スペイン北部カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県の県都ブルゴスに築かれたブルゴス大聖堂は1221年に建設がはじまり、350年近くを経た1567年にようやく完成を迎えた。フランスやドイツをはじめヨーロッパ各地のゴシック様式を集大成した傑作で、この建設によりスペインを建築・芸術の先進国へと引き上げた。なお、本遺産は1984年に周辺の礼拝堂や回廊・別館を含めてブルゴス大聖堂として世界遺産リストに登録され、2014年の軽微な変更でバッファー・ゾーンが設定された。また、ブルゴス大聖堂やブルゴス城をはじめとする歴史地区は世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミーノ・フランセスとスペイン北部の巡礼路群」の構成資産にも含まれている。
イベリア半島の多くは8世紀はじめにウマイヤ朝に占領され、756年に後ウマイヤ朝が成立して以降もイスラム教勢力の支配を受けた。これらに対するキリスト教勢力の国土回復運動がレコンキスタだ。ウマイヤ朝に滅ぼされた西ゴート王国の貴族ペラーヨが反乱を起こして建国した国がアストゥリアス王国で、10世紀に首都をレオンに遷して以降はレオン王国と呼ばれた。アストゥリアス王国は高さ850mほどのブルゴスの丘に城砦を建設し、やがて城下町が発達した。1037年にカスティリャ王フェルナンド1世がレオンの王位に就いて同君連合(同じ君主を掲げる連合国)・カスティリャ=レオン王国が成立し、首都をブルゴスに定めた。ブルゴスは司教座になると司教座聖堂、すなわち大聖堂が必要になり、アルフォンソ6世によってロマネスク様式のブルゴス大聖堂、正式名称ブルゴスのサンタ・マリア大聖堂が建設され、1096年に完成した。アルフォンソ6世は1085年にトレド(世界遺産)を征服すると首都を遷すが、ブルゴスはイベリア半島の東西を横断するサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の「フランスの道」の重要な巡礼地・停留地となり、またビスカヤをはじめとする北部の町と南部の町を結ぶ縦断路の拠点都市として繁栄を続けた。
カスティリャとレオン両国の王位に就いたフェルナンド3世の時代に同君連合はカスティリャ王国に統合された。フェルナンド3世はブルゴス司教らとともに大聖堂の改築を決定し、後にレオン大聖堂(世界遺産。サンタ・マリア・デ・レグラ大聖堂)の設計も担当したフランスの建築家マエストロ・エンリケの設計で1221年に着工された。大聖堂はフランスのランス大聖堂(ランスのノートル=ダム大聖堂。世界遺産)を参考にゴシック様式で設計され、フランスの作業員が建設を進めたが、エンリケの死とともに次第にスペインの建築家・作業員に引き継がれた。祭壇や身廊は先行して完成し、1260年に奉献されて使用がはじまっていたが、13世紀後半から作業が停滞してやがて中断され、15世紀半ばにようやく再開された。再開後はドイツ・ケルンの建築家フアン・デ・コロニアと息子シモンや、フランスの彫刻家フェリペ・ビガーニー(フェリペ・デ・ブルゴーニュ)らを中心とした国際チームが編成された。1567年にスペインの建築家フアン・デ・バジェホとフアン・デ・カスタニェーダのふたりが大聖堂を完成させたとき、すでにブルゴス大聖堂は後期ゴシック様式の建築・芸術を代表する傑作との名声を得ていた。その後も名建築家と名彫刻家による作品を加え、ブルゴス大聖堂はスペイン屈指の大聖堂へと上り詰めた。
ブルゴス大聖堂は84×59mほどの「†」形のラテン十字式で、西・南・北に門を備えたファサード(正面)を持つ。西がメインとなるサンタ・マリアのファサードで、上から2基の八角形ピラミッド形の双塔、四葉形の窓飾りと彫刻が並ぶギャラリー、中央のバラ窓、下部の3連門となっている。3つの尖頭アーチ門のうち、中央が王家の門だ。南のサルメンタルのファサードもギャラリー、バラ窓、サルメンタル門という構成で、ギャラリーや門は精緻な彫刻やレリーフで彩られている。北のコロネリアのファサードも同様だが、こちらはバラ窓ではなくランセット窓(細長い連続窓)だ。特徴的なのが十字形の交差廊に立つシンボリオと呼ばれる八角形の塔だ。フアン・デ・コロニアが設計したゴシック様式の塔で、彫刻で覆われた中心は星形のステンドグラスのドームとなっている。このドームの下の床にはレコンキスタで活躍した英雄エル・シドと妻ドニャ・ヒメナの墓が収められている。
