ユトランド半島とスカンジナビア半島に挟まれたシェラン島北東部、デンマークの首都コペンハーゲンの北30kmほどに位置する旧・王室狩猟場で、17~18世紀にかけて自然を活かしつつ土地を幾何学的に区切り、グリッド状のフィールドを利用して馬の上から猟犬に指示を出して野生動物を追い込むパル・フォルス式狩猟が行われていた。世界遺産の構成資産は9件だが、主なものは範囲で登録されているストア・ディアヘーヴ、グリブスコフ、イェーヤスボー・ディアヘーヴとイェーヤスボー・ハインの3件で、残り6件はそれらの間に位置する直線状の道路となっている。
シェラン島北東部には最終氷期(約7万~1万年前)中の紀元前22,000〜12,000年頃に氷河が大地を削ってできたなだらかな谷やモレーン(氷河に削られた岩石や土砂が堆積した地形)の丘、多数の湖沼・深い森・草原・牧草地が広がっており、古くから数多くの野生動物が生息していた。当初は修道院がこの土地を管理していたが、デンマーク王フレデリク2世が1536年に接収あるいは土地の交換によってこの地を入手した。そしてグリブスコフにたたずんでいた建物を改修してフレデリクスボー城(世界遺産外)を建設し、王室の狩猟小屋として使用した。フレデリク2世は1週間ほどの休暇を取ってこの城に滞在し、シカ狩りに興じていたという。1602〜20年にクリスチャン4世がこの城を北ヨーロッパ最大級を誇るルネサンス様式の宮殿に改修した。また、クリスチャン4世は1618~19年に1,000ha超の正方形のエリアを狩猟場として整備し、ストア・ディアヘーヴ(大鹿公園)を建造した。続くフレデリク3世はその南東15kmほどの地にイェーヤスボーの狩猟小屋を建て、1669年にストッケルプ村を移転させてイェーヤスボー・ディアヘーヴ(イェーヤスボー鹿公園)を築き上げた。その息子クリスチャン5世はこの土地を整備し、1670年代に1,500haまで拡張した。
クリスチャン5世はフランスで経験したパル・フォルス式狩猟をこの地に持ち込んだ。「パル・フォルス」はフランス語の「(イヌの)力による狩猟 "chasse par force (de chiens)"」から来ており、「シャス・ア・クール "chasse à courre"」とも呼ばれる。馬上から猟犬の群れを指揮してアカシカ、ダマジカ、ノロジカといったシカをはじめイノシシやキツネ、ウサギ、オオカミなどの野生動物を追い込んで仕留めるスポーツ・ハンティングで、もともとメソポタミアのアッシリアで戦争の戦術訓練として編み出されたといわれている。弓矢を使った狩猟に比べて効率は劣るが、ヨーロッパではもっとも高貴な狩猟とされ、王家の嗜みとなっていた。
クリスチャン5世は天文学者オーレ・レーマーらに依頼してストア・ディアヘーヴに幾何学的なグリッド構造を持ち込んだ。正方形の森を縦4×横4=計16個の小さな正方形に分割し(直交グリッド)、さらに対角線にラインを引いて8方向に放射状に道路が延びるコンゲステアネンと呼ばれる中心を置き(星形グリッド)、ゴンゲステネンと呼ばれる王冠や王室の文字を刻んだ王の石を置いた。それぞれの道路には番号を刻んだ石が設置され、イヌの配置やシカの追い込み経路などを示すために使用された。こうした改修はグリブスコフにも適用され、18世紀には一帯のパル・フォルス用狩猟場は9,700haにまで広がった。
1734~36年にはクリスチャン6世の命令でイェーヤスボーの木造のバンケティング・ハウス(離れ)が建築家ラウリッツ・デ・トゥーラの手によってレンガ造で建て替えられ、エルミタージュ狩猟小屋が建設された。イェーヤスボー・ディアヘーヴとイェーヤスボー・ハイン(イェーヤスボー樹林)の間の高台に位置するこのバロック様式の狩猟小屋で食事や休憩・パーティを行うことができた。イェーヤスボーでは正方形や星形のグリッド構造は採られなかったが、周囲を一望するエルミタージュ狩猟小屋を中心に直線状の通路が敷かれ、北にイェーヤスボー・ディアヘーヴ、南にイェーヤスボー・ハインが展開した。
