クロミェルジーシュはチェコ東部、モラヴィア中部の都市で、カルパチア山脈北西部フリビ山地の北麓に位置している。北35kmほどに位置するローマ・カトリックの拠点都市オロモウツの司教区・大司教区に属し、代々の司教や大司教によって中央ヨーロッパを代表するバロック様式の宮殿や庭園、イギリス式庭園が築かれた。
クロミェルジーシュの地では9世紀頃には集落が存在しており、12世紀はじめにオロモウツ司教ヤン2世がクロミェルジーシュの農場を購入して以来、オロモウツ司教の土地となった。1260年頃に司教ブルーノ・ゼ・シャウエンブルクがゴシック様式の城や聖モリツェ教会を建設し、官公庁を設置して都市として整備した。1497年に司教に就任したスタニスラフ1世・トゥルゾはクロミェルジーシュの近代化に着手し、城をルネサンス様式で改築し、花壇や果樹園・菜園からなるポッザーメツカー庭園を創設した。
町は1618~48年の三十年戦争に巻き込まれ、1643年に旧教=ローマ・カトリックに対して新教=プロテスタント側に立つスウェーデン軍の侵攻を受けて破壊され、2年後にはペストが流行して町は甚大な被害を受けた。1664年に司教に就いたカレル2世・リヒテンシュタイン=カステルコルヌの時代にようやく町の復興が開始され、城や庭園はイタリアの宮廷建築家フィリベルト・ルケーゼによってバロック様式で再設計され、ルケーゼが亡くなるとウィーンの宮廷で活躍していたスイスの建築家ジョヴァンニ・ピエトロ・テンカラに引き継がれた。現在見られる宮殿はほぼこの時代のものだ。ポッザーメツカー庭園についても運河や池・噴水・彫刻などを配してドラマティックに演出し、さらに城の南の湿地を利用して新たにバロック様式の幾何学式庭園であるクヴェトナー庭園を造営した。カレル2世は城と庭園に留まらず都市改造に乗り出し、市民にバロック様式での住宅の建設を推奨し、ピアリスト会(エスコラピオス修道会)の教会学校などをバロック様式で建設した。
1752年に大火が町を襲い、数十棟の家屋が全焼し、城も大きな被害を受けた。司教レオポルド・ベジリ・エックが修復を監督し、ウィーンの宮廷画家フランツ・アントン・マウルベルチュやヨゼフ・シュターンらを招いて作業を進めた。この時代に絵画や彫刻をはじめ数多くの芸術作品が集められ、中央ヨーロッパ有数のコレクションが誕生した。
1777年にオロモウツ司教区は大司教区に昇格し、最初の大司教アントニン・テオドール・コロレド=ヴァルドゼーはロマン主義的なアプローチでポッザーメツカー庭園に運河や望楼・滝などを拡張・建設し、コロレド・コロネード(コロレドの列柱廊)などの施設・設備を設置した。1830~45年にかけて司教フェルディナント・マリア・ホテックは建築家アントニン・アルヘにポッザーメツカー庭園の大改装を依頼し、バロック様式の庭園はイギリス式の風景式庭園(非対称・不均衡・曲線を特徴とする自然を模した庭園)に改められ、一部のバロック彫刻やコロレド・コロネード、ジャルディーノ・セクレト(秘密の花園)などを除いて撤去された。一方、クヴェトナー庭園の幾何学式庭園はそのまま維持された。
世界遺産の構成資産は2件で、「ポッザーメツカー庭園と城」と、その南西800mほどに位置する「クヴェトナー庭園」となっている。
城の本館にあたるクロミェルジーシュ宮殿は中央に中庭を持つ「□」形・3階建てのコートハウス(中庭を持つ建物)で、17世紀半ばにバロック様式で築かれた。もともと堀に囲まれていたが1832年に埋め立てられた。最下段は1階ではなく基壇で、土地が不均一であるため高い基壇の上に築かれている。ランドマークとなっているバロック様式の塔は高さ84mを誇り、1752年の大火を受けて1768年に再建され、第2次世界大戦でもナチス=ドイツによって燃やされて修復された。
