サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]

Santiago de Compostela (Old Town)

  • スペイン
  • 登録年:1985年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(vi)
  • 資産面積:107.59ha
  • バッファー・ゾーン:216.88ha
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂、オブラドイロのファサード
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂、オブラドイロのファサード
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂、アサバチェリアのファサード。左はベレンゲラ塔、右はオブラドイロのファサードの双塔
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂、アサバチェリアのファサード。左はベレンゲラ塔、右はオブラドイロのファサードの双塔 (C) José Luis Filpo Cabana
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、ヘナロ・ペレス・ヴィリャーミル「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂・栄光の門」1849年、モンクロア宮殿収蔵
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、ヘナロ・ペレス・ヴィリャーミル「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂・栄光の門」1849年、モンクロア宮殿収蔵
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、オブラドイロ広場、左がラホイ宮殿、右がオスタル・ドス・レイス・カトリコス
世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街]」、オブラドイロ広場、左がラホイ宮殿、右がオスタル・ドス・レイス・カトリコス (C) slideshow bob

■世界遺産概要

サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペイン北西部ガリシア州の州都で、9世紀にイエスの十二使徒のひとりであるヤコブの墓が発見されたことからヨーロッパ最大の聖地のひとつとなった。イスラム教勢力がイベリア半島の大半を治めていた時代であり、ヤコブ信仰はキリスト教徒による国土回復運動=レコンキスタの象徴となり、墓所の聖地化や巡礼路の整備が進められた。この結果、旧市街には修道院や教会堂・宮殿が集中し、ロマネスク、ゴシック、バロックといった時代時代の様式で華やかに彩られた。なお、「サンティアゴ」は聖ヤコブを意味するラテン語 "Sanctus Iacobus" が転化したもので、「コンポステーラ」はラテン語の「よい場所」あるいは「タイルの場所(墓地の婉曲表現)」に由来すると考えられている。また、旧市街は世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミーノ・フランセスとスペイン北部の巡礼路群」の構成資産でもある。

○資産の歴史と内容

伝説によると、イエスの十二使徒のひとりに数えられるヤコブ(ゼベダイの子のヤコブ/大ヤコブ)はイエスの死後、イベリア半島で宣教を行ったという。宣教を終えて帰国するとユダヤ統治者アグリッパ1世に捕縛され、西暦43年頃にエルサレム(世界遺産)で処刑された。弟子たちはヤコブの棺をイベリア半島のガリシアに送って埋葬したが、埋葬地は8世紀のウマイヤ朝や後ウマイヤ朝といったイスラム教勢力の支配を受けていつしか忘れ去られてしまった。814年頃のある夜、ペラギウスという隠者がリブレドンと呼ばれる森の上で星が輝いているのを見つけた。近付いてみると荒れ果てたローマ時代の墓が神秘的な光で照らし出されている。知らせを受けた司教テオドミロはこの墓がヤコブのものであることを発見し、アストゥリアス王アルフォンソ2世に報告した。アルフォンソ2世はその場所に聖堂を建設して埋葬することを命じ、818年頃に完成すると最初の巡礼者になったという(以上の伝説には異説も多い)。アルフォンソ2世はサンティアゴ・デ・コンポステーラ聖堂の聖地化と巡礼路の整備を進めた。一例がアストゥリアス王国の首都オビエド(世界遺産)で、教会堂を建設すると同時にサンティアゴ・デ・コンポステーラに至る「原始の道(世界遺産)」と呼ばれる巡礼路を整えた。

次のラミロ1世の時代、844年にムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)との間で起こったクラビホの戦いにおいて、白馬に乗ったヤコブが現れてムーア人を一掃して勝利に導いたという。「ムーア殺し」ヤコブ伝説が広がるほどにヤコブ信仰とサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼は活発化し、レコンキスタを支えるキリスト教の象徴となった。アルフォンソ3世の時代に巡礼者が急増したため、9世紀末にサンティアゴ・デ・コンポステーラ聖堂はアストゥリアス様式の教会堂に建て替えられた。