1777年に狩猟が禁止され、森林を林業に活用するため一帯が石垣や生垣で囲われ、ブナとオークを中心とする広葉樹林にトウヒなどの針葉樹の植林が行われた。パル・フォルス用のグリッド構造が林業に適していたため景観は保護され、一部は生活道路として整備された。クリスチャン8世の時代の1843年からレクリエーション用の森林として保護・管理が開始され、狩猟小屋はエルミタージュ宮殿として王室の公式行事にしばしば使用された。1849年にはフレデリク7世がデンマーク新憲法の署名を行い、絶対君主制にピリオドを打っている。20世紀に入ってシカが再導入され、狩猟が再開された。
資産周辺のバッファー・ゾーンとさらに外側にも森や狩猟場が広がっており、資産の完全性や真正性を高めている。一例がフレデリクスボー城やフレデンスボー城、リル・ディアヘーヴ(小鹿公園)だ。
シェラン島北部のパル・フォルス式狩猟の景観はヨーロッパにおけるバロック様式の普及が17~18世紀の景観設計の発展に与えた際立った影響を示しており、特にフランスとドイツの狩猟風景の影響を証明している。こうした景観はデンマークの地形と国王の要求によって生まれ、それらの象徴となり、また狩猟場として使用されている間に進化した景観や機能・デザインの発展の様子を示している。
シェラン島北部のパル・フォルス式狩猟の景観は17世紀後半に絶対君主によって造営された権力の象徴的景観であり、この時代に台頭した科学的思想が絶対君主制の文脈の中で狩猟場に適用されたヨーロッパの景観設計の重要な段階を例証している。狩猟のために編み出され無限の拡張性を持つ直交グリッドや、フランスやドイツで使用されていた八角形や円をベースとした星形グリッドといった幾何学的なデザインを独自に改良している。
ふたつの狩猟用森林であるストア・ディアヘーヴとグリブスコフ、それらの間に点在する6件の道路、イェーヤスボー・ディアヘーヴとイェーヤスボー・ハインの狩猟公園という計9件の構成資産は顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素を含んでいる。森林再生の活動にもかかわらず、伝えられた森林や狩猟用道路、番号が刻まれた石、フェンスといった要素は絶対君主の実用的かつ象徴的な要求の変化に合わせて進化・発展した景観設計を雄弁に物語っている。いくつかの構成資産について視覚的・機能的完全性が開発の影響を受けてはいるが、それでも資産の価値はいまのところ開発や放棄によって損なわれておらず、資産の理解を進展させる周辺環境についても都市の開発圧力は十分に制御されている。
長らく王室の土地であり後に国有化されるシェラン島北部の歴史は信頼性の高い文書に記録されており、歴史的な地図によって当初の景観設計に基づいて生まれた森林や道路システムがかなりの範囲で保全されていることが確認できる。ストア・ディアヘーヴの森林は植林によって多少変化しており、グリブスコフとストア・ディアヘーヴを結ぶ道路の一部は開発によって消滅し、木製の橋や柵は何度か再建されている。しかし、ストア・ディアヘーヴ周辺の石垣や人工湖はすべて本物で、番号を刻んだ石については本来の場所に設置されており、特に王冠や国王の文字を刻んだ王の石ゴンゲステネンは一帯の真正性を証明している(ゴンゲステネンを置いたマウンドは少々乱れている)。一連の構成資産はパル・フォルス式狩猟の景観の発展の様子を明確に伝えており、資産、バッファー・ゾーン、その外の景観も含めて最高の保存状態を誇る歴史的狩猟景観の理解に貢献している。