キプロスのトロードス山脈に11~16世紀にかけて建設された教会9堂と修道院1院を登録した世界遺産。シンプルな外観と対照的に、堂内はビザンツを中心にルネサンスやクレタ派など多彩な様式を伝える極彩色のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で彩られている。なお、本遺産は1985年に構成資産9件が登録された後、2001年にアイア・ソティラ・トゥ・ソテロス聖堂を加えて10件に拡大された。
キプロスは395年にローマ帝国が東西に分裂した際にビザンツ帝国(東ローマ帝国)の統治下に入り、イスラム王朝であるウマイヤ朝の支配やアッバース朝との共同統治の時代を経て、965年にビザンツ帝国が奪還して版図に加えた。12世紀半ばに皇族のイサキオス・コムネノスが反乱を起こして独立するが、第3回十字軍で遠征中だったイングランドの獅子心王リチャード1世に征服された。以降、キプロスはローマ・カトリックに移行している。まもなくエルサレム王ギー・ド・リュジニャンがイングランドからキプロスを購入し、1192年にキプロス王国を建国。中東に対するキリスト教諸国の貿易と軍事における拠点として繁栄するが、1489年にヴェネツィア(世界遺産)に吸収された。1571年にオスマン帝国が征服し、ふたたびイスラム王朝の手に渡った。
キプロス島の中心部に延びるトロードス山脈には965年にビザンツ帝国が再占領して以降、多くの教会や修道院が築かれた。構成資産の10件の中で最古の教会堂がアイオス・ニコラオス・ティス・ステイス聖堂で11世紀前半、最新はアイア・ソティラ・トゥ・ソテロス聖堂で16世紀初頭の建設と見られる。
教会堂の外観はシンプルで、トロードス地方の伝統的な石造建築技術が応用されている。基本的に石を積み上げた壁構造(壁で屋根を支える構造)で、屋根は木造の板葺きで「∧」形の切妻造、一部は石造ドームやアーチを用いている。特にパナイア・ポディトゥ聖堂やスタヴロス・アイアスマチ聖堂の切妻屋根は日本の合掌造りのように深く、アルハンゲロス・ミハイル聖堂やアイア・ソティラ・トゥ・ソテロス聖堂では片側が長く延びている。一方でティモス・スタヴロス聖堂のように浅い切妻造もあり、パナイア・トゥ・アラコウ聖堂に至っては入母屋造(切妻造と寄棟造をあわせたような構造)だ。アイオス・ニコラオス・ティス・ステイス聖堂やアイオス・イオナニス・ランバディスティス修道院教会、パナイア・トゥ・アラコウ聖堂、ティモス・スタヴロス聖堂は中央にドームを冠している。
平面プランは初期のアイオス・ニコラオス・ティス・ステイス聖堂やアイオス・イオナニス・ランバディスティス修道院教会は「+」形のギリシア十字式のクロス・ドーム・バシリカ、他は長方形の単廊式(身廊のみ)か三廊式(身廊の両側に側廊を持つ様式)のバシリカで、多くがエントランスにナルテックス(拝廊)を持つ。
トロードス地方の教会堂を特徴付けているのはフレスコ画だ。もっとも古いフレスコ画はアイオス・ニコラオス・ティス・ステイス聖堂やアイオス・イオナニス・ランバディスティス修道院のもので11世紀にさかのぼる。といってもいずれも各時代のフレスコ画があり、特に前者は1633年まで描かれていた。ビザンツ帝国コムネノス朝期(1081~85年)前後のフレスコ画にはパナイア・フォルヴィオティッサ聖堂やパナイア・トゥ・アラコウ聖堂のものがあり、皇帝アレクシス1世コムネノスが支配を強めようとしていた時期で中央の画家によって描かれたと見られており、絵にもコンスタンティノープル(現・イスタンブール。世界遺産)の影響が見られる。13世紀にローマ・カトリックに移行した影響はアイオス・イオナニス・ランバディスティス修道院やパナイア聖堂で見られ、ビザンツと西ヨーロッパの技術が混在している。パナイア・フォルヴィオティッサ聖堂やティモス・スタヴロス聖堂の14世紀のフレスコ画は地元と西ヨーロッパの様式が優勢だ。15世紀のアルハンゲロス・ミハイル聖堂は作家の名前が伝わっている数少ない例で、地元の画家ミナスがビザンツの伝統にこだわったフレスコ画を残している。一方、同時代のスタヴロス・アイアスマチ聖堂のフレスコ画はビザンツにルネサンス的要素が加わっている。1489年にヴェネツィアの支配下に入った影響で、パナイア・ポディトゥ聖堂やアイオス・イオナニス・ランバディスティス修道院北礼拝堂の16世紀のフレスコ画はイタリア・ビザンツとルネサンスを融合させたスタイルで描かれている。そして16世紀のアイア・ソティラ・トゥ・ソテロス聖堂のフレスコ画はクレタ派のもので、17~18世紀のフレスコ画も見られる。
文字要素ではパナイア・フォルヴィオティッサ聖堂、図像ではパナイア・トゥ・アラコウ聖堂に見られるように、直接的な影響は確認できないものの、12世紀にはビザンツの影響を引き継ぐキプロスの絵と西方教会の美術の間に密接な関係があった。このようにふたつのキリスト教の関係というきわめて複雑な問題に対するいくつかの回答がトロードス地方の壁画教会群に示されている。それらはキプロス王国の成立以前のもので、東西の芸術交流チェーンの基本的なリンクを形成している。
パナイア・フォルヴィオティッサ聖堂とパナイア・トゥ・アラコウ聖堂のフレスコ画はコムネノス朝期のビザンツ美術を代表する際立った作品群である。前者はビザンツ皇帝の影響下でコンスタンティノープルの芸術家たちの手によって描かれており、後者はイングランドによる征服からキプロス王国の成立という転換点となる時代に描かれている。
トロードス地方の壁画教会群はビザンツ時代の地方の宗教建築が非常によく保存されている稀有な例である。そのシンプルな構造とは対照的に、装飾はきわめて洗練されている。ビザンツ後の新しい画家たちの素朴な作品群はこの地方の建築とよく調和している。
10件の構成資産のすべてが生きているモニュメントであり、いまなお礼拝や宗教的行事を行う場所として使用されつづけており、本来の機能を引き継いでいる。構成資産のそれぞれは建築構造とその豊かな装飾を保持し、ビザンツ様式やポスト・ビザンツ様式の見事な作品群を収蔵している。多くの場合、外観や構造は地方特有の素朴なスタイルで、内部装飾と対照をなしている。毎年、建物や壁画・木製家具・周辺環境に対して政府による適切な保全作業が行われており、良好な状態が保たれている。
資産に対する悪影響として、訪問者の増加に伴う犯罪の増加や世界遺産と調和しない施設の建設・自然災害・都市開発などが挙げられるが、これらの脅威を低減するための施策が実施されている。
資産の顕著な普遍的価値の鍵であるデザイン・素材・構造・機能は本物で、真正性は高いレベルで維持されている。建物や壁画の保全のために行われた修復はオリジナルの素材と美的価値を尊重する方法で実行されている。これらの資産を構成する宗教的機能や環境的・文化的・歴史的要因は今日でも明確に確認することができ、政府や地域社会・教会が協力して保存活動を行っている。