997年に後ウマイヤ朝のアルマンスールの攻撃を受けて町が破壊され、聖堂も損傷を受けた。再建はアストゥリアス王国やレオン王国を引き継いだカスティリャ=レオン王国のアルフォンソ6世によって1075年に開始された。この年、サンティアゴ・デ・コンポステーラは司教区となり、教会堂は司教座が置かれた大聖堂となった。再建のモデルとなったのはフランス屈指のロマネスク建築であるトゥールーズのサン=セルナン・バシリカ(世界遺産)で、12世紀を通して建設が進められ、1211年にアルフォンソ9世によって奉献された。この後もルネサンス、バロック、新古典主義など時代時代の様式で増築・改修を受けた。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂はおよそ100×70mのラテン十字式で、ベースは13世紀に完成したロマネスク様式だ。四方にファサード(正面)とポータル(玄関)を持ち、メインは西のオブラドイロのファサードで、東はキンタナのファサード、南はプラテリアスのファサード、北はアサバチェリアのファサードと呼ばれている。オブラドイロ広場に面したオブラドイロのファサードは18世紀の増築で、建築家フェルナンド・デ・カサス・ノヴァによるバロック様式の作品だ。双塔のカンパナス塔、カラカ塔と中央にランチェット塔という3塔を持ち、中央最上段にヤコブの墓の上に輝いたという聖なる星とヤコブ像が掲げられている。下段はヒネス・マルティネスによるルネサンス様式の階段だ。オブラドイロのファサードの内側はポルティコ(列柱廊玄関)で、彫刻家マテオの最高傑作とうたわれる栄光の門(ポルティコ・デ・ラ・グロリア)が控えている。1188年に完成した3つの門を持つポルティコで、200以上のロマネスク彫刻で覆われており、巡礼路のゴールを飾るにふさわしい見事な作品となっている。中央上の半円形のティンパヌム(タンパン)にはイエスや預言者・天使・使徒の彫刻が並べられ、キリスト世界の集大成となっている。ティンパヌムを支える中央のマリオン(柱)の大きな彫像はヤコブで、左右の柱にはさまざまな預言者・使徒・聖人らの彫刻が設置されている。東のキンタナのファサードにはバロック様式の聖なる門と王家の門があり、聖なる門は特別な日にのみ開放され、王家の門はその名の通り王室専用の門だった。南のプラテリアスのファサードはロマネスク様式で、イエスの物語などを描いた彫刻とレリーフで飾られ、12世紀はじめの姿を留めている。北のアサバチェリアのファサードは18世紀に焼失した後、バロック様式で再建され、1769年に新古典主義様式で仕上げられた。大聖堂はまた十字の交差部に鐘楼、東のアプス(後陣)に隣接してベレンゲラ塔(時計塔)を持つ。ベレンゲラ塔はガリシアを代表するバロック建築家ドミンゴ・デ・アンドラーデの傑作だ。

大聖堂の内部は身廊とふたつの側廊を持つ三廊式で、ロマネスク様式がベースながらゴシック様式の改修を受けている。クワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)や主祭壇はバロック様式、講壇はルネサンス様式で、見事な彫刻やレリーフで彩られている。主祭壇の地下のクリプト(地下聖堂)は9世紀から伝わる聖所で、ヤコブとその弟子であるアタナシウスとテオドロスの墓が収められている。これ以外にロマネスク様式のサルヴァドール礼拝堂、ゴシック様式のモンドラゴン礼拝堂、バロック様式のピラール礼拝堂をはじめ数多くの礼拝堂があるほか、王家のパンテオンと呼ばれる礼拝堂にはレオン王フェルナンド2世やアルフォンソ9世といった王の棺が収められている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街ではこの大聖堂を中心に修道院や教会堂・宮殿・公共施設が数多く建設された。世界遺産の構成資産は大聖堂を中心とした歴史地区と、サンタ・マリア・デル・コンソ修道院の2件で、歴史地区は大ざっぱに東のノサ・セニョーラ・ダ・アングスティア教会(悲しみの聖母教会)、西のアラメダ公園、南のサンタ・マリア・ア・レアル・ド・サル教会、北のサン・フランシスコ修道院とサンタ・クララ修道院の周辺および内側が地域として登録されている。

