アスクレピオスの聖地エピダウロス

Sanctuary of Asklepios at Epidaurus

  • ギリシア
  • 登録年:1988年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)
  • 資産面積:1,393.8ha
  • バッファー・ゾーン:3,386.4ha
世界遺産「アスクレピオスの聖地エピダウロス」、イオニア式の柱が立ち並ぶアバトン
世界遺産「アスクレピオスの聖地エピダウロス」、イオニア式の柱が立ち並ぶアバトン (C) Michael F. Mehnert
世界遺産「アスクレピオスの聖地エピダウロス」、古代劇場
世界遺産「アスクレピオスの聖地エピダウロス」、古代劇場。すぐれた音響効果で知られ、現在もコンサートや演劇の公演などが行われている
WHO(世界保健機関)の旗章。中央のクスシヘビを巻いた杖は「アスクレピオスの杖」と呼ばれており、医学のシンボルとなっている
WHO(世界保健機関)の旗章。中央のクスシヘビを巻いた杖は「アスクレピオスの杖」と呼ばれており、医学のシンボルとなっている。アスクレピオスはヘビの姿で現世に現れるという伝説に基づいている

■世界遺産概要

ギリシア都市国家エピダウロス近郊に築かれた医学の神アスクレピオスを祀るアスクレピオスの聖域=アスクレペイオンを中心とした古代遺跡。アスクレピオス神殿をはじめとする神殿群や祭壇のみならず、患者や巡礼者を収容する治療所やゲストハウス、湯治のためのスパや公衆浴場、屋外・屋内競技場、古代劇場などを備えた複合治療施設で、「癒やしの聖域」としてギリシア全域にその名を轟かせた。

○資産の歴史と内容

ペロポネソス半島東部に位置するエピダウロスは紀元前2000年紀から人間の居住の跡があり、港を中心に港市国家として発達した。紀元前8世紀には8kmほど離れた山中のアルゴリデス渓谷のテラスがアポロン・マレアタスの聖域として崇められ、アポロン・マレアタス神殿が築かれた。アポロン・マレアタスはゼウスの息子でオリュンポス12神の1柱である太陽神アポロンと半神の英雄マレアタスが習合(複数の宗教を融合・折衷させること)した信仰で、アポロン信仰の一種といえる。

紀元前6世紀頃になるとアポロン・マレアタス信仰は徐々にアスクレピオス信仰に移行し、アポロン・マレアタスの聖域と同時にアスクレペイオンが整備され、やがて吸収された。伝説によると、アポロンはテッサリアの娘コロニスと結ばれるが、純白のカラスがコロニスの浮気を進言したことからアポロンは彼女を弓矢で射殺してしまう。浮気はカラスの嘘だったためカラスを真っ黒に変え、身ごもっていたコロニスから胎児を取り出して救出した。あるいは別の伝説では、不貞を働いたためコロニスはアポロンの姉アルテミスによって殺害され、出産した赤ん坊がこの地に捨てられた、あるいはアポロンによって救出されたという。この赤ん坊がアスクレピオスで、赤ん坊が生まれた場所がアスクレペイオンとされている。アスクレピオスは半人半獣のケンタウロス族の賢者ケイローンに育てられ、特に医学において才能を発揮し、死者をも蘇らせる秘法を編み出した。生死の定めをも超越するアスクレピオスに対して冥界の王ハデスが最高神ゼウスに抗議すると、ゼウスはアスクレピオスを雷撃で撃ち殺し、天に召されたアスクレピオスを神々の一員として迎え入れたという。

アスクレピオスはオリュンポス12神でも絶大な人気を誇るアポロンの息子であり、医学・癒やし・幸福の神として大いに人気を博した。紀元前4~前3世紀に全盛期を迎え、アスクレペイオンには数々の建造物が立ち並んだ。中心を担ったのがアスクレピオス神殿で、建築家テオドトスの設計で短辺に6本、長辺に11本の柱を持つ周柱式のドーリア式(ドリス式)神殿で、コリント式の柱が立ち並ぶ本殿にはアスクレピオスの像が据えられていた。神殿としてはこれ以外にアルテミス神殿、テミス神殿、アポロンの祭壇、円形神殿トロスなどが築かれた。