クロミェルジーシュ宮殿の中心的な部屋はスニェモフニの間(ハウス・ホール)で、1848年にはクロミェルジーシュ議会と呼ばれるオーストリア帝国の制憲議会の会場となった。フランツ・アドルフの天井画と22もの豪奢なシャンデリアで飾られた中央ヨーロッパでも随一のロココ空間で、宮殿のメイン・ホールとして使用されている。玉座の間は司教や大司教が接見を行った部屋で、数々の名画が並ぶギャラリーとなっている。マンスクの間はバロック様式やロココ様式のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)や彫刻・絵画で彩られた美しい部屋で、ポラドニの間は代々の司教や大司教の肖像画が並ぶギャラリーとなっている。聖セバスチャン礼拝堂は1766年に奉献された礼拝堂で、ボヘミアの彫刻家フランティシェク・オンドレイ・ヒルンレやウィーンの画家ヨゼフ・シュターンらの作品で飾られている。サラ・テレーナは1階と庭園を結ぶ基壇部分で、ふたつのグロッタ(洞窟)や噴水などが設けられており、フランスの彫刻家ジャン・バティスト・デュサールやイタリアのフレスコ画家パオロ・アントニオ・パガーニらの作品で彩られている。
宮殿には数多くの芸術作品が飾られているが、これらは17世紀にカレル2世・リヒテンシュタイン=カステルコルヌが収集をはじめたもので、現在では中央ヨーロッパでも屈指のコレクションとなっている。特にティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品は有名で、『アポロとマルシュアス』をはじめ数々の傑作を収蔵している。また、宮殿には旧図書館、新図書館、トレゾロヴェ図書館、レスニ図書館という4つの図書館があり、世界的に貴重な写本やインキュナブラ(初期活字印刷物)を含めて約90,000冊を所蔵している。
ポッザーメツカー庭園は19世紀にそれまでのバロック庭園を改築して造園されたイギリス式庭園で、自然に配された落葉樹や針葉樹・草地・池の各所にイオニア式の列柱が立ち並ぶコロレド・コロネードやプラテルストウィ神殿(友情の神殿)、壁龕(へきがん。装飾用の壁の窪み)にローマ神の彫刻を収めたポンペイ・コロネード(マクシミリアン・コロネード)、池の畔に立つ新古典主義様式のリバーシュキー・パビリオン(釣りのパビリオン)、中国の木造建築を持ち込んだチンスキー・パビリオン(中国のパビリオン)、農場を再現したパヴィ・ドゥヴール(孔雀園)、銀橋・花瓶橋・ランタン橋といった名所が点在している。
クヴェトナー庭園は1665~75年に造園されたバロック様式の幾何学式庭園で、485×300mほどの土地が直線で整然と区画されている。エントランスとなっている新古典主義様式の楼門は19世紀半ばに建てられたもので、ペディメント(頂部の三角破風部分)には大司教マクシミリアン・ヨゼフ・ソメラウ=ベクフの紋章を掲げている。北西に立つ八角形の建物はロトンダで、内部に地球の自転を表現するフーコーの振り子が収められている。北西端には全長244mのコロネードが連なっており、壁龕にローマの神々や司教の銅像を収めている。また、温室では熱帯や寒帯の植物が伝統的な方法で栽培されている。
本遺産は登録基準(i)「人類の創造的傑作」でも推薦されていたが、その価値は認められなかった。
クロミェルジーシュの建造物群、特にクヴェトナー庭園は中央ヨーロッパのバロック様式による庭園や宮殿のデザインの発展にきわめて重要な役割を果たした。
クロミェルジーシュの庭園群と城は保存状態が際立ってよい17~18世紀の宮殿建築と関連の景観である。
資産には顕著な普遍的価値を伝えるすべての重要な要素、すなわち初期バロック様式の宮殿とふたつの庭園が含まれており、その範囲とサイズも適切で脅威も見られない。城および隣接するポッザーメツカー庭園、クヴェトナー庭園が法的保護下にあるのはもちろん、いずれもバッファー・ゾーンを構成する都市遺産保護区内に位置している。保護区内の開発は法律や土地利用計画の制限下にあり、文化遺産保護の担当当局による管理・審査の対象となっている。そのため資産の完全性はもちろん、資産外に及ぶ視覚的な完全性も担保されている。
城のデザイン・装飾はほぼ手付かずで伝えられている。修復はすべて推奨される遺産保全の原則に則っており、伝統的な素材と技術を使用して適切に行われている。ふたつの庭園についても同様で、現在、綿密な調査・研究に基づいた修復・再建が進められており、本来の姿と輝きを取り戻しつつある。こうした努力により、資産の真正性は非常に高いレベルで保持されている。