スイス東部、グラールス・アルプスのさらに東部に位置する世界遺産で、約5,000万年前の新しい地層の上に3億~2億5,000万年前の古い地層が乗り上げたナップ構造(異なる地層が乗り上げた構造)を特徴とするグラールス衝上断層で知られる。この地の地形の研究は18世紀以降の地質学の発展に大きく寄与し、特に地球表面のプレートと呼ばれる岩盤が移動して大陸や山脈を形成するというプレート・テクトニクス理論の発展を促した。
1800年前後にスイスの科学者ハンス・コンラッド・エッシャーはグラールス・アルプスで新しい岩石の層の上にきわめて古い岩石層が堆積している地形を発見した。父の影響で地質学者となった息子アーノルド・エッシャーは19世紀に地層を詳細にマッピングし、なんらかの巨大な水平力が加わって古い地層が新しい地層に乗り上げたものと推測した。当時、山は熱かった大地が冷やされて収縮する過程で造成される(収縮説)、あるいは浅瀬で堆積した地層が沈み込み、地中深くのマグマで加熱されて地層が変成して隆起する(地向斜説)などと考えられていた。いずれにせよ古い地層ほど下にあるはずで、水平力もほとんど発生しない。アーノルドは地向斜説の隆起による垂直力が複数回掛かって褶曲(しゅうきょく。地層が曲がること)が繰り返されたものと考えたが、十分な仮説とはいいがたかった。
19世紀末~20世紀はじめにイギリスやスイスで逆転した地層が次々と発見され、1893年にはスイスの地質学者ハンス・シャルトとモーリス・ルジオンがスイス・アルプス西部でも2億年前の地層が若い堆積層の上にある事実を発見した。こうした発見によりアルプス山脈周辺で地球レベルの巨大な水平力が加えられ、新しい地層の上に古い断層(地層が割れてできた断裂)が乗り上げる「衝上断層」が発生したと考えられるようになった。
1912年、ドイツの気象学者アルフレッド・ウェグナーは大西洋を挟んだ南アメリカ大陸東岸とアフリカ大陸西岸の形状が似ていることをきっかけに、大陸が移動しているという大陸移動説を提唱した。1960年代には地表は何枚かの固い岩盤=プレートでできており、プレートの動きで大陸移動や造山運動が起こるというプレート・テクトニクス理論が提唱された。この理論によって長らく謎とされていたアルプス山脈の衝上断層を生み出した巨大な水平力が説明可能となった。
現在、アルプス山脈は中生代後半から新生代前半にかけてユーラシア・プレートがアフリカ・プレートに衝突して沈み込んだアルプス造山運動、特に4,000万~2,000万年前に起こった隆起によって誕生したと考えられている。巨大な水平力を受けて地層が褶曲して山脈となるが、一部では地層が断裂して断層を形成し、断層が隣の地表に乗り上げて衝上断層が誕生する。グラールス衝上断層は3億~2億5,000万年前の古生代ペルム紀~中生代三畳紀にかけての火山性礫岩層が約5,000万年前の新生代古第三紀の砂岩層の上に乗り上げることで形成された。断層は100×50km・厚さ3kmほどで、少なくとも北に35kmはズレていることが確認された。こうして形成されたグラールス・アルプスは新生代第四紀(約258万年前~現在)に繰り返された氷期に氷河によって削られて、氷河の通り道がえぐり取られたU字谷などの氷河地形を生み出した。この地域のU字谷の断崖では衝上断層による地層の違いを明確に確認することができる。
グラールス・アルプスの世界遺産登録地は南と東をライン川、西をリント川と支流のサーンフ川、北をヴァレン湖とジーズ川に囲まれた一帯で(ヴァレン湖自体は含まれていない)、リンゲルシュピッツ(標高3,248m)、ピッツ・セグナス(3,099m)、ピッツ・サルドナ(3,056m)、ビュントナー・フォラブ(3,028m)、ピッツ・ドルフ(3,028m)など3,000m以上の峰を7座有する渓谷地帯となっている。U字谷や氷河湖の他にクレーター状に穿たれた圏谷(けんこく)、石や土を削って堆積させたモレーンといった氷河地形が展開し、地滑りによってさらにダイナミックな景観を見せている。特筆すべき地滑りが1万年前に起こったヨーロッパ最大の地滑りとされるフリムス地滑りで、厚さ600~800mの石灰岩層が200m以上滑り落ちて形成された地形が残っている。一帯はグラールス衝上断層をベースに、こうした多彩な地形・生態系・景観が展開している。
本遺産は登録基準(vii)「類まれな自然美」でも推薦されたが、IUCN(国際自然保護連合)はこの基準について、スイス・アルプスの重要な景勝地ではあるが世界的といえるほどではなく、アルプス山脈内においても世界遺産「スイス・アルプス ユングフラウ-アレッチ」のようにより壮大な景観が存在するとし、基準を満たしていないとした。
地球の歴史的・地質学的・地形学的な特徴とプロセスを記録するスイスのサルドーナ地殻変動地帯は造山運動を説明するテクトニクス理論に際立った証拠を提示し、18世紀以降の地質学の発展の鍵となった。すべての訪問者が容易に認めることができるほどハッキリと表れているグラールス衝上断層の露頭が重要であるだけでなく、三次元的に示された衝上断層の上下の地層は造山運動とテクトニクス理論の解明に大きく貢献している。山岳地帯における造山運動に関する明確な露頭、研究の歴史、地球科学への継続的な貢献といった特徴の組み合わせにより、本遺産は他の類似した遺産と明確に区別されている。
資産には造山運動を明示するために必要な地殻構造の特徴がすべて含まれている。主な特徴はグラールス衝上断層とその上下にある関連の褶曲・断層に表れているが、これらへのアクセスも理解も容易である。地質学が形作られた場所として無形的価値をも有しており、そうした研究成果をもたらした地形的特徴は現在も目に見える形で良好な状態で保全されている。