×2021年、世界遺産リストより登録抹消

海商都市リヴァプール

Liverpool – Maritime Mercantile City

  • イギリス
  • 登録年:2004年、2012年危機遺産リスト登録
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iii)(iv)
  • 資産面積:136ha
  • バッファー・ゾーン:750.5ha
世界遺産「海商都市リヴァプール」のピア・ヘッド、スリー・グレイシズ(三美神)。ロイヤル・リヴァー・ビルディング、キューナード・ビルディング 、ポート・オブ・リヴァプール・ビルディング(ドック・ビルディング)
世界遺産「海商都市リヴァプール」のピア・ヘッド、スリー・グレイシズ。時計塔のある左の建物からロイヤル・リヴァー・ビルディング、キューナード・ビルディング 、ポート・オブ・リヴァプール・ビルディング
世界遺産「海商都市リヴァプール」、アルバート・ドック。倉庫の下に見える赤い柱は鋳鉄製のドーリア式円柱。左端にスリー・グレイシズが見える
世界遺産「海商都市リヴァプール」、アルバート・ドック。倉庫の下に見える赤い柱は鋳鉄製のドーリア式円柱。左端にスリー・グレイシズが見える
世界遺産「海商都市リヴァプール」、ギリシア神殿を思わせるセント・ジョージ・ホール
世界遺産「海商都市リヴァプール」、ギリシア神殿を思わせるセント・ジョージ・ホール

■世界遺産概要

リヴァプールはイングランド北西部、マージーサイド州の港湾都市で、18世紀から20世紀の第1次世界大戦にかけてイギリスの最大貿易港としてイギリス第2帝国の海運を支えた。新古典主義様式(ギリシア・ローマのスタイルを復興したグリーク・リバイバル様式やローマン・リバイバル様式)や歴史主義様式(ゴシック様式やルネサンス様式、バロック様式といった中世以降のスタイルを復興した様式)あるいは世界最初期のモダニズムの公共施設やオフィスビル、世界最先端を誇ったドック(船の製造・修理・点検・荷役・保管を行う施設)や倉庫群など、多彩な建造物が対象となっている。

○資産の歴史

マージー川の河口に位置し、アイリッシュ海に面したリヴァプールは古くから港湾都市として発展し、特にアイルランドやスコットランドとの貿易で栄えていた。17世紀に入るとロンドンから多くの商人が移住し、南北アメリカ大陸との貿易を開始した。主にタバコや砂糖、ラム酒を輸入していた。

1715年に商業用の密閉式係船ドック(係船ドックでは満潮時に船を運び入れ、干潮時に水が引いたところで点検や修理を行った)であるオールド・ドックが開業した。この最新設備によって世界港としての地位を獲得し、三角貿易に加わった。この時代の三角貿易は、「イギリス→(工業製品・武器)→西アフリカ→(黒人奴隷)→北アメリカ→(タバコ・砂糖・ラム酒・綿花)→イギリス」というもので、リヴァプールは奴隷貿易の拠点となった。

1753年にソルトハウス・ドックが開設され、1776年にアメリカが独立すると、カナダのニューファンドランド島、カリブ海の西インド諸島、アイルランドや地中海を結ぶ北三角貿易が成長し、塩の輸出が促進された。奴隷の輸送は1807年に廃止されたが、奴隷の代わりにイギリスからアメリカへ大量の移民を輸送した。こうした貿易で莫大な利益を上げ、19世紀初頭までに帝国最大の港湾都市に成長した。

リヴァプールでは内陸部の水路や陸路も整備され、1757年にはセントヘレンズ炭田とマージ-川を結ぶ世界初の工業用運河とされるサンキー・ブルック運河、1816年にはリーズとリヴァプールを結ぶリーズ・リヴァプール運河、1830年には世界初となる実用的な蒸気機関車が走ったリヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道が開通した。18世紀後半に産業革命がはじまるが、リヴァプールは石炭・鉄鉱石といった原料の産地と鉄鋼業の工業地帯、さらにリーズやマンチェスターといった綿や織物の産業地帯とのアクセスがよく、産業革命の進展に寄与した。産業革命が進むと綿製品は輸入から輸出に転じ、「イギリス→ (綿織物)→インド→(銀・アヘン)→中国→(茶)→イギリス」という新たな三角貿易が行われた。

