アイセル湖(淡水化される前はゾイデル海)に面するフリースラント州レンメルに位置するポンプ場で、1920年の稼働当時、蒸気機関を利用した揚水装置としては世界最大かつ最先端を誇った。設計を担当した州水道局のエンジニア(オランダ語で "Ingenieur"、略して "Ir.")、ディルク・フレデリック・ヴァウダ(D.F.ヴァウダ)にちなんで命名された。
国土の1/3が海面下であるように、オランダの歴史は水との戦いの歴史でもあった。古くからオランダ各地に堤防や運河・水路が建設され、「ワーテルストラート」と呼ばれる水管理システムが稼働しなければ水没する運命にあった。フリースラントでも1000年頃から堤防や水路・貯水池の建設がはじまった。
17世紀に風車を利用して水を汲み上げる排水システムが普及した。その代表例が世界遺産「キンデルダイク・エルスハウトの風車群」だ。より効率的な蒸気式揚水装置は1825年にホルクムのアルケルセ・ダムではじめて使用された。以来、風車に取って代わり、当初イギリスから輸入していた機械も20世紀初頭までにオランダで生産できるようになった。蒸気式ポンプ場の建設は1870~1885年にピークに達し、1900~10年には約700か所で稼働していた。
フリースラント州では1825年にゾイデル海に面した堤防が決壊して100,000ha以上の干拓地(海を堤防で囲み、排水して陸地化した土地)が浸水した。堤防は強化されたが1876年に約60,000haが浸水し、1894年にも大洪水に見舞われた。政府は対応を求められ、州南部の海岸沿いに2か所の新しいポンプ場を建設する決定が下された。州政府も1913年にポンプ場と海洋閘門(こうもん。高さが異なる河川や運河を接続し、船を上下させる装置)の建設を承認した。フリースラントで排水された水は1915年に掘られたのアフワーテルリングス運河~グレーテ・ブレッケン湖~ストルーム運河とつながる水路を通ってアイセル湖に排出されたが、ポンプ場のひとつはこの端のアイセル湖岸に築かれることになった。
ポンプ場の設計は州水道局のチーフエンジニアであるヴァウダに任された。1916年に建設が開始され、1920年にオランダ合理主義の影響を受けたシンプルで装飾のない建物が完成した。ポンプ場はエンジン・ルーム、水門、ボイラー・ハウス、煙突、石炭貯蔵エリア、人員のためのいくつかの小屋で構成された。エンジン・ルームは62.0m×16.4m×15.0mで、地下に当初は8基、後に4基の蒸気エンジンと遠心ポンプを収めた。1936~38年にポンプ場の東に新しい水門が設置され、1947年には名称がIr.D.F.ヴァウダヘマールに変更された。1967年まで石炭を燃やしていたが、以降は石油燃料に替わった。ポンプ場は主に増水時に使用され、1970~89年にかけて年間平均367時間稼働した。
予算の問題からもう1か所のポンプ場の建設は遅れ、1967年に西21.5kmほどにJ.L.ホーグラングマールと呼ばれるポンプ場が稼働を開始した。これを受けてIr.D.F.ヴァウダヘマールは予備・緊急用となり、年1回ほどの稼働に抑えられている。
蒸気機関はきわめて強力な動力源であり、オランダの水管理における1,000年の歴史を大きく変えた。Ir.D.F.ヴァウダヘマールの設備はこれまでに建設された同種の設備の中で最大を誇る。
Ir.D.F.ヴァウダヘマールは何世紀にもわたるオランダの水工学の到達点であり、世界各地のポンプ場のモデルとなった。
Ir.D.F.ヴァウダヘマールのポンプ設備はオランダ人のエンジニアによって実現した蒸気機関による自然の制御、特に水の制御に関する傑出した例である。
Ir.D.F.ヴァウダヘマールは顕著な普遍的価値を持つ要素をすべて含んでおり、本物で保存状態も良好である。ポンプ場からの重要な景観を効果的に保護するために、また平坦な景観におけるポンプ場の支配的な位置関係を維持するために、施設周辺の高い構築物の建設プロジェクトについては注意深く監視する必要がある。
ポンプ場の形状・素材・機能は1920年の稼働開始からほぼ同じで真正性は保たれている。唯一の大きな変更点は8基のボイラーを4基にしたことで、1955年に大容量化し、1967年に燃料を重油に変更している。