バルバーロ

○ヴィッラ・エモ

○ヴィッラ・ゼノ

○ヴィッラ・フォスカリ

○ヴィッラ・ピサーニ

○ヴィッラ・コルナーロ

○ヴィッラ・セレーゴ

○ヴィッラ・ピオヴェーネ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ヴィチェンツァは建築において数多くの貢献を行ったパッラーディオの独創的な芸術的成果を伝えており、建築史の中でひときわ輝かしい功績を残している。ヴェネト地方に散在するパッラーディオ様式のヴィッラはこのルネサンスの巨匠の創造的才能を示す傑作であり、ヴィッラの多彩なバリエーションは古典的な建築様式の再構築によって実現したパッラーディオの絶え間ない類型学的実験の証である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ギリシア・ローマといった古典建築に触発された比類ない形態的純度を特徴とするヴェネト州とヴィチェンツァ市のパッラーディオの作品群はヨーロッパを越えて全世界の建築・都市デザインに際立った影響を及ぼした。この3世紀にわたるムーブメントは建築家にちなんでパッラーディオ様式と名付けられた。

■完全性

資産はいくつかの要素で構成されており、すべてが際立った価値を示している。資産はヴィチェンツァ市都市部の23軒と郊外の24軒のもっとも代表的なパッラーディオ様式の建造物群からなるが、21世紀の開発により都市を取り巻く環境は大きく変化し、都市と地方の本来の関係に多大な影響を与えた。ヴィッラはいくらかの変更が加えられた敷地の中で完全性を保ちよく保存されてはいるが、さまざまな部分で開発圧力にさらされ、景観など農業や林業の変化の影響を受けている。また、洪水リスクを有するが、これらの問題は管理者によって対処されている。

■真正性

真正性が都市部に適用される場合、都市構造や街並みを形成する個々の建物の形態、伝統的な建築素材と工法の使用ならびに建物の機能が考慮されなければならない。これらに関してヴィチェンツァは全体的に良好で、"la città di Palladio"(パッラーディオの町)と讃えられた時代の特徴を引き継いでいる。

パッラーディオの建物の形態については本人が1570年に著した『建築四書』に記されており、16世紀の建設時からほとんど変わっていないことが確認できる。ヴィチェンツァの多くの宮殿は居住用ではなく商業施設へ機能を変えたが、その結果として内部がいくらか変更された。一方で市の都市構造はほとんど変化しておらず、彫刻で名を馳せた歴史的街並みを保持している。

個々のヴィッラの真正性も非常に高いレベルで維持されており、詳細な資料や技術的・科学的研究が本来の形態の特定に役立っている。これらを参考に適切な素材と工法が確認され、修復・保全プロジェクトに活かされている。

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