資産内の代表的な修道院として、大聖堂の北に位置するサン・マルティン・ピナリオ修道院が挙げられる。10世紀創建のベネディクト会の修道院で、マドリードのエル・エスコリアル修道院(世界遺産)に次ぐスペイン最大級の規模を誇る。建物は16世紀にルネサンス、バロック、新古典主義様式で再建され、バロック様式の主祭壇やクワイヤで知られる。サン・パイオ・デ・アンテアルターレス修道院は830年頃創建とされる旧市街最古の修道院で、もともとベネディクト会の修道院だったが、15~16世紀に会を離れて女子修道院となった。建物は17~18世紀にバロック、新古典主義様式で再建されたもので、壮大な祭壇画やパイプオルガンが有名だ。サン・フランシスコ修道院は13世紀創建のフランシスコ会の修道院で、1214年に巡礼に訪れたフランス・アッシジ(世界遺産)の聖フランチェスコが建設を命じたとされる。建物は17~18世紀の再建で、バロック、新古典主義様式が混在している。ガリシア民族博物館はサント・ドミンゴ・デ・ボナヴァル修道院だった建物で、バロック建築家ドミンゴ・デ・アンドラーデによる設計で、見事な三重螺旋階段で知られる。大聖堂の南西2.2kmほどにあるサンタ・マリア・デル・コンソ修道院は正式名称をヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセド・デ・コンソ修道院といい、「コンソの慈悲の聖母修道院」という意味になる。12世紀創建の修道院で、創建時から伝わるロマネスク様式のクロイスター(中庭を取り囲む回廊)や17世紀のバロック様式の建物・祭壇が残る。

資産内の代表的な宮殿・公共施設としては、まずオブラドイロ広場の西に位置するラホイ宮殿が挙げられる。1766年に宮殿・神学校・市議会等の複合施設として建築家カルロス・ルマウルらによって設計された建物で、スペインの新古典主義様式を代表する作品となっている。全長90mという壮大なファサードを持ち、現在も州政府や市議会などによって使用されている。オブラドイロ広場の北にたたずむオスタル・ドス・レイス・カトリコス(カトリック君主のホテル/パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ)は1486年に巡礼に訪れたスペインのカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティリャ女王イザベル1世)が建設を命じた建物で、19世紀まで王立病院として使用されていた。建築家エンリケ・エガスの設計で、スペイン特有のルネサンス様式であるプラテレスコ様式のファサードが有名だ。オブラドイロ広場の東に位置するヘルミレス宮殿は12世紀はじめの創建で、重厚なロマネスク様式が伝えられている。パソ・デ・フォンセカは1495年創立のサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の学舎で、16世紀に築かれ、1688年にプラテレスコ様式のファサードが設置された。現在は図書館として使用されている。

■構成資産

○サンティアゴ・デ・コンポステーラ歴史地区

○サンタ・マリア・デル・コンソ修道院(ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセド・デ・コンソ修道院)

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教のもっとも偉大な聖都のひとつであり、歴史地区にはロマネスク美術の世界的傑作として名高い大聖堂をはじめ数々の歴史的建造物が伝えられている。すべてのヨーロッパの文化と芸術は中世から現代に至るまでサンティアゴ・デ・コンポステーラに特別な作品を残している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ロマネスク~バロックの時代、サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖地はガリシアのみならずイベリア半島北部の建築と芸術の発展に決定的な影響を与えた。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

イベリア半島やフランスのみならず北海あるいはバルト海沿岸といった遠方から何千人もの巡礼者がヤコブの象徴である帆立貝のシンボルと巡礼者の杖を携えて、巡礼路に沿ってガリシアの聖地に向かって徒歩で旅を行った。サンティアゴ・デ・コンポステーラは中世史できわめて重要な役割を果たした巡礼に関連した遺産である。

■完全性

サンティアゴ・デ・コンポステーラのすぐれた保護政策によって公共施設や宗教施設といった建造物群の完全性は高いレベルで維持されている。中世の要素がルネサンス以降の要素に統合されているだけでなく、17~18世紀の建築が都市構造と見事に調和している。

旧市街は市民生活とビジネスが観光と共存した住みやすく活気のある町で、都市開発もガリシアの緑を尊重し、歴史的街並みと自然の調和を重視して進められている。資産では都市の建造物群、歴史あるオークの木々、緑のオープンスペースがうまく調和している。

■真正性

その長い歴史の中でサンティアゴ・デ・コンポステーラは建築や芸術などにおいて種々の様式や文化の影響を受け、地元の伝統に取り入れて発展させてきた。こうした融合の結果、この地方の典型的な木製ギャラリーや石や木・鉄を使用した伝統的な装飾を持つガリシア建築と、ヨーロッパや世界各地からもたらされた建築や芸術が調和した稀有な街並みが誕生した。

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