ポレッチはアドリア海北部のイストリア半島に位置する古都で、6世紀にその北端にエウフラシウス聖堂(エウフラシウス・バシリカ)が建設された。聖堂建築群は主にビザンツ建築の聖堂・アトリウム(前庭)・洗礼堂・司教宮殿・礼拝堂といった施設からなり、ビザンツ美術最高峰のモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)や彫刻・大理石柱・スタッコ細工で彩られている。
ポレッチはアドリア海に突き出した東西600m・南北300mほどのひし形の小さな半島に築かれた町で、紀元前2世紀に軍事拠点カストルムが築かれ、1世紀には植民都市パレンティウムに発展した。3世紀にはキリスト教コミュニティが存在し、聖マウルスが宣教を行っていたが、聖マウルスは帝都ローマ(世界遺産)に赴き、迫害を受けて3世紀後半に殉教したという。313年頃、ローマから運び込んだ聖マウルスの遺骨をはじめとする聖遺物を収めるために、ポレッチ北端付近のローマの邸宅内に礼拝堂が築かれた。4世紀後半にホールが増築され、5世紀には三廊式(身廊の上下に側廊を設けた様式)でアプス(後陣。主祭壇を置く半円形に飛び出したスペース)のないバシリカ式教会堂が建設された。
6世紀半ば、エウフラシウス司教は教会堂が損傷したため刷新を決定し、553年頃から旧教会を一部利用しながら聖母マリアに捧げる聖母マリア被昇天聖堂、現在のエウフラシウス聖堂の建設を開始する。聖堂は三廊式で3つのアプスを持つバシリカ式教会堂で、約10年を経て完成。建設当時は皇帝ユスティニアヌス1世の治世でビザンツ帝国とビザンツ美術の最盛期に当たり、華やかなビザンツ様式のモザイク画や彫刻、大理石柱やスタッコ(化粧漆喰)装飾で彩られた。際立っているのが中央の大アプスで、この時代特有の黄金を背景としたモザイク画で、アプス上部の東壁はイエスと十二使徒、アーチ部分には12人の女性殉教者が描かれている。ドーム部分のモザイク画の中心はイエスを抱く聖母マリアで、両脇には天使と一緒に聖マウルスやエウフラシウスも描かれている。アプス内部、大理石柱で支えられた天蓋を持つシボリウムもモザイク画で装飾されているが、こちらは1277年に設置されたものだ。身廊と側廊を分ける18本の大理石柱の柱頭と化粧漆喰はロマネスク・ゴシック様式で、アーチにもモザイク画が施されている。側廊の小さなアプスや西ファサード(正面)上部にもモザイク画が残されているが、西ファサードのモザイク画は15世紀のものだ。
エウフラシウスは聖堂のみならず周辺に数々の建造物群を建設した。聖堂の西ファサードの先に設置したのがペリスタイル(列柱廊で囲まれた中庭)のアトリウムで、ローマ時代の教会遺跡が残されている。さらに西には八角形の洗礼堂があり、中央の洗礼盤には洗礼のための聖水がたたえられている。アトリウムの北には司教宮殿があり、数々のホールが残されているが、建設当時の建物は少ない。また、聖堂の北東には小さなバシリカ式の記念礼拝堂が設置された。
洗礼堂の西に立つ鋭いスパイア(ゴシック様式の尖塔)を持つ鐘楼は1522年の建設で、高さ35mを誇る。これ以外に17世紀・19世紀に建設された三葉式礼拝堂などがあり、聖堂北にはモザイク画の床など4~5世紀の教会堂跡が発掘されている。
2~3世紀に伝わった古代のキリスト教がビザンツ様式の影響を受けて飛躍し、正教会やローマ・カトリック、ロマネスクやゴシックの影響を加えて発展する様子を示している。
エウフラシウス聖堂が初期キリスト教の卓越した建造物群であるのはもちろん、モザイク画・彫刻・大理石柱・スタッコ・家具といった装飾や調度品はローマやビザンツといった古代から中世にかけての文化を伝える稀有な証拠である。
エウフラシウス聖堂建築群はもっとも完全に保存された初期キリスト教の教会コンプレックスであり、教会堂・礼拝堂・洗礼堂・アトリウム・宮殿といった初期キリスト教建築を構成するほぼすべての要素を備える唯一の例である。これらの建造物において構造から建築まで1,400年前の姿をほぼ完全に留めている。
資産は顕著な普遍的価値を示すすべての主要な要素を含んでおり、法的に保護されている。司教宮殿は1992年に移転したが博物館となっており、教会堂は現在も大聖堂として使用されていてその機能を維持している。18世紀に聖堂が改修された際、建造物群の状態はよくなかった。倒壊の危険などから19世紀に洗礼堂やアトリウムが再建され、その後も考古学的な発掘調査とあわせて修復が進められている。近年の修復は調査結果を元に細心の注意を払って行われており、完全性は維持されている。
エウフラシウス聖堂の建造物群は建設当時の姿をほぼ留めているが、時代時代の改修・修復を受けている。基本的に大きな変更はなされていないが、継続的な修復がモニュメントの多層的な歴史を留める史料となっており、むしろ本質的な価値を与えている。近年の修復は1964年のヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に則っており、真正性は高いレベルで維持されている。