貿易量が増えるに従って新たなドックが必要となり、1846年にアルバート・ドック、1848年にスタンリー・ドック、1852年にワッピング・ドックが次々にオープンした。土木技師ジェシー・ハートリーが設計を担ったこれらのドックは画期的で、ドックに隣接して倉庫が設置されていた。水圧や油圧を利用したクレーンなどの最先端の設備により港に停泊したまま荷物の積み降ろしが可能で、効率は格段に向上した。特に19世紀半ばまでの帆船の時代は天気任せの航海で予定が狂いやすく、商品を保管するために数多くの倉庫が必要となった。また、綿花や綿織物のように燃えやすい荷物も多く、火災対策が重要視された。世界初の完全耐火倉庫であるアルバート・ドック倉庫、世界最大のレンガ造建築であるスタンリー・ドック・タバコ倉庫、穀物用のウオーター・ルー倉庫など、巨大で火災に強い数々の倉庫が建設された。

19世紀はじめに帆船と蒸気船のハイブリット船が数多く建造され、1833年にロイヤル・ウィリアム号がほとんど蒸気機関の力で大西洋を横断した。これ以降、蒸気船がメインとなり、船のトン数も増加した。

貿易の伸長に伴って都市も成長し、数多くの商社や銀行のオフィスビルや公共施設が建設された。3~4階建てのビルが立ち並び、1893年には世界初の高架電気鉄道であるリヴァプール高架鉄道が開通した。すぐれた建築も数多く、石材やレンガを用いた新古典主義様式や歴史主義様式の建築、あるいは鉄骨造や鉄筋コンクリート造のモダニズム建築が主流となった。

イギリスは1776年にアメリカの独立を許して第1帝国が崩壊するが、産業革命をいち早く成功させると、ヴィクトリア女王の時代(1837~1901年)に植民地を拡大して「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれた第2帝国を打ち立てた。リヴァプールはこの繁栄を背後で支えつづけ、帝国第2の都市にまで成長した。しかし、第1次世界大戦や世界恐慌で衰退し、第2次世界大戦では戦略拠点ということで爆撃を受けて大きな被害を出した。これによりリヴァプールの繁栄は終焉を迎え、人口も半減した(1930年の人口85万に対し、現在は45万~50万人程度)。

○資産の内容

世界遺産の資産は主に6つのエリア、ピア・ヘッド、アルバート・ドック保全地域、スタンリー・ドック保全地域、キャッスル・ストリート/デール・ストリート/オールド・ホール・ストリート商業地域周辺の歴史地区、ウィリアム・ブラウン・ストリート文化地区、ロウワー・デューク・ストリートからなっている。

マージー川右岸に展開する「ピア・ヘッド」は20世紀初頭のリヴァプールの中心で、特に「スリー・グレイシズ(三美神)」と呼ばれる隣接する3棟のビルで知られる。最北に立つロイヤル・リヴァー・ビルディングはウォルター・オーブリー・トーマスの設計で1908~11年に建設された高さ50.9m・13階建ての高層ビルで、ふたつの尖塔は高さ98.2mに及ぶ。鉄筋コンクリートによる世界でも最初期の建造物のひとつながら、全体のデザインはバロック的な重厚さを持つ歴史主義様式となっている。南に隣接したキューナード・ビルディングは1914~17年の建設で、設計はウィリアム・エドワード・ウィルリンクとフィリップ・コールドウェル・シックネスが担当した。6階建てで、ギリシア建築やルネサンス建築を彷彿させる折衷主義様式(特定の様式にこだわらず複数の歴史的様式を混在させた19~20世紀の様式)となっている。さらに南のポート・オブ・リヴァプール・ビルディング(ドック・ビルディング)は1903~07年に建設された高さ67m・5階建ての建物で、アーノルド・ソーネリーとF・B・ホッブスが設計を担当した。中央に大ドーム、四隅に小ドームを冠したネオ・バロック様式で、構造には鉄筋コンクリートが使用されている。ピア・ヘッドにはこれ以外にもアール・デコ様式のジョージズ・ドック・ビルディングやポストモダン(ポスト・モダニズム)のリヴァプール博物館などユニークな建物が立ち並んでいる。

