デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国

Garden Kingdom of Dessau-Wörlitz

  • ドイツ
  • 登録年:2000年、2019年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:11,891ha
  • バッファー・ゾーン:11,208ha
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のヴェルリッツァー湖と聖ペトリ教会
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のヴェルリッツァー湖と聖ペトリ教会
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のヴェルリッツ宮殿
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のヴェルリッツ宮殿
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のゴシック・ハウス
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園のゴシック・ハウス
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園の岩の島とヴィラ・ハミルトン
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ヴェルリッツァー公園の岩の島とヴィラ・ハミルトン
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ルイジウム公園のルイジウム宮殿
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、ルイジウム公園のルイジウム宮殿 (C) M_H.DE
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、上空から眺めたオラニエンバウム、中央がオラニエンバウム宮殿
世界遺産「デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国」、上空から眺めたオラニエンバウム、中央がオラニエンバウム宮殿

■世界遺産概要

ドイツ中東部ザクセン=アンハルト州の都市デッサウ(現・デッサウ=ロスラウ)とヴェルリッツに点在するアンハルト=デッサウ侯領・公国の宮殿や庭園・公園を登録した世界遺産で、ヨーロッパにおけるイギリス式庭園(自然を模したイギリスの風景式庭園)や新古典主義建築(ギリシア・ローマ時代のスタイルを復興したクラシック・リバイバル建築)・歴史主義建築(中世以降のスタイルを復興した様式)のブームの先駆けとなった。なお、世界遺産登録時にはバッファー・ゾーンが設けられていなかったが、2019年の軽微な変更で設定された。

○資産の歴史

家が治める土地で、数多くの領邦(諸侯や都市による領土・国家)を有していた。このうちデッサウを拠点とするアンハルト=デッサウ侯領は14世紀末に成立し、その後も分割と合併を繰り返した。1658年にはヨハン・ゲオルク2世がオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の名門オラニエ=ナッサウ家のオランダ総督(オランダの事実上の君主)フレデリック・ヘンドリックの娘ヘンリエット・カタリナと結婚し、黄金時代の真っただ中にあった覇権国家オランダに接近した。ヘンリエット・カタリナは芸術家や建築家をオランダから呼び寄せ、ヨーロッパ最先端の文化をもたらした。一例がエルベ川沿いに築かれた堤防群であり、故郷に似せて築いたヴェルリッツ郊外の町オラニエンバウムだ。オラニエンバウムは街・宮殿(オラニエンバウム宮殿)・庭園・公園が一体化した先進的な計画都市で、ガラス工場や醸造所・タバコ工場などを築いて産業をも育成した。

アンハルト=デッサウ侯(1807年に侯爵から公爵に昇格)レオポルト3世フリードリヒ・フランツはイギリス、オランダ、イタリアを訪問して宮殿や庭園・公園・都市のデザインを学び、特にイギリスでイギリス式庭園、イタリアで新古典主義建築に大いに感銘を受けた。帰国するとドイツの建築家フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・エルトマンスドルフとともに侯領・公国の美化プロジェクトを推進し、手始めにヴェルリッツに1764年から40年を掛けて112.5haに及ぶ新古典主義・歴史主義様式の宮殿コンプレックスとイギリス式庭園を築き上げた。この中心となったのがヴェルリッツァー公園で、イギリス式庭園は大陸初、ヴェルリッツ宮殿の新古典主義建築はドイツ初となるもので、この後のヨーロッパにおけるブームの先駆けとなった。また、宮殿対岸のゴシック・ハウスは大陸におけるゴシック・リバイバル様式の流行を先取りし、イギリスの建築家ウィリアム・チェンバーズの理論を応用したオラニエンバウムの中国庭園はさまざまな建物と庭園・公園・田園を統合する設計で、美的・教育的・経済的に高い価値を持つ庭園と評された。こうしてレオポルト3世はヴェルリッツからデッサウにかけて数々の宮殿・庭園・公園を建設しただけでなく、一般的な道路や堤防にも果樹の並木を設置し、公園を配置するなど美化を進め、侯領・公国をひとつの庭園に見立てて整備を進めた。

