ラ・ロンハ・デ・ラ・セダはスペイン南東部バレンシア州の州都バレンシアに位置する建物で、「ロンハ」は取引所、「セダ」は絹で「絹取引所」を意味する。15世紀後半に後期ゴシック様式で建設されたが、ゴシック、ルネサンス、ムデハルなど多様な要素が見られ、ねじり柱や網状ヴォールト(ネット・ヴォールト)、木製天井といったユニークな装飾が施されている。
1035年にナバラ王国から独立したアラゴン王国はキリスト教徒による国土回復運動=レコンキスタを進め、1137年にバルセロナ伯のカタルーニャ君主国と連合してアラゴン=カタルーニャ連合王国を成立させ、1238年にはイスラム小王朝タイファのひとつであるバレンシア王国を征服した。もともとピレネー山脈周辺の国だったが、この過程でバルセロナ、バレンシアという2大港を手に入れて地中海に進出。アラゴン王ペドロ3世は1282年にシチリア王となり、アラゴン王家はやがてシチリア島、イタリア南部、サルデーニャ島、コルシカ島、ギリシアのアテネ周辺などを支配した。14世紀はペストの流行やもうひとつの大国カスティリャ王国との戦いで低迷するが、15世紀に回復。1469年には国王フェルナンド2世がカスティリャ女王イザベル1世と結婚して同君連合が成立し、1479年に合併して事実上スペイン王国が誕生した。
アラゴンは地中海全域で貿易を行い、レヴァント地方(現在のシリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル周辺)や小アジア(現在トルコのあるアナトリア半島周辺)からは絹や香辛料を運び込んだ。貿易を振興し、王家の承認を経ることなく紛争を解決するため1258年にバルセロナに海の領事館(コンスラード・デル・マール)が設けられ、1283年にはバレンシアにも設置された。やがて地中海全域に領事館が置かれ、バレンシアにはイベリア半島初となる商事裁判所が設置された。また、1408年に市は銀行・両替所・株式市場としてタウラ・デ・カンビスを置き、商業を大いに活性化した。バレンシアは15世紀に黄金期を迎え、スペイン随一の海洋センターとなった。
もともとバレンシアは羊毛などの繊維産業が盛んで、タウラ・デ・カンビスもこれを支援した。14世紀頃から絹織物の取引が活発化し、1469年に新しい絹取引所=ラ・ロンハ・デ・ラ・セダが建設されることが決まった。マヨルカ島パルマ・デ・マヨルカの取引所を参考にゴシック様式で設計され、建築家ペドロ・コンプテ、フアン・イボラ、ホアン・コルベラらによって1482年に起工し、塔とサロンは1498年、庭園などは1533年に完成した。完成後に絹織物の取引量は増大し、建物の南に立つバレンシア中央市場はスペイン随一の絹織物市場として名を馳せた。
柱のサロン(契約の部屋)は土地の半分を占める本館で、平面21.39×17.40m・高さ35.60mを誇り、絹取引所として使用され、金融機関タウラ・デ・カンビスもここに移動した。外観は重厚だが上段の窓枠などにゴシック装飾が見られ、悪魔や怪物を象ったガーゴイル(雨樋)やグロテスク(彫刻)を備え、ティンパヌム(タンパン。ポータル=玄関上部のアーチ内の壁面装飾)には聖母子像が刻まれている。内部はヤシを象ったねじり柱とクモの巣のように広がる網状ヴォールト(ネット・ヴォールト)天井が独特で、窓飾りやドアにゴシック様式の装飾、大理石の床には所々に六芒星(ダビデの星)を配している。
海の領事の広間は地下1階・地上2階の建物で、海の領事館と商事裁判所が設置された。1階も2階もイスラム建築やムデハル様式(キリスト教美術にイスラム美術を取り入れた折衷様式)で見られるような見事な木製天井を持ち、特に2階の黄金の部屋の天井は建築家フアン・デル・ポヨの傑作で、黒と金の見事な文様で彩られている。対して1階はルネサンス様式のシンプルな幾何学文様だ。
塔は4階建てで内部に螺旋階段を備えている。1階には礼拝堂があり、やはりユニークなヴォールト天井を見ることができる。上層階は支払いが滞った者を閉じ込めておく収容施設として使用され、最上階は19~20世紀に修復されている。
オレンジの木のパティオ(中庭)はその名の通りオレンジやヒノキが植えられており、中央に噴水を備えている。周囲のガーゴイルもひとつの見所となっている。
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダの建造物群はきわめて高い品質を誇る後期ゴシック様式の芸術的なモニュメントで、本来の用途である商業施設として5世紀にわたって使用され、よく保存されている。15~16世紀以降、イベリア半島の商人たちが地中海で果たした役割の際立った象徴である。
中世後期以降、ヨーロッパ各地で商業が拡大し、地中海や北海の沿岸部ではギルド・ホールや取引所、市場などといった商業施設が芸術的要素を加えて建設された。この建物はその中でも独創的で卓越した芸術要素を有している。
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダは後期ゴシック様式の世俗建築の際立った例であり、地中海全域に名を響かせた商業都市バレンシアの力と富を明確に示している。
15世紀の建設以来、建物はつねに使用されており、メンテナンスされているため、非常に高い水準で完全性が維持されている。5世紀にわたって取引所・領事館としてありつづけ、現在は市民活動や文化活動に使用されており、変わらず市民の高い支持を得ていて用途や機能も保たれている。1931年に国立歴史芸術記念碑に認定され、以降は国によって管理されているが、修復など大きな改変は行われていない。
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダの真正性は高く、建物は細心の注意を払って維持されており、修復についてもできる限りオリジナルと同じ素材を用いて行われている。この1世紀の間、新たに導入された要素や大幅な改変はほとんどない。塔については最上段が1891~1920年に修復されたが、以前と同様の構造・形状・素材で行われている。