イビサ島(エイヴィサ島)はバレンシアの北東150kmほどに浮かぶバレアレス諸島のほぼ西端の島で、地中海屈指のリゾートとして知られる。地中海を制した古代海洋民族フェニキア人が地中海西部の拠点都市として整備し、以降はローマ帝国、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)、スペイン王国など多くの国の主要港として発展した。特にルネサンス様式の要塞は近世の地中海軍事建築を代表するものだ。また、イビサ島と南のフォルメンテラ島の間の海域にはポシドニアの草原が広がっており、地中海屈指の生物量と生物多様性を誇る。本遺産はこうした文化・自然両面の顕著な普遍的価値が認められ、複合遺産として世界遺産リストに登録されている。
イビサ島には紀元前2000年ほどまでさかのぼる青銅器時代の遺跡が発見されている。紀元前12世紀頃からレヴァント地方(現在のシリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル周辺)のフェニキア人が地中海で貿易を開始し、やがてケルクアン、レプティス・マグナ、サブラータ、ティパサ(すべて世界遺産)など地中海全域に拠点となる植民都市を建設した。もっとも有力なフェニキア都市がカルタゴ(世界遺産)で、そのカルタゴが紀元前654年にイビサ島に建設した植民都市がエビソス(イビソス)だ。港が置かれたのは旧市街のダルト・ヴィラ周辺で、以後2,000年にわたってイビサの町の中心としてありつづけた。西のプッチ・デス・モリンスのネクロポリス(死者の町)はこの時代の葬祭場で、人々は火葬後に遺灰を骨壺に入れてこの地の洞窟に収めて祀った。この墓地はローマ時代の終わりまで使用された。イビサ島には他にも複数のフェニキア入植市が築かれたが、そのひとつがサ・カレタだ。800人ほどが暮らした集落跡が残っているが、紀元前590年頃に放棄されたようだ。ダルト・ヴィラ、プッチ・デス・モリンス、サ・カレタは本世界遺産の構成資産となっている。
紀元前2世紀にカルタゴが衰退して都市国家となるが、やがてローマ帝国の版図に入った。この時代には交易以外に羊毛や塩、イチジク、ワインなどの生産で名を馳せた。特にフォルメンテラ島北部の沿岸は塩の名産地として名高い。ローマ帝国滅亡後はヴァンダル王国、ビザンツ帝国の支配を受けたが、自治都市として活動する期間も長かった。902年にイスラム教徒であるアラブ人がこの地を占領した。城壁内に白壁の高層住宅が密集する街並みはマグリブ(リビア以西の北アフリカ)のアラブ人のスタイルで、この頃にベースが築かれた。その後、北アフリカの遊牧民族であるベルベル人も入植を行い、市民のほとんどがイスラム教徒となった。
1235年、アラゴン王国のハイメ1世がレコンキスタ(国土回復運動)を進め、イビサ城を落として占領する。イスラム教徒を追放してキリスト教徒の入植を進め、バレアレス諸島にマヨルカ王国を興して治めさせた。このとき教区教会としてダルト・ヴィラに創建されたのがイビサ大聖堂(ヴェルヘ・デ・ラス・ネウス大聖堂/雪の聖母大聖堂)だ。13世紀にゴシック様式で建設され、17世紀に内装がバロック様式で改装され、18世紀に司教座が置かれて大聖堂となっている。
スペイン王フェリペ2世はオスマン帝国を警戒してスペインとイタリア間の海域を守るためにイビサ城の改築を決め、イタリア人建築家ジョヴァンニ・バティスタ・カルヴィとヤコポ・パレアッツォ・フラティンに設計を依頼した。建設は1584~85年に進められ、現在見られるダルト・ヴィラの要塞が完成した。7基の稜堡が突き出したルネサンス様式の要塞で、以後地中海や南北アメリカ大陸の要塞や城壁のモデルとなった。エクストラムロス(城壁外)では高層住宅が密集した形で城下町が発展したが、家並みが城壁(ハウス・ウォール)の役割を果たすマグリブの都市構造で、こうして堅牢な要塞都市が構築された。島はスペイン王国の下でマヨルカ王国の自治が行われていたが、1715年にフェリペ5世によって王国が廃止されてスペインに編入された。