こうした都市・景観設計は18世紀の啓蒙思想(理性による合理的な知によって蒙(もう)を啓(ひら)こうという思想)、特にジャン=ジャック・ルソーの哲学、ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンの思想、ヨハン・ゲオルク・ズルツァーの美学の影響を受けたもので、宮殿・庭園・公園・農業・産業・住宅・インフラを結び付けることで高い教育・経済・福祉を実現しようというプロジェクトだった。たとえばルソーの思想では人間の生活を支える農業は教育的機能を果たさなければならず、街の周囲に農場が配された。また、ギリシア、ローマ、ゴシック、ルネサンス、バロックといった多彩なスタイルの建造物を各地に配することで歴史と科学を学ぶ現場とした。そしてこうした経済的・技術的・機能的な要素を宮殿を中心とした景観の中に意識的・構造的・美的に組み込むことで思想を表現して見せた。ドイツの詩人クリストフ・マルティン・ヴィーラントはこの庭園王国を「18世紀の功績と縮図」と評している。

公国の美化はフリードリヒ・フランツが1817年に亡くなるまで続けられ、その成果は産業化・都市化が進んでも代々の公爵によって保全された。唯一の例外が1937~38年に建設されたアウトバーンで、第2次世界大戦においても大きな被害を受けることはなかった。

○資産の内容

世界遺産の構成資産はデッサウとヴェルリッツにまたがる「ヴェルリッツ公園群」と、デッサウの「デッサウの歴史的墓地」「モジクカウ宮殿」の3件。資産面積のほとんどは「ヴェルリッツ公園群」が占めており、他の2件は小さな飛び地となっている。なお、庭園は宮殿などの建物に付随した施設であるのに対し、公園は建物と無関係に遊びや憩いのために公開された区域を示す。しかし、この地域では両者は一体化しており区別は厳密ではない。

「ヴェルリッツ公園群」は大きく4つ、西・中央・南・東の4エリアに分けられる。西エリアはデッサウのキューナウアー公園、ゲオルギウム公園、ベッカーブルフ公園を中心としたエリアで、エルベ川の南、ムルデ川の西に展開している。キューナウアー公園は三日月湖(蛇行する川の湾曲部が流路変化によって取り残されて湖となった地形)を含みブドウ園が広がるイギリス式庭園で、新古典主義様式のヴァインベルク宮殿やキューナウ宮殿、ローマ・ビザンツ教会などの建物がある。ゲオルギウム公園はもっとも重要なイギリス式庭園のひとつで、バロック様式のゲオルギウム宮殿を中心に、古代エジプトのスフィンクス像や、イオニア神殿やコンコルディア神殿、ローマ橋などのローマ遺跡をはじめ、古代と中世・近世が融合したロマンティックな公園となっている。ベッカーブルフ公園はほぼ手付かずの湖沼や湿地・草地が残る公園で、ギリシア・ローマ風の彫像や小さな建造物群が点在している。

中央エリアはデッサウのルイジウム公園、ジークリッツァー山、ティア公園(鹿公園)、ミルデンゼー、ヴァルダーゼーを中心としたエリアで、ムルデ川の東に位置し、かつては湿地・草地・森林が広がっていた。ルイジウム公園はレオポルト3世が妻ルイーゼ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェートに贈ったルイジウム宮殿を中心とした公園だ。宮殿は新古典主義様式、庭園はバロック様式で1774~78年に建設されたが、庭園は後にイギリス式庭園に改修された。園内にはシュランゲンハウス(ヘビの家)、オランジェリー(オレンジなどの果樹を栽培するための温室)、ローマ遺跡、ウマの飼育場、果樹園・菜園、牧草地などが点在している。ジークリッツァー山は深い森に覆われた丘で、ギリシアのドーリア式神殿を彷彿させるジークリッツァー宮殿を中心に城門や彫像などが配されている。ジークリッツァー山の東の町フォッカーオーデのフォッカーオーデ教会は聖ペトリ教会やリージック教会とともにドイツ最初期のゴシック・リバイバル様式による教会堂として知られる。ティア公園はもともと侯爵家の狩猟場で、18世紀に公園と農場に再設計された。ミルデンゼーの町はその一部が資産となっており、ギリシア・アテネの風の塔を模した新古典主義様式のナポレオンの塔や、レンガ・ロマネスクの傑作ポトニッツァー教会、ボートの形をした狩猟館ランディエガーハウスなどがある。ヴァルダーゼーは一帯最古といわれる町で、こちらも一部が資産となっている。代表的な建物には新古典主義様式の聖バートロメイ教会がある。

