パフォス

Paphos

  • キプロス
  • 登録年:1980年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(vi)
  • 資産面積:162.0171ha
世界遺産「パフォス」、パフォス城
世界遺産「パフォス」、パフォス城
世界遺産「パフォス」、ネア・パフォスのクリソポリティッサ聖堂
世界遺産「パフォス」、ネア・パフォスのクリソポリティッサ聖堂
世界遺産「パフォス」、ネア・パフォスのアイオンの家のモザイク画
世界遺産「パフォス」、ネア・パフォスのアイオンの家のモザイク画、半人半獣のケンタウルスと女性はマイナス
世界遺産「パフォス」、カト・パフォスのネクロポリス、ペリスタイルの地下墓
世界遺産「パフォス」、カト・パフォスのネクロポリス、ペリスタイルの地下墓
世界遺産「パフォス」、アフロディーテの聖域
世界遺産「パフォス」、アフロディーテの聖域 (C) Ziegler175
世界遺産の資産外だが、アフロディーテが上陸して立ち上がったという伝説が残るパフォス近郊のペトラ・トゥ・ロミウ(中央の岩)
世界遺産の資産外だが、アフロディーテが上陸して立ち上がったという伝説が残るパフォス近郊のペトラ・トゥ・ロミウ(中央の岩)

■世界遺産概要

パフォスは新石器時代から中世にかけて女神信仰・アフロディーテ信仰の聖地で、女神の神殿を中心とした神殿城下町あるいは港湾都市として繁栄した。世界遺産は神殿跡や都市遺跡、死者の町ネクロポリスを中心としたもので、構成資産はクークリアのアフロディーテの聖域、カト・パフォスのネア・パフォス、カト・パフォスのネクロポリスの3件。

○資産の歴史と内容

クークリアの旧パフォス=パラエ・パフォスには新石器時代から居住の跡が確認されている。紀元前3000~前2000年といった太古の時代から豊穣の女神や地母神(母なる大地の神)の信仰を持っており、石や粘土による女神像や神殿跡が発掘されている。紀元前1200年頃にはミケーネ人が女神の神殿を建設し、巡礼地として栄えた。この頃の神殿は外に祭壇を持ち、内陣には女神の象徴としてピラミッド形の白い石が祀られていた。この地を支配していたフェニキア人の王であり司祭であるキニュラスはギリシアにまでその名を轟かせ、作家ホメロスの著作にも登場する。キニュラスはアフロディーテに愛された美少年アドニスの父親であることでも知られ、キニュラスの娘ミュラーに嫉妬したアフロディーテはふたりが一夜を共にするよう仕向け、できた子供がアドニスだという。

アフロディーテはギリシア神話のオリンポス12神の1柱で、ローマ神話ではヴィーナス(ウェヌス)にあたる。愛と美を司り、恋愛や豊穣・生殖・多産をもたらす女神として知られている。また、航海の神として祀られることも多く、地中海を支配したフェニキア人の女神信仰に由来すると考えられている。パラエ・パフォス近郊にあるペトラ・トゥ・ロミウは地中海に突き出した岩で、泡から生まれたアフロディーテがこの岩から上陸したと伝えられている。女神信仰はいつしかアフロディーテ信仰に発展し、ギリシア各地の王たちがパフォスを訪ねてアフロディーテのための祭壇を築いたという。パラエ・パフォスはギリシア・ローマ時代を通じて聖地としてありつづけ、後述する都市移転後の1~2世紀にも旧神殿の南に新神殿が建設された。アフロディーテに対する信仰は4世紀にキリスト教が広がるまで続いた。

紀元前4世紀末~前2世紀はじめにかけて、パフォスは都市を北西16kmほどにある港近くに移動した。現在カト・パフォス(低パフォス)と呼ばれる地方で、旧パフォスに対して新パフォス=ネア・パフォスと呼ばれた。現在のパフォスはネア・パフォスの北に広がっている。一説ではパフォスの王ニコクレスが遷都したとされるが、ギリシアのアルカディア人の王アガペノールの創建ともいわれる。その後エジプトのプトレマイオス朝の支配下に入り、やがてローマ帝国の版図に入った。紀元前後には大地震が町を襲い、ローマ皇帝アウグストゥスが再興したと伝えられる。