「アルバート・ドック保全地域」はピア・ヘッドの南に広がるエリアで、ハートリーがドックと倉庫を組み合わせた画期的なドック・システムを築いて1846年オープンさせた。これにより船から直接積み降ろしができただけでなく、レンガ・石・鋳鉄を多用して完全耐火倉庫とし、世界初の油圧クレーンを導入するなど世界最先端を走るドックとなった。倉庫の下部には赤い鋳鉄製のドーリア式円柱が立ち並んでおり、景観にも配慮した造りとなっている。現在は「王室」を冠してロイヤル・アルバート・ドックと呼ばれている。

ピア・ヘッドの北に位置する「スタンリー・ドック保全地域」には数々のドックと倉庫が含まれている。中心となるスタンリー・ドックはやはりハートリーの設計で、1848年にオープンした。ドック・システムはアルバート・ドックとほぼ同様だ。隣接のタバコ倉庫は当時世界最大のレンガ建築とされ、面積15ha・高さ38m・14階建てで約2,700万個のレンガが使用されたという。隣のコーリングウッド・ドックとソールズベリー・ドックはスタンリー・ドックと同時に設計・建設され、より小さな船を扱うドックとして1848年にオープンした。突堤に立つ六角形のヴィクトリア・タワーは時刻と気象を知らせる時計塔だ。クラレンス・ドックはこれらより早い1830年の開設で、主に蒸気船のドックとして使用された。

「キャッスル・ストリート/デール・ストリート/オールド・ホール・ストリート商業地域周辺の歴史地区」は「コマーシャル・クオーター」といわれるエリアで、18~19世紀の商業施設が集中している。中心に座すのがリヴァプール市庁舎で、著名な建築家ジョン・ウッド・ジ・エルダーの設計で1754年に完成した。しかし、1795年に焼失し、1802年にジョージアン様式(ジョージ1~4世の治世にあたる1714~1830年のジョージアン時代の建築様式。古代・中世の様式を復興した新古典主義様式や歴史主義様式を特徴とする)で再建された。ファサードはコリント式の柱と大きなペディメント(三角破風)を持つ荘厳な造りで、内部も中央階段やドームなど洗練された装飾で知られる。現在も市議会が開催されており、ホールは結婚式などにも使用されている。タワー・ビルディングはリヴァプールを代表するオフィスビルで、1906~10年にウォルター・オーブリー・トーマスの設計で建設された。最初期の鉄骨造建築で、5~8階建ての壁面は花崗岩で覆われており、モダニズム建築ながら重厚な外観を演出している。銀行の本社ビルとして建てられたハーグリーブス・ビルはジェームズ・ピクトン設計の地上3階・地下1階の建物で、ヴェネツィア(世界遺産)の宮殿建築を模した歴史主義様式の石造建築となっている。

「ウィリアム・ブラウン・ストリート文化地区」は「カルチュラル・クオーター」と呼ばれるエリアで、かつての主要公共施設が集中している。セント・ジョージ・ホールは1841〜1854年に建設された新古典主義様式の建物で、全長は約150mに及び、大小さまざまなホールを内包している。コリント式の円柱や角柱が取り囲む周柱式ギリシア神殿を模したグリーク・リバイバル様式の傑作と名高いが、バシリカ(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の教会堂)のアプス(後陣。半円形の張り出し)が見られるなどローマ建築の要素も備えている。一帯には世界博物館やウォーカー・アート・ギャラリー、ピクトン読書室など、ギリシア・ローマ建築を思わせる19世紀の新古典主義様式の建物が立ち並んでおり、荘厳な雰囲気を醸し出している。一方、ライム・ストリートを挟んだ先のリヴァプール・エンパイア劇場はネオ・バロック様式、旧ノース・ウエスタン・ホテルはネオ・ルネサンス様式と、歴史主義様式のより華やかな展開が見られる。隣接するライム・ストリート駅は1836年開業で現在も運行されているターミナル駅で、1870年代に鉄とガラスの屋根が取り付けられてモダニズムの外観が完成した。カルチュラル・クオーターはギリシア、ローマ、ルネサンス、バロック、モダニズムの景色が入れ替わるまさに文化的空間となっている。

