フィンランド南西部・ボスニア湾東岸、サタクンタ県のラウマ近郊に位置する先史時代の埋葬地で、青銅器時代の紀元前1500~前500年と初期鉄器時代の紀元前500~紀元前後に築かれた36基のケルン(ケアン/積石塚)が立ち並んでいる。同時代の埋葬地としてはスカンジナビア半島でもっとも大きくもっとも多様でもっとも完全なケルンを有し、当時の社会生活や宗教観を伝える貴重な史料となっている。
紀元前1500年、一帯は海に面しており、海岸線に位置していた。これは最終氷期(約7万~1万年前)にスカンジナビア半島がスカンジナビア氷床(フェノ=スカンジア氷床)と呼ばれる巨大な氷床(大陸レベルの巨大な氷塊)に覆われて沈降していたことに由来し、氷床が溶けたことで地殻が隆起して陸地となり、現在は海岸線から約20kmも離れることとなった。この隆起は現在も続いており、いずれボスニア湾全体が湖になるといわれている(隆起現象の詳細は世界遺産「ヘーガ・クステン/クヴァルケン群島」参照)。
青銅器時代の人々は海を見下ろす全長約700mの岸壁、現在のサーニヤルヴィ湖の北の尾根状の崖の上を埋葬地とした。周囲に遮るものがなく、日の出から日没まで太陽の当たる場所であり、農耕導入時に広がった太陽崇拝と関係があると考えられている。死者が出ると遺体を火葬し、遺骨や遺灰を木や石の骨箱に詰め、骨箱を覆うように周辺から採石した花崗岩を敷き詰めた。こうした石積みを一般的に「ケルン」あるいは「ケアン」というが、墓や墓地といった意味は持っていない。
この地のケルンの形状は円形や四角形と多様で、山のように厚く積み上げたものから地面を薄く覆う程度のものまで多彩だが、もっとも多いのは直径10mほどの円形・楕円形の薄いケルンだ。時代を下るほどケルンは厚くなる傾向があり、一族の者を同じケルンに埋葬する際に増築していたようだ。ただ、ケルンの総数が少ないことから埋葬されたのは死者の一部と見られ、収められている遺骨が少ないことから遺骨の一部のみが埋葬されたと思われる。石棺が収められていた例もあり、こちらは火葬ではなく土葬されたものと考えられる。副葬品はほとんどないが、鉄器時代のケルンから青銅製のブレスレットが発掘された例がある。また、遺骨が発見されていないケルンもあることから、宗教的な儀式の場としての機能も指摘されている。
代表的なケルンが、巨人が造ったとの伝説が伝わる「キルコンラーティア(教会の床)」だ。平面19×18m・高さ0.5mとほぼ正方形のケルンだが、このような形状はフィンランドで唯一のものとなっている。また、全長24m・幅8m・高さ1mと細長い形状で知られる「フイル(フルート)」は楕円形で山のように盛り上げられたこちらも珍しいケルンだ。両者からは遺骨が発見されていないため、これらが本当に墓であるかについては議論がある。「スピラーリ(スパイラル)」は直径27.5mの円形のケルンで、渦巻き状に石が敷き詰められており、太陽の象徴と考えられている。20歳前後の故人の遺骨が発掘されており、ケルンは紀元前1320~前1000年ほどに使用されていたものと思われる。また、31番ケルンは玄室をふたつ持つ初期鉄器時代のケルンで、青銅のブレスレットや紀元前180~後90年ほどに火葬された遺骨が発見されている。
青銅器時代にケルンを築いた人々の集落跡は発見されていないが、初期鉄器時代のいくつかの住居跡は見つかっている。住居のひとつは16×7mほどの長方形で、木の柱や石で屋根を支えていた。当時は粘土を固めた土壁か、木の枝で壁を作っていたものと思われる。内部で火を使った形跡あり、囲炉裏のような炉を備えていた。この頃には大麦や小麦を栽培する農業、ヤギやヒツジ、ウシ、ブタを飼う牧畜が中心となっており、ウサギやアザラシ、カモを狩る狩猟や、パイクやローチを釣る漁労が同時に行われていた。斧や短剣のような青銅器も出土しているが、スカンジナビア半島の青銅は使われておらず、交易によって手に入れたものであるようだ。青銅器時代はこうした時代への移行期と見られ、農業や牧畜がはじまった時代と考えられている。
サンマルラハデンマキのケルンの埋葬地はスカンジナビア半島の青銅器時代の社会に関する際立った証拠である。
サンマルラハデンマキの埋葬地はスカンジナビア半島の青銅器時代の葬祭の慣習を示す卓越した例である。
資産は印象的な自然環境の中に点在するケルンに関するすべての要素と個々の構造を含んでおり、マツやトウヒの森や農業景観に囲まれたサーニヤルヴィ湖が誕生する以前、かつての海岸線を示す尾根状の崖に位置している。こうした遺跡がこれほど完全な形で残っていることは珍しく、当時の社会生活を研究するためのきわめて貴重な史料となっている。その隔絶された環境ゆえに開発から免れ、地元の人々は遺跡とその保護に高い誇りを持っている。
バッファー・ゾーンには周辺の森林や農業景観が含まれており、西は国立鳥類保護区に指定されているサーニヤルヴィ湖に面している。
形状や素材に関してケルンはサンマルラハデンマキの埋葬地の本質を完全に表現しており、その配置や周囲の自然景観も同様である。
ケルンの発掘は調査・マッピング・記録といった点で科学的手法をつねに検討しながらさまざまな段階で実施されており、修復についてもこれらに基づいて注意深く行われている。