ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像

Town Hall and Roland on the Marketplace of Bremen

  • ドイツ
  • 登録年:2004年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)(vi)
  • 資産面積:0.287ha
  • バッファー・ゾーン:376ha
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、ラートハウスの旧庁舎(左)と聖ペトリ大聖堂(右)
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、ラートハウスの旧庁舎(左)と聖ペトリ大聖堂(右)(C) Jürgen Howaldt
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、ラートハウスの旧庁舎。右奥が新庁舎
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、ラートハウスの旧庁舎。右奥が新庁舎
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、剣と盾を持つローラント像
世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」、剣と盾を持つローラント像

■世界遺産概要

ドイツ北部ブレーメン州の州都ブレーメンに位置するラートハウス(市庁舎)とローラント像を登録した世界遺産。ラートハウスは15世紀のゴシック様式や17世紀のヴェーザー・ルネサンス様式、20世紀ネオ・ルネサンス様式の傑作であり、ローラント像とともにブレーメンの自治と主権の象徴となっている。また、ローラント像はドイツに多く見られる同種の立像の典型といえるものである。

○資産の歴史

ブレーメンの地では古代から集落が切り拓かれており、8~9世紀にヴェーザー川の北岸に司教座が置かれて一帯の中心的な都市となった。マルクト広場には司教座を収めた聖ペトリ大聖堂(ブレーメン大聖堂)が建設され、この広場を中心に城郭都市が展開された。9世紀にはハンブルク大司教区と合併してハンブルク=ブレーメン大司教区を構成した。1186年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサによって帝国都市(諸侯の支配を受けず神聖ローマ帝国の下で一定の自治を認められた都市)に指定され、事実上独立して市議会が市民法を制定した。ブレーメンは北海やバルト海の貿易で利益を上げ、1358年にはハンザ同盟に加盟して同盟の繁栄とともにドイツ北部の中心的な都市に発達した。

ブレーメンは帝国都市ではあったがハンブルク=ブレーメン大司教区に属しており、大司教の世俗支配を受けていた。1366年に大司教アルベルト2世はブレーメンの市議会とギルド(職業別組合)の対立に乗じて軍を派遣し、議員を市から追放すると市議会を刷新し、市の象徴であるローラントの木像を燃やして大司教による支配をアピールした。しかし、追放された議員たちが町を奪還すると市議会を奪い、大司教の影響力を排除。大司教から事実上独立し、要塞を建設・改築して守りを固めた。

ローラント(ローラン)は、フランク王でありローマ皇帝であるカール大帝に仕えた十二勇士に数えられるパラディン(騎士。侍従)で、聖剣デュランダルを携えてイスラム教徒が支配するスペイン遠征に参加し活躍した英雄と伝えられている。14世紀のドイツでは皇帝に代わって自由と独立をもたらす騎士として都市の象徴となり、しばしば帝国都市のマルクト広場に立像が建設された。ブレーメンではローラントの木像が1340~60年頃に設置されたが、1366年に焼失していた。1404年に新たな石造のローラント像が石工ヤコブ・オルデとクロウス・ツィーレイハーによって制作され、マルクト広場に立てられた。このローラント像が立っている限りブレーメンの自治と主権は安泰とされ、市によって保護され市民に愛された。

続いて市議会と市民の賛成を受けて1405~09年にラートハウスがゴシック様式で建て替えられた。それまではロマネスク様式のラートハウスが使用されていたが、やや東に移動し、聖ペトリ大聖堂に隣接してマルクト広場の北を抑える形で建設された。こうした立地も教会権力に屈しない市民の力の象徴とされる。1595~1612年には建築家リュダー・フォン・ベントハイムによって窓が拡大され、四隅に立っていたゴシック様式の尖塔が撤去されるなど、ファサード(正面)がルネサンス様式で改装された。そのスタイルはハンス・フレーデマン・デ・フリース、ヘンドリク・ゴルツィウス、ヤコブ・フロリスといったオランダのルネサンス建築家の影響を強く受けたもので「ヴェーザー・ルネサンス "Weser Renaissance"」と呼ばれている。1909~13年にはミュンヘンの建築家ガブリエル・フォン・ザイトルの設計で、歴史主義様式(中世以降のスタイルを復興した様式)の中でもネオ・ルネサンス様式にて旧庁舎の東に新庁舎が建設された。

ブレーメンは第2次世界大戦で連合軍による173回の空襲に見舞われ、建造物の約62%が失われたといわれる。しかし、マルクト広場のラートハウス周辺は奇跡的に破壊を免れ、新たな伝説を刻んだ。

○資産の内容

世界遺産の資産はラートハウスの新旧庁舎とローラント像に限られており、周辺の聖ペトリ大聖堂などは含まれていない。ただ、バッファー・ゾーンにはマルクト広場全域が含まれている。

