紀元前5000~前500年におけるアルプス山脈周辺の杭上(こうじょう)住居の集落遺跡を登録した世界遺産。構成資産は6か国111件に及び、イタリア19件、オーストリア5件、スイス56件、スロベニア2件、ドイツ18件、フランス11件となっている。
杭上住居とは、陸地や湿地、湖や川の中や周辺に多数の杭を打ち、その上に板を張って床とする高床式の住居を示す。地面の状態を問わないため傾斜地や水辺などにも建てることができ、地面と床を離すことで水や害虫・害獣の侵入を手軽に防ぐことができる。
ヨーロッパでは新石器時代・青銅器時代・鉄器時代を通してこのような杭上住居が湖や川の畔に建設されたが、地面に打ち込む杭は腐食しやすくほとんど残ることがなかった。しかし、19世紀に高山帯や亜高山帯の冷涼な湖の中で水没している杭上住居が発見されると同種の発見が相次ぎ、世界遺産推薦時までに937もの杭上住居跡が確認された。構成資産のうち37%は水深10m以内の水中にあり、30%は部分的に水没し、33%が陸地や沼地に位置している。湖や川の流域の変化によって水没したり乾燥したりして集落は5~20年ほどで移転していたようだが、中には50~100年ほど存続したと見られる集落も発見されている。
時代的には紀元前5000~前500年のもので、住居以外に石器や青銅器・鉄器・陶器・火打石・金・織物・帽子・靴・網・箱・船・穀物・果実・貝・鳥の卵・動物の骨・ハチミツといった遺物が発見されている。紀元前3400年頃の車(車輪)や紀元前3000年頃の織物など、ヨーロッパ最古級の発見も少なくない。
文化的にも多様で、約5,000年間にわたる30ほどの文化グループに分類される。多くの集落で農業が行われており、小麦や大麦の栽培の跡が見られる。動物の家畜化も進められ、ブタやヤギ、ヒツジの骨が発見されている。夏は山の牧草地で放牧を行い、冬は家畜小屋で舎飼(畜舎で飼料を与えて家畜を飼うこと)を行っていたようだ(移牧)。こうした遺構や遺物は各集落での生活文化を伝えるだけでなく、その内容を比較することで文化の伝達経路や時代的変遷などが明らかになっている。
紀元前2200年ほどまでさかのぼるスロベニアの杭上集落ではヨーロッパ最初期の冶金(金属の製錬・精製・加工・製造)の証拠が出土しており、新石器時代から青銅器・鉄器時代へ移行する様子がうかがえる。鉄が普及する紀元前800年頃になるとこうした水辺の集落は急速に姿を消していく。
本遺産は登録基準(v)とともに登録基準(iii)「文化・文明の稀有な証拠」で推薦されたが、単一の文化・文明とはいえないため登録基準(iv)がより適しているというICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の提案に沿って(iii)から(iv)に変更された。
一連の杭上住居遺跡群は紀元前5000〜前500年におけるヨーロッパ初期の農業社会の研究にとってもっとも重要な考古学的史料のひとつである。浸水した住居跡は腐敗することなく有機物を保存し、ヨーロッパの新石器時代・青銅器時代の歴史上の重要な変化、特にアルプス周辺の地域間交流の理解に大きな貢献をしている。
杭上住居遺跡群は5,000年以上にわたってヨーロッパの高山・亜高山地域における先史時代の初期農業の湖岸コミュニティの集落と地域的特性に関する詳細かつ際立った証拠を提供している。明らかになった考古学的証拠により、これらの社会が新しい技術や気候の変化に応じて環境に適応していった様子を理解することができる。
ヨーロッパではおよそ千もの杭上集落が発見されているが、構造・グループ・期間の多様性を考慮し、住居の大部分が無傷で残っている集落が選択されている。これにより地理・期間・文化グループといった点で考古学的現象の文化的背景を捉えており、全体として顕著な普遍的価値を表現するすべての要素を網羅している。ただ、これらの遺跡は水域のオーバーユースや農業・都市開発に対して脆弱で、実際いくつかの遺跡では開発によって一部の視覚的完全性が損なわれている。完全性を強化するために、6か国共通でより高度な監視体制を構築する必要がある。
遺跡はよく保存され、記録されている。地下あるいは水面下に保存されている考古学的遺跡は構造的・素材的・形態的に本物であり、後の時代の改修はいっさいなされていない。こうした有機的な遺物は集落の使用と機能に関する最高の証拠といえる。遺跡に関する研究・協力・連携の長い歴史は高いレベルの理解と記録を成果として残してきた。川岸や湖畔といった環境との関係は位置的な特徴を伝えるために重要であるが、ほとんど完全に水中に隠されているため遺跡の価値を表現することは難しい。遺跡としてその場で明示的に展示することができないため、多くは博物館でその内容が展示されている。資産全体の価値および個々の遺跡の全体への貢献に対する理解を促すために、包括的なプレゼンテーションの枠組みを開発する必要がある。