「ロウワー・デューク・ストリート」はかつてのオールド・ドックに隣接した地域で、リヴァプール初期の中心地であり、歴史ある倉庫やオフィスビル、住宅が残されている。中でも一帯最古を誇るのが1716~17年建設のブルーコート・チャンバース(ザ・ブルーコート)だ。「H」形の平面プランを持つバロック様式(クイーン・アン様式)の建物で、当初は慈善寄宿学校だったが美術・建築学校になり、現在はさまざまな文化活動を行う芸術センターとなっている。

■危機遺産リスト登録理由

リヴァプールでは30年55億ポンド(約7,800億円)を投入するウオーター・フロントの大規模開発計画「リヴァプール・ウオーターズ」が立ち上がった。開発予定地の一部は資産やバッファー・ゾーンに掛かっており、高層ビル群やサッカー・スタジアムの建設も計画されている。こうした開発はドックと港・川・関連の施設が一体となった歴史的な都市景観を断絶し断片化することが予想され、資産の顕著な普遍的価値や完全性・真正性に不可逆的な影響を与える恐れがある。こうしたプロジェクトが承認・実施された場合、世界遺産リストからの抹消も考えられる。

■構成資産

○ピア・ヘッド

○アルバート・ドック保全地域

○スタンリー・ドック保全地域

○キャッスル・ストリート/デール・ストリート/オールド・ホール・ストリート商業地域周辺の歴史地区

○ウィリアム・ブラウン・ストリート文化地区

○ロウワー・デューク・ストリート

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

18~20世紀初頭のドックと港湾管理は革新的なもので、その後の港湾都市のモデルとなった。海上帝国を築いたイギリスの国際的商業システムの構築に貢献し、奴隷や移民など人類の大量移動の拠点となった。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

18~20世紀初頭における海上商業文化の発展に関する際立った証拠であり、イギリス帝国の興隆に貢献した。また、1807年に廃止された奴隷貿易や、北ヨーロッパからアメリカへ向かう移民の移住の拠点でもあった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

近代の商業港湾都市の顕著な例であり、イギリス帝国全体のグローバルな貿易と文化の発展をよく表している。

■完全性

18~20世紀初頭までの革新的な技術やドック建設、あるいは建築・文化活動の品質・革新性といった点について、顕著な普遍的価値を証明する重要な要素は構成資産6件にすべて含まれている。これらのエリアの主要な構造と建築はおおむね無傷だが、スタンリー・ドックや関連の倉庫をはじめ、一部は保全と整備が必要である。リヴァプールの都市グリッドは第2次世界大戦の破壊と復興を受けてある程度変化したが、それでも通りはさまざまな時代を表現しており、歴史的進化を容易に読み取ることができる。

20世紀半ばに再開発された地域、あるいは第2次世界大戦中に損傷を受けた地域、たとえばマン島とシャヴァス公園、カニング・ドックなどでいくらか再開発が進められた。しかし、歴史的な遺構はできるだけ本来の場所に保存され、開発地域の歴史は完全に評価・記録された。200年近く埋められた後、保全され露出していたオールド・ドックの北東に新しいビジター・センターがオープンした。こうした開発が建築の質と場の特徴を悪化させたり、ドックの完全性を低下させる可能性があるが、デザイン・ガイダンスの作成・採用により世界遺産の資産内およびその周辺のリスクは最小限に抑えられる。

■真正性

資産内における主要なドックと商業用・文化的建造物は形状・デザイン・素材・使用法・機能において本物で、顕著な普遍的価値を証明している。アルバート・ドックの倉庫は、新しい用途に巧みに適応している。世界遺産リストへの登録以来、いくつかの新しい開発が行われたが、断片化されていた物件が統一されるなど、都市の一貫性に貢献している。都市とその偉大な過去に関する物理的な証拠が際立っていて視認できる限りにおいて、開発によって真正性は重大な損失を被ることはなく、場合によっては強化される。主要なドックは資産およびバッファ-・ゾーン内の水域として存続するが、古いドックの新しい開発に関して資産への影響はつねに考慮されなければならない。資産とバッファー・ゾーン内における将来的な開発は顕著な普遍的価値を尊重し伝達することが不可欠である。

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