南エリアはムルデ川流域のメスター・ヴィーゼンと呼ばれるエリアで、資産最南端となる。森林と草地を中心としており、18世紀には果樹園が築かれていた。

東エリアはヴェルリッツのフリーダーヴァル、ヴェルリッツァー公園、シェーンニッツァーゼー、リージック、レーゼン、オラニエンバウム、グリーゼンに広がるエリアで、エルベ川の南に展開している。特にヴェルリッツァー公園は本遺産の中核で、最初にこの地が整備されて端緒を開いた。ヴェルリッツァー湖周辺に広がるイギリス式庭園の中に新古典主義様式・歴史主義様式の多くの建造物があり、彫像や果樹・森などで区画された一帯を経て周辺の果樹園や菜園と結ばれている。中心となる建物は1769~73年に建設されたヴェルリッツ宮殿で、レバノンのバールベック(世界遺産)やシリアのパルミラといったローマ遺跡(世界遺産)や、イタリアのヴィッラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトンダ)をはじめとする後期ルネサンスのパッラーディオ様式の建造物群(世界遺産)の影響を受けたローマン・リバイバル様式とネオ・パッラーディオ様式の折衷となっている。隣接のグラウエス ・ハウス(灰色の家)は王妃の宮殿で、さらに隣の聖ペトリ教会は12世紀に建てられたロマネスク様式の教会堂を1804~09年にゴシック・リバイバル様式で建て替えたもので、高さ66mの鐘楼は一帯のランドマークとなっている。近隣のガストーフ・ツム・アイヒェンカンツはヴェルリッツの門と宿を兼ねた建物で、1788年に営業を開始して以来、ゲーテをはじめ多くの文学者や科学者が宿泊している。対岸のゴシック・ハウスはロンドンのストロベリー・ヒル・ハウスとヴェネツィアのマドンナデッロルト教会(世界遺産)に魅せられたレオポルド3世が建築家ゲオルク・クリストフ・ヘーゼキールに設計させた建物で、それぞれを模したふたつのファサード(正面)を持っている。これ以外にも、ローマのヘラクレス・ウィクトール神殿(世界遺産)をモデルとするヴェルリッツ・シナゴーグや、ローマのパンテオン(世界遺産)を象ったヴェルリッツ・パンテオン、ナポリ湾の景色を再現した岩の島とヴィラ・ハミルトンなど多くの建物が点在している。オラニエンバウムはヘンリエット・カタリナのためにオランダのバロック建築家コルネリス・ライクヴァートが1683年に開発をはじめた計画都市で、方格設計(碁盤の目状の都市設計)の街並みに、バロック様式のオラニエンバウム宮殿と平面幾何学式庭園であるルスト庭園が整然と並んでいる。特に名高いのが茶館やパゴダ(塔)などを有する中国庭園で、周囲は中国風の風景式庭園となっている。シェーンニッツァーゼーは三日月湖を中心とした自然保護区で、リージックのリージック教会は最初期のゴシック・リバイバル様式の傑作として名高い。

「デッサウの歴史的墓地」は1787~89年に造営された共同墓地で、狭く入り乱れた墓地が多い中で整然と区画された広く清潔で明るい墓地を実現した。ローマ・カトリックやプロテスタントなど教派を問わず開かれており、ロシア帝国の皇太子のニコライ・アブラモビッチ・プチャーチンが自ら設計した霊廟が残されている。

「モジクカウ宮殿」は18世紀半ばにアンハルト=デッサウ侯レオポルト1世が三女アンナ・ヴィルヘルミーネに贈った宮殿で、王女は1757から亡くなる1780年までここを居城とした。死後は彼女の遺志を受けて修道院となり、1945年まで使用された。ポツダムのサンスーシ宮殿(世界遺産)に影響を受けたバロック・ロココ様式で、建築家クリスチャン・フリードリヒ・ダムの設計とされる。「コ」形のコートハウス(中庭を持つ建物)を中心にカヴァリエ・ハウス(騎士の家)、オランジェリー、ルスト庭園などがある。

■構成資産

○ヴェルリッツ公園群

○デッサウの歴史的墓地

○モジクカウ宮殿

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国は啓蒙時代の哲学原理を応用し、芸術・教育・経済を統合して調和の取れた景観設計を実現したすぐれた作品群である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

18世紀は景観設計についてきわめて重要な時代であり、デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国はその多彩で卓越した実例を有している。

■完全性

デッサウ=ヴェルリッツの庭園王国はヨーロッパでもっとも象徴的で代表的な景観設計の例であり、顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素を含んでいる。資産の構成とサイズはその重要性を伝える特徴とプロセスを保全するために適切であり、いずれも法的に保護されている。

■真正性

建築的・芸術的モニュメントはメジャー・マイナーを問わずほぼすべてについて真正性に疑問の余地はない。これまでに実施された、あるいは現在進行中の保全・修復作業は世界的に最高水準の保全・修復原則に沿って行われており、真正性は高いレベルで維持されている。

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