特徴的な建物がアバトン(エンコイメテリオン)だ。神に選ばれた者だけが滞在を許される治療施設で、ここで眠って夢の中でアスクレピオスと交流を行い、精神的な治療を行った。一帯は湯治場としても知られており、アスクレピオスの温泉をはじめ数々の温泉や鉱泉・公衆浴場、カタゴギオン(スパ・ホテル)などが設けられていた。こうした施設に水を供給する井戸や上下水道・噴水などの水管理システムも当時最先端を誇った。患者は巡礼者はこうした治療施設やゲストハウスに滞在して心と身体の癒やしを図った。

癒やしは健康で文化的な生活をも含んでおり、スタディオン(屋外競技場)、ギムナシオン(屋内競技場・体育館)、オデオン(屋内音楽堂)、小劇場など音楽・運動施設も充実していた。特に14,000人を収容する古代劇場(エピダウロス劇場)は小ポリュクレイトスが設計したギリシア建築の最高峰のひとつで、ギリシア中を歩き回った地理学者パウサニアスが絶賛したことで知られている。エピダウロスでは4年に1度、体育競技会が開催されており、こうした運動施設はその舞台でもあった。

エピダウロスではじまったアスクレピオス信仰はギリシア中に広がり、全土から治療を求める患者や巡礼者が集まった。エピダウロスのアスクレペイオンを模範に各地にアスクレペイオンが築かれたが、特にギリシアのアテネのアクロポリス(世界遺産)やコス島、パロス島、トルコのペルガモン(世界遺産)、イタリアのティベリーナ島の神殿がよく知られている。アスクレペイオンは紀元前1世紀にローマの将軍スッラによる略奪や海賊による侵略を受けて荒廃するが、1~2世紀にはローマ帝国の庇護を受けて聖域としてありつづけた。

3~4世紀にキリスト教が広がると下火になり、392年にローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教以外の宗教を禁止し、426年にテオドシウス2世が異教神殿破壊令を出したことでアスクレピオス信仰は途絶えた。それでも5世紀頃まで治療所として患者を集めていたが、522年と551年に大地震に見舞われて壊滅的な被害を出し、放棄された。

■構成資産

○アスクレピオスの聖地エピダウロス

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

エピダウロスの古代劇場はアルゴス出身の建築家・小ポリュクレイトスによって設計された傑作であり、そのプロポーション、周辺との調和、音響効果といった点で際立っており、きわめて独創的な芸術的成果を示している。古代劇場は1955年から毎年開催されているエピダウロス・フェスティバルの舞台として復活し、現在も使用されている。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

エピダウロスのアスクレペイオンはギリシア世界のすべてのアスクレペイオンの模範となり、ローマの医神エスキュラペの聖域にも多大な影響を及ぼした。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

聖域を構成する建造物群はギリシア・ローマ世界の癒やしの信仰に関する卓越した証拠であり、癒やしの神々に捧げられた神殿や治療施設は首尾一貫した完全な建築アンサンブルを構成している。19世紀後半から20世紀前半にかけて行われたパナギオティス・カヴァディアスやパパディミトリウら考古学者による発掘調査はこの建造物群の全容解明に大きく貢献した。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

アスクレピオス神殿、アルテミス神殿、古代劇場、トロス、アバトン、プロピュライア(前門)といった聖域の建造物群は紀元前4世紀のギリシア建築の卓越した例である。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

アスクレペイオンは不治とされていた難病の患者を奇跡的に治したという精神的な治療によって評判となった。聖域の機能的発展によって近代的な医学が直接的かつ実体的に促され、これらは博物館に保存されている石碑の碑文によって示されている。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての重要な要素が含まれている。聖域で発見された建造物群は実際に使用されていた初期キリスト教時代までのすべての機能、たとえば神殿での礼拝、アバトンでの夢治療、運動施設を利用した治療の促進、公式競技の実施などが表現されている。1984年以降、聖域は厳正な保護区に指定されており、新たな建物の建設はいっさい認められていない。1,393.8haの保護区がそのまま世界遺産の資産となっており、周辺を囲っている3,386.4haのバッファー・ゾーンによって聖域の景観と自然環境がほぼ完全に保護されている。

■真正性

エピダウロスの古代劇場は古代の数多くの劇場の中でも抜きん出たものであり、その形状と素材は本物で真正性が保たれている。スタディオンについても当時の形状と素材を90%程度維持している。聖域の他の多くのモニュメントについてもデザインと素材の多くが保持されており、古代の形態・構造が確認できる。修復については建物の可読性と可逆性の原則に留意し、修復の国際的な基準に従って行われている。聖域の位置と環境はほぼ完全に保存されているため、訪問者は当時の様子を感覚的に体験することができる。

■関連サイト

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