イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会

Jelling Mounds, Runic Stones and Church

  • デンマーク
  • 登録年:1994年、2018年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)
  • 資産面積:12.7ha
  • バッファー・ゾーン:59.2ha
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、南マウンド
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、南マウンド
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、イェリング教会と北マウンド
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、イェリング教会と北マウンド
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、イェリング教会と南墓地
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、イェリング教会と南墓地
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、ハーラルの石碑(左)とゴームの石碑(右)
世界遺産「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」、ハーラルの石碑(左)とゴームの石碑(右)

■世界遺産概要

イェリングは10世紀にデンマーク王国が誕生した場所であり、ふたつのイェリング・マウンドは非キリスト教時代の最後のマウンド(墳丘・墳丘墓)で、イェリング教会はデンマーク王家が建設した最初の教会堂・教会墓地とされる。また、マウンドの間に立つふたつのルーン・ストーン(ルーン文字が刻まれた石碑)にはイェリング朝の創始者「老王」ゴームと、デンマークにキリスト教をもたらした「青歯王」ハーラル1世の文字が刻まれており、デンマーク誕生当時の記録を伝えている。

○資産の歴史

8~11世紀のいわゆるヴァイキング時代初期、ゲルマン系の一派であるノルマン人がスカンジナビア半島からユトランド半島に進出し、デーン人となった。10世紀はじめにゴームがイェリングを首都に最初のデーン人の国・デンマーク王国イェリング朝を打ち立てた。ゴームには王妃ティーラがいたが、妻が先に亡くなったため遺体を玄室(棺を納める部屋)に収めてマウンドを築いた。これが「ティーラス・ホイ」と呼ばれる北マウンドだ。一方、北マウンドの南70mほどに位置する南マウンドは「ゴームス・ホイ」と呼ばれ、ゴームの墳丘墓と考えられているが、こちらには玄室が存在しない。一般的には、南北のマウンドは対をなす墳丘墓として建設されたが、玄室については北マウンドにのみ設置され、ゴームの遺骨もティーラとともに埋葬されたと考えられている。ただし、北マウンドの玄室からは遺骨が見つかっておらず、教会堂から発掘された遺骨も男性のもので、ティーラの遺骨は発見されていない。

デンマークの王位を継いだゴームの息子ハーラル1世は10世紀後半にユトランド半島を統一し、シェラン島を奪ってスカンジナビア半島のノルウェーをも支配下に収めてノルウェー王の地位をも手に入れた。ハーラル1世は東フランク王オットー1世の強い勧めもあって960年頃に洗礼を受けてキリスト教に改宗した。伝説によると、ポッポと呼ばれる司祭が焼けた鉄の塊を素手で握って神の加護を証明したことから改宗を決意したという。ハーラル1世は息子や部下にも洗礼を受けることを強い、司祭たちにはデンマークにおけるキリスト教の宣教を認めた。

ハーラル1世がイェリングに建設した教会堂がイェリング教会だ。当初の教会堂は木造で、現在の石造の建物は12世紀はじめに建設されたものだ。1978~79年の教会修復中に床下の発掘が進められ、粘土で覆われた玄室が発見された。中には35~50歳の男性と見られる遺骨があり、副葬品として金や銀の装飾品や立派な織物が収められていた。王家かそれに近い身分の人物と見られ、一般的にはゴームの遺骨とされる。ハーラル1世は教会堂を建設する際に北マウンドから父の遺骨を運び出し、新しい玄室に収めたその上に教会堂を建てたと考えられている。この遺骨はデンマーク国立博物館に収められていたが、2000年にデンマーク女王マルグレーテ2世とロイヤル・ファミリー、首相らが見守る中で教会堂の地下に再葬された。なお、ハーラル1世の青歯王というあだ名は12世紀に書かれた『ロスキレ年代記』に記されているもので、歯が悪く青黒かったため、あるいは青の衣をまとうことが多かったためといわれている。スウェーデンのエリクソンが開発した無線通信規格Bluetooth(ブルートゥース)はハーラル1世に由来し、Bluetoothのロゴはハーラル1世のルーン文字のイニシャルに基づいている。

イェリング朝はハーラル1世の息子「双叉髭王」スヴェン1世の時代にイングランドを征服して短期間ではあったがデンマーク、ノルウェー、イングランドの国王を兼ね、さらにその子「大王」クヌート1世(イングランド王として。デンマーク王としてはクヌーズ2世)の時代にはそれらを統合する北海帝国を成立させた。北海帝国はわずか7年で崩壊するが、デンマークは北ヨーロッパの大国としての地位を確立する一方で、スヴェン1世とクヌート1世の時代からシェラン島の港町ロスキレやコペンハーゲンの開発が進み、イェリングは廃れていった。