ラートハウスはマルクト広場の北側、聖ペトリ大聖堂とリープフラウエン教会の間に位置している。南西の建物が旧庁舎で、北東が新庁舎だ。

ヴェーザー・ルネサンス様式の旧庁舎は41.5×15.8mの長方形・2階建てで、レンガ・ゴシック(ブリック・ゴシック。レンガ造のゴシック建築)の構造を残しており、1階のアーケード(屋根付きの柱廊)など部分的にゴシック様式が残されている。南西を向いたメイン・ファサードの2階部分の柱には神聖ローマ皇帝と7選帝侯(ドイツ王選出権を持つ諸侯。ドイツ王が教皇の承認を経て皇帝となった)の彫像が据えられており、ブレーメンが帝国都市であることを強調している。頂部の階段屋根とその周辺、他のファサードにもキリスト教の預言者や聖者をはじめ数多くの彫刻作品やレリーフが据えられている。各階に大きなホールを持つ「ザールゲショスバウ "Saalgeschossbau"」と呼ばれる多層建築で、1階はゴシック様式でオークの柱や梁を持つシンプルなホール、2階は皇帝や選帝侯らを描いた壁画や彫刻、華麗な木造装飾天井やシャンデリア・暖炉などを有する豪華なホールとなっている。他にもアール・ヌーヴォーの装飾で彩られた黄金の間やバロック様式の螺旋階段、新旧両庁舎を結ぶルネサンス様式のポータル(玄関)、大きなワイン・セラーを備えた地下室などがある。

新庁舎が立つ場所にはもともとタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)があり、「石油王」と呼ばれた商人フランツ・シュッテの支援を得て20世紀はじめにネオ・ルネサンス様式の新庁舎に建て替えられた。旧庁舎の3倍の敷地面積を持つ「□」形・3階建てのコートハウス(中庭を持つ建物)で、西の角で旧庁舎と結ばれている。四方のファサードはそれぞれ特徴的で、南西ファサードの市長室の出窓や北西ファサードの尖塔などが変化を与えている。やはり各階に大きなホールを持ち、上院議場やロビー、ボールルーム(ダンスなどを行うための大広間)のほか、ハンザの間、タペストリーの間などの部屋がある。

1404年に立てられたローラント像は2代目で、初代の木造ローラント像は1340~60年頃に設置され、1366年に焼失した。像の高さは5.5mで約60cmの台座に立っており、右手に剣、左手に盾を持っている。盾に刻まれた双頭のワシは神聖ローマ帝国の象徴で、これも帝国都市を示している。足下には不自由の像が置かれており、不自由を踏みつける形で都市の自由を表現している。背後にはゴシック様式の装飾が施された天蓋付きの柱が立っており、こちらは高さ10.21mとなっている。なお、頭部は1983~84年の修復で交換されたレプリカで、オリジナルはフォッケ博物館に収められている。

■構成資産

○ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ブレーメンのラートハウスとローラント像は神聖ローマ帝国時代に発達した都市の自治と主権の卓越した証拠を提示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ブレーメンのラートハウスとローラント像は都市の自治と市場の自由を象徴する際立ったアンサンブルである。ラートハウスは中世のザールゲショスバウ形式のホール建築を代表する建造物であり、北ドイツのいわゆるヴェーザー・ルネサンスの傑出した作品である。ローラント像は市場の権利と自由の象徴として建てられたもっとも代表的で最古級を誇るローラント像である。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

強い象徴性を持つブレーメンのラートハウスとローラント像は神聖ローマ帝国における都市の自治と市場の自由という概念の発達と直接関連したアンサンブルである。ローラントはカール大帝のパラディンであり、フランスのシャンソン・ド・ジェスト(武勲詩)をはじめ中世およびルネサンスの叙事詩の源となった歴史的人物である。

■完全性

ブレーメンの歴史地区の多くは第2次世界大戦中に深刻な破壊を受けて戦後新しい形で再建されているが、ラートハウス周辺はかなりの割合で被害を免れた。ラートハウスは資産の顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素を含んでおり、価値を表現するために十分なサイズを有している。開発や放棄といった悪影響もなく、法的に保護されている。

■真正性

ブレーメンのラートハウスは15世紀初頭にゴシック様式で最初の建物が建設され、17世紀初頭のバロック時代の大改修や20世紀初頭の新庁舎の建設など、長い歴史の中で数々の改装や増改築が行われた。このような歴史的変遷はラートハウスに刻まれており、各時代に応じた形状や素材に歴史的な真正性が保持されていると考えることができる。また、歴史の中で確立された、隣接する歴史的建造物やマルクト広場との空間的関係も維持されている。

ブレーメンのローラント像は同種の石像の中でもっとも古く、もっとも代表的なもののひとつであると考えられている。幾度もの修理・修復を経ており、元の素材が取り換えられている部分については真正性が一部失われている。

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