大聖堂内部はゴシック様式や、スペイン特有の細かなルネサンス装飾を特徴とするプラテレスコ様式、過剰なまでのバロック装飾を盛り込んだチュリゲラ様式といった多彩な装飾で覆われている。たとえば黄金のゴシック彫刻で覆われた主祭壇、彫刻家フェリペ・ビガーニーによるプラテレスコ様式の装飾で彩られたクワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)、彫刻家ディエゴ・デ・シロエによるプラテレスコ様式の黄金の階段といった具合だ。
また、隣接の礼拝堂にも傑作が多く、たとえば北東に隣接したコンデスタブル の礼拝堂はギル・ド・シロエ、フェリペ・ビガーニー、ディエゴ・デ・シロエらのすぐれた彫刻群で知られる。南のサンタ・アナ礼拝堂はフアン・デ・コロニアと息子シモンによる典型的なゴシック様式で、ディエゴ・デ・シロエの祭壇画や司教らの彫刻が有名だ。北西のサンタ・テクラ礼拝堂は18世紀に建てられたバロック様式の礼拝堂で、黄金の主祭壇はチュリゲラ様式となっている。これ以外にも聖ニコラス礼拝堂、イエス降誕礼拝堂、サン・グレゴリオ礼拝堂、サン・エンリケ礼拝堂など多数の礼拝堂を備えている。東のアルト・クロイスター(高所回廊。クロイスターは中庭を取り囲む回廊)は2階建てのゴシック様式のクロイスターで、バホ・クロイスター(低所回廊)とともに数々の墓を収めている。
ブルゴス大聖堂は歴史上のさまざまな時代の建築と芸術に多大な影響を与えてきた。13世紀にはフランス・ゴシック様式をスペインに広めるうえで重要な役割を果たした。15~16世紀にかけてラインラント、ブルゴーニュ、フランドル地方の芸術家たちが工房を運営してスペインの建築家や彫刻家を育成し、中世末期にもっとも繁栄したスタイルを形成した。また、フランスの建築家シャルル・ガルニエがパリのオペラ座の階段を制作する際にディエゴ・デ・シロエの黄金の階段を参考にしたように、19世紀を通して大聖堂はさまざまなモデルとしても機能した。
ブルゴス大聖堂は種々の礼拝堂・回廊・別館を有する一体型ゴシック様式の大聖堂の卓越した建造物である。4世紀以上にわたって建設が続いたこの大聖堂は建築家・彫刻家・職人らの創造的才能の証となっている。
ブルゴス大聖堂は騎士エル・シドと妻ドニャ・ヒメナの墓があり、レコンキスタおよびスペイン統一の歴史と密接に関係している。また、祭壇の下には初期のカスティリャ王家の棺の数々も安置されている。フェルナンド3世による大聖堂の建設はカスティリャとスペイン王政の象徴的な出来事でもあった。
資産には顕著な普遍的価値を表現するためのすべての重要な要素が含まれている。このモニュメントは礼拝堂・回廊・別館を備えた一体型のゴシック様式の大聖堂として維持されており、ファサードや礼拝堂からステンドグラスの窓や彫刻に至るまで、ヨーロッパ各地のゴシック様式の影響を見事にまとめている。定期的なメンテナンスにより資産の物理的な完全性が維持されており、スペインの高度な法律で保護されているため都市開発による悪影響も受けていない。
ブルゴス大聖堂は位置・素材・形状・デザインといった点で真正性を維持しており、すべての重要な特徴を保っている。スペインでは古くから文化遺産の保護・保全が専門家の下で行われており、ディレクター・プランと呼ばれる基本概念をベースに継続的なメンテナンスを行っている。文化遺産の文化的価値を維持するために遺跡の各所で定期的な修復作業を行うだけでなく、化学的・微気候的な分析や、湿気による石材の劣化などについての調査も行われている。こうした保護・保全作業の成果としてブルゴス大聖堂の真正性が保たれている。