○資産の内容

世界遺産の資産の主な要素は、ふたつのマウンド、ふたつのルーン・ストーン、そして教会堂だ。

ふたつのマウンドは截頭方錐形(頂部が水平に切り取られた円錐形)で、いずれも直径約70m・高さは最大11mでほぼ同サイズとなっている。北マウンドは青銅器時代の小さな古墳にオークの木材を組んで平面6.75×2.6m・高さ1.45mの玄室を造り、周囲を石で囲んだ上に土を盛ってマウンドとしている。北マウンドはデンマーク最大の墓であり、王家による最後の墳丘墓と考えられている。一方、南マウンドは土が盛られているだけで、1861年・1941年と2度にわたって調査が行われたが玄室は発見されなかった。21世紀に入って周囲からヴァイキング船ロングシップの船底を象った「ストーン・シップ」と呼ばれるメンヒル(立石)群の跡や、一辺の長さが359mにもなる冊の跡が発見されており、こうした大規模構造とマウンドの関係も指摘されている。いずれにせよふたつのマウンドはデンマークにおけるキリスト教以前の最後の大型宗教建造物といえる。

ハーラルの石碑(大イェリング・ストーン)はふたつのマウンドの中央に建てられており、高さ2.4m・幅2.9mほどの大きさで、かつては彩色されていたようだ。東面には碑文が刻まれており、「ハーラル王、父ゴームと母ティーラを記念してこの碑を建てる。ハーラル王はデンマークとノルウェーを治め、デーン人をキリスト教に改宗した者なり」と記されている。背面の一面にはドラゴンが描かれており、もう一面には十字架刑に処されているイエスの姿が刻まれている。

ゴームの石碑(小イェリング・ストーン)は高さ1.4m・幅1.0m・厚さ0.5mほどで、「ゴーム王、デンマークの誉れである王妃ティーラを記念してこの碑を建てる」と記されている。1630年頃に現在のようにハーラルの石碑の隣に運ばれたが、建設当初どこに立っていたのかはわかっていない。推定で、ゴームの石碑は935年頃、ハーラルの石碑は960~985年頃の建設と考えられている。

イェリング教会は、ハーラル1世が960年頃にキリスト教に改宗して建設した教会堂だ。マウンドが玄室の上に築かれたように、ハーラル1世がゴーム王の玄室を新たに造ってその上に建設したものと考えられており、そうした意味で非キリスト教的要素を引き継いだキリスト教建築とも考えられる。当初は平面30×14mほどの巨大な木造建築だったようだが、12世紀までに焼失して2度ほど再建されている。現在の建物は12世紀はじめに石灰岩を用いてノルマン様式で建設されたもので、西側は15世紀に増築された。1874~75年の修復中に東の至聖所の壁から1100年頃のものと思われるデンマーク最古級のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)が発見されている。墓地について、現在見られる北墓地と南墓地は18世紀以降のもので、比較的新しい。しかし、ストーン・シップの個々のメンヒルは墓碑と見られることから、周辺は古くから墓地だったと考えられている。

■構成資産

○イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

イェリングの宗教コンプレックス、特にふたつの非キリスト教のマウンドとふたつのルーン・ストーンは北ヨーロッパの非キリスト教文化の際立った例である。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を有するイェリング・マウンド、ルーン・ストーン、教会堂という3種の基本的かつきわめて重要な要素がすべて含まれている。2006年には関連の回廊と、それよりもはるかに巨大なヴァイキング船(ストーン・シップ)を示唆する出土品が発掘されており、これらについては国立博物館とヴァイレ博物館によって調査・研究が進められている。資産が法的保護下にあるのみならず、周辺についても半径100~300mにわたってバッファー・ゾーンが設定されており、高さ8.5mを超える建造物の建設が禁じられるなど完全性は高いレベルで保持されている。ただし、資産の南と西を通る道路は若干、景観に影響を与えている。

■真正性

ふたつの巨大なイェリング・マウンドは本来の形状を維持している。北マウンドがオーク材の玄室を覆うように築かれているのに対し、南マウンドには玄室が存在しない。国立博物館では何度か科学的な発掘調査を実施しており、出土品とその記録が保管されている。墓地と教会は1,000年以上にわたって継続的に使用されており、大きな変化のないまま機能を維持している。ただ、1,000年間の風化は避けられず、ルーン・ストーンの碑文も侵食の影響を受けており、現在は強化ガラスによって保護されている。

■関連サイト

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