本世界遺産の自然遺産としての資産はイビサ島からフォルメンテラ島にかけての海域で、陸地は両島の潟とペンヤツ島、エスパーデル島、エスパルマドール島と周辺の岩に限られる。海域は水深0~40mの浅瀬で、ポシドニアと呼ばれる海草の中でも地中海の固有種であるポシドニア・オセアニカの草原が広がっている。ポシドニアの草原は熱帯雨林に匹敵するほどのバイオマス(空間あたりの生物量)を誇り、熱帯雨林の1haあたり22t/年に対し、21t/年に及ぶ。魚介類のきわめて重要な孵化場で、地中海全域の生態系に影響を与えている。また、ポシドニアはビーチに根を張って砂を締め固めて侵食を防いでおり、美しい潟の形成に重要な役割を果たしている。サンゴ類についても220種と地中海屈指の多様性を誇り、貴重なサンゴ群が散在している。ホヤの一種で癌治療薬トラベクテジンを生産することで知られるエクテイナシディア・トゥルビナータの貴重な群生地でもある。
こうした豊かな海洋生態系が多数の鳥類を養っており、周辺では171種の渡り鳥を含む205種の鳥類が報告されている。その重要性からラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)にも登録されている。
また、希少な生物種も数多く、植物については11種、動物については無脊椎動物56種、爬虫類11種、哺乳類5種が固有種だ。チチュウカイモンクアザラシのようなIUCN(国際自然保護連合)レッドリストの危機種(EN)や危急種(VU)も少なくない。
16世紀に建設された要塞はほとんど手付かずで、軍事建築とその工学技術、ルネサンス的美学のきわめて独創的な証拠である。イタリアとスペインの軍事建築のモデルとなり、特に新世界(ヨーロッパ人が大航海時代に発見した新たな土地)の都市と要塞に多大な影響を与えた。
サ・カレタの都市遺跡とプッチ・デス・モリンスのネクロポリスは地中海西部のフェニキア人植民地の都市構造と社会生活の卓越した証拠である。これらは都市の遺構やフェニキア人・カルタゴ人の墓から発掘される副葬品などの遺物の量と重要性の両面で際立っている。
イビサのダルト・ヴィラは要塞化された近世都市のすぐれた例であり、城壁や都市構造はフェニキアの入植時代からアラブ・アラゴンを経てスペインによるルネサンスの時代まで、時代時代の特徴を留めている。城壁の構造はほとんど破壊されておらず、それを組み込んだ形で増築されている。
イビサの海岸線の進化は沿岸の自然環境と海洋生態系の相互作用によるもので、特にポシドニアの影響を示す最良の例のひとつである。
ポシドニアは地中海の海洋生物の多様性を育んでおり、固有種や絶滅危惧種を守っている。しかしながら状態のよいポシドニアは地中海のほとんどの海域で危機的状況にある。
文化遺産について、ダルト・ヴィラは城壁で区切られており、フェニキアの遺跡群についても明確に区分され、法的保護を受けている。ダルト・ヴィラやプッチ・デス・モリンスの周辺および北の広い範囲がバッファー・ゾーンに指定されており、岬や海、後背地も含めて保護されている。サ・カレタについては海域が自然遺産としての資産に含まれている。
自然遺産について、1995年に自然保護区に指定され、さらにラムサール条約などの登録地でもある。保護区内において漁業は認められておらず、漁師の協力も得られている。毎年多くの観光客が訪れているが、密猟や違法なアトラクションなどは沿岸警備隊や警察・ボランティアらによって監視されている。ただ、都市部からの排水による影響が見られ、新たな排水用海底パイプラインの敷設が懸念される。また、イビサ港の拡張計画なども十分な事前調査が必要である。
フェニキア時代の遺構について、モニュメントは再建されておらず、構築物はオリジナルで、ネクロポリスなどの考古学的調査も真正性に影響を与えていない。ダルト・ヴィラについて、社会生活の変化に対応するため若干の変更はなされているが、都市構造は損なわれておらず、16世紀の城壁については素材も形状もオリジナルのまま伝えられている。鉄筋コンクリート製の階段や側溝など一部に不適切な改修が見られるが、全体としては真正性は維持されている。