ネア・パフォスはキプロスの首都として繁栄し、都市が形成された。パフォス考古学公園にはギリシア、ヘレニズム、ローマ、ビザンツ時代の数多くの遺構が発掘されている。ギリシア時代の遺構にはアゴラ(公共広場)やオデオン(屋内音楽堂)、アスクレペイオン(医学の神アスクレピオスの聖域)などがある。ローマ時代の遺構はテアトルム(ローマ劇場)と4軒のヴィッラ(別邸・別荘)で知られ、ディオニュソスの家、アイオンの家、テセウスの家、オルフェウスの家では美しいモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)を見ることができる。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代の遺構には、4世紀後半の建設で初期キリスト教時代の貴重な建物やモザイク画が残るクリソポリティッサ聖堂や5世紀の教会堂跡であるパナギア・リメニオティッサ聖堂、7世紀にアラブ帝国ウマイヤ朝の脅威に対して築かれたサランタ・コロネス城がある。海岸沿いのパフォス城はサランタ・コロネス城が1222年の地震で倒壊した後、築かれた城だ。

ネア・パフォスの北に位置するネクロポリス(死者の町)は紀元前4~後3世紀ほどに使用された地下墓地群で、埋葬されていたのは王より貴族や政府高官が多かったようだ。砂岩を掘り抜いて築かれており、墓によってはドーリア式の柱が立ち並ぶペリスタイル(列柱廊で囲まれた中庭)やフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)が見られ、地下神殿のような構造を持つ。

こうして栄えたネア・パフォスだが、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)はキプロス島の中心をニコシアに移し、港としての機能もラルナカに追い越されて徐々に衰退した。

■構成資産

○カト・パフォス市におけるアフロディーテの聖地

○カト・パフォスのネクロポリス(王墓群)

○クークリア村のアフロディーテの聖域(パラエ・パフォスあるいはオールド・パフォス)

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

キプロス島は紀元前6000年紀以来、豊穣の女神を祀る聖域として知られていた。パラエ・パフォスはもともとギリシア以前の豊穣の女神を祀る聖域で、この時代の数々の遺構や遺物が発掘されている。アフロディーテ神殿は紀元前12世紀の創建で、ミケーネ人の最古の入植地のひとつでもある。

ヘレニズム~ビザンツの時代に描かれたネア・パフォスのモザイク画は非常に珍しいものであるのみならず世界有数の傑作である。ネア・パフォスのヴィッラや宮殿・城・ペリスタイルの墓といった遺構は古代建築を解明するための鍵のひとつであり、際立った歴史的価値を持つ。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

パフォスのローカルな女神信仰や、アフロディーテやヴィーナスに対する信仰は愛と美の象徴として地中海やヨーロッパに広く認知・称賛された。その宗教的・文化的意義は大きく、この遺産の顕著な普遍的価値に大きく貢献している。

■完全性

ヴィッラ・宮殿・劇場・要塞・モザイク画・墓・ネクロポリスなど、パフォスの顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素は構成資産に含まれている。バッファー・ゾーンは設定されていないが、考古遺跡の周辺に設けられた管理区域がその役割を果たしている。資産は開発や放棄の悪影響をさほど受けていない。景観や環境を変える恐れのある資産周辺の開発圧力に対しては他の政府部門や自治体との協力を通じて対処されている。

保全作業は資産の完全性を妨げることなく、もともとの素材とその美的価値を尊重しながら構造的安定性を確保することを目的として行われている。中でもモザイク床の保全には特別な注意が払われており、2004年に終了した保全プロジェクトではゲッティ保全研究所の支援を受けた。モザイク床の大規模な保全プログラムは2011年に考古省によって開始されたが、 その目的は考古遺跡の科学的保存の継続的な努力により資産周辺の開発圧力に抵抗することにあった。こうした政府の努力によって資産の完全性は維持されている。

■真正性

パフォスの資産は位置や構造・形状・デザイン・素材等に関して本物である。女神信仰に関連する考古学的遺構や貴重なモザイク画、都市・軍事・葬祭建築の遺構といったパフォスの特長となる要素の真正性は高いレベルで維持されている。

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