ビルカはストックホルムの西30kmほどに位置するメーラレン湖のビョルケ島に位置するヴァイキング(9~11世紀頃、スカンジナビア半島やユトランド半島を拠点に活動したゲルマン系ノルマン人)時代の都市遺跡で、スウェーデン初の本格的な都市とされる。その南約3kmにあるアデルソ島のホーヴゴーデンは王領地で、行政の中心で宮殿跡や墳丘墓が残されている。
ビルカの設立年代は不明ながら8世紀後半の遺構が発掘されており、少なくとも700年代には成立していた。城壁を巡らせた城郭都市で、9~11世紀にかけて交易都市として繁栄し、現在のロシアからイギリス、アイスランドにかけて海や川の沿岸を広く旅して貿易を行った。その際に使用していたのが喫水の浅い(深く沈まない)「ロングシップ」と呼ばれるヴァイキング船で、軽量で浅い川も遡上できるため海だけでなく陸地をも越えてヨーロッパ中に進出した。これらはビルカの都市遺跡、特に墓から発掘された鉄や宝石・ガラス・絹・毛皮・香辛料といった副葬品によって明らかになっている。最盛期には700人ほどが暮らしており、シンクと呼ばれる議会と法律によって統治され、強い階級制が敷かれていた。
記録によると、フランク王国のルートヴィヒ1世(ルイ1世/ルイ敬虔王)はビルカを支配していたスヴェーア人(ノルマン系の一派で後のスウェーデン人)の王ビョルンに宣教師の派遣を依頼され、829年に司祭アンスガルを派遣したという。アンスガルはホーヴゴーデンの宮殿を訪れてビョルンに謁見し、ビルカに礼拝堂を建てて宣教を行った。アンスガルは852年にもビルカを訪れて礼拝堂を修復しており、こうした宣教の様子は弟子のリンベルトが865年頃に著した『アンスガルの生涯』に記されている。他に司祭ガウベルトらが訪れているが、ヴァイキングたちは北ヨーロッパ土着の神々を崇拝しており、一時的にキリスト教に改宗しても定着はしなかったようだ。1070年頃に記されたブレーメンのアダムによる記録によると、930年頃に司教ウンニが宣教を行っているがキリスト教は根付いておらず、1060年にはもう人もまばらだったという。10世紀後半には交易都市としての立場を北の都市シグトゥーナに奪われ、やがて放棄された。
世界遺産の構成資産はビルカとホーヴゴーデンの2件。
ビルカの遺跡は17世紀頃から発掘が行われ、城壁や塔・砦・港などの遺構が発見されている。軍事建築は石造だが家屋の多くは木造で、この地特有の黒土にその痕跡が残されている。特筆すべきは3,000に及ぶ墳丘墓や墓で、副葬品はフランク王国の宝飾品やラインラント(ライン川沿岸部)の陶器から中国のシルク、ビザンツ帝国の刺繍、イスラム教国のコインまで多彩で、ヴァイキングの貿易圏の広さがうかがえる。当時は物々交換が基本で、食料品の他にクマやキツネ、カワウソの毛皮やトナカイの角の工芸品、コハクなどを輸出し、ビルカ・コインと呼ばれる独自の銀貨も使用していた。丘の上の十字架は1834年にアンスガルの業績を記念して建てられた「アンスガルの十字架」だ。
ホーヴゴーデンはスヴェーア人の王領地のひとつで、8世紀頃から宮殿が築かれていたようだ。王の生活の場であると同時に行政の中心地でもあり、城壁や砦・港といったインフラのほか、行政庁舎や役人の木造住居の跡、墓などが発掘されている。特徴的なのはルーン文字を刻んだ「ルーン・ストーン」と呼ばれる石碑で、いくつか発見されている。U11と呼ばれる港付近に置かれたルーン・ストーンは11世紀のものと見られ、幅2.75m×高さ1.4mほどの花崗岩に文字を刻んだペトログリフ(線刻・石彫)となっている。また、7基の墳丘墓があり、最大のものは直径45m・高さ6mに達する。これらは王墓と考えられているが、内部は調査されていないので詳細はわかっていない。これらとは別に、ホーヴゴーデンの北の墓地では13の小墳墓を含む124基の墓が発掘されている。アルスノ・フスは1270年頃にマグヌス・ラドゥロス王によって築かれた宮殿跡だ。城壁や堀に囲われた平面30×15m・2階建てのレンガと石造りの宮殿で、ここで王立会議が開催された。14世紀に破壊され、土台が残されている。その南西にたたずむアデルソ教会は12世紀後半の建設で、王家の教会であり教区教会だったと見られる。バシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・単廊式(身廊のみで側廊を持たない様式)の小さな教会堂で、隣接の鐘楼は18世紀に再建されたものだ。
ビルカとホーヴゴーデンの建造物群はヴァイキングによって築かれた貿易ネットワークの際立ってよく保存された証拠である。ネットワークはきわめて広範囲にわたり、2世紀のあいだ経済的・政治的影響力を行使しつづけた。
ビルカは8~10世紀におけるヴァイキングの交易都市のもっとも完全で手付かずな証拠のひとつである。
資産にはビルカとホーヴゴーデンの顕著な普遍的価値を示すために必要なすべての要素が含まれている。ビルカには丘の砦、町の城壁、墓地の古墳、ヴァイキング時代の入植地跡、海岸線沿いに桟橋と港などが残っている。アデルソ教会に隣接するホーヴゴーデンの王領地では墳丘墓や墓地・港・石碑、そして土のテラスの上に築かれた13世紀の宮殿跡であるアルスノ・フスなどを見ることができる。
ビルカとホーヴゴーデンのすぐれた文化史料は陸域と水域のいずれからも発見されており、調理器具のような日用品から工芸品、遠く離れた場所で生産された貿易品まであらゆるものが含まれている。考古学的に発掘されたのは敷地の1%に満たず、ビルカの3,000以上の墓については1/3が調査されたにすぎない。
資産とバッファー・ゾーンともに十分で開発や放置による悪影響を受けていないが、バッファー・ゾーンの保護については改善の余地があり、新しい建物の建設に対して対策が必要である。
ビルカとホーヴゴーデンの考古遺跡は位置や環境・形状・デザイン・素材・原料といった点で本物であり、真正性は維持されている。ビルカの資産内に新たに建設された建物は存在せず、バッファー・ゾーンについては復元されたヴァイキング時代の4棟の住宅や博物館、訪問者やスタッフのための施設がいくつか立っている。ホーヴゴーデンにはこうした公的な建物は存在しない。
ビルカとホーヴゴーデンの真正性に対する潜在的な脅威としては、森林火災や農場の影響、近隣でのレジャーや旅客船の往来による海岸線の損傷、島の近くを通る輸送船が運ぶ危険物による環境破壊のリスク、観光客による地表の損傷、ビョルケ島の過疎化、考古学的研究の不十分さなどが挙げられる。