ローマ帝国が国境沿いに築いた防塞システム=リメスを登録した世界遺産。本遺産は1987年にイングランドとスコットランドの国境近くに築かれたハドリアヌスの長城が単独で世界遺産リストに登録され、2005年にドイツの上ゲルマニアとラエティアのリメス、2008年にスコットランドのアントニヌスの長城を加えて拡大された。
なお、ローマ帝国のリメスを登録した世界遺産には他に以下がある。
ローマ帝国はその国境線に沿って城壁や要塞・砦を築き、「リメス」と呼ばれる防塞システムを敷いた。「長城」は一般的に国境線に沿って築かれた城壁を示し、リメスの一部に採用された。ローマ帝国の国境線は現在イギリスのあるグレートブリテン島からドイツ、黒海、紅海、中東、北アフリカまで7,500kmを超え、要所に城壁や土塁・堀・城・要塞・砦・橋頭堡・堡塁・望楼・駐屯地・居住地・埋葬地・港・道などを建設した。
ハドリアヌスの長城は皇帝ハドリアヌスの命でローマ属州ブリタンニアの北端に築かれた全長118kmの城壁で、122年から約10年をかけて完成した。丘や川・湖・海岸といった地形に合わせて高さ6.5mほどの城壁を延ばし、壁の南はV字形の堀で補強し、1ローマ・マイル(1,480m)ごと約20人の兵士を収容する砦を配し、砦と砦の間にはふたつの望楼を監視用に設置した。長城の大部分は122~124年に建設されたもので、急造であるため地域ごと素材が異なり、一部は土塁で石垣は東部のみとなっている。124~125年には7ローマ・マイルごとに要塞を設けて強化し、城壁は延長された。チェスターズ砦、ハウスステッド砦、ヴィンドランダ砦、コーブリッジローマン・ステーションなど約100のモニュメントと遺跡が点在している。長城の有効性は2~3世紀にかけて行われたピクト人に対する戦闘で確認された。この長城は中世から近代にかけてイングランドとスコットランドを分ける国境線にもなっていた。
アントニヌスの長城は皇帝アントニヌス・ピウスによって築かれたもので、ハドリアヌスの長城の北170kmほどに建設された。フォース川からクライド川まで全長約60kmで、142~144年のわずか2年で建設されたが、多くは石垣というより高さ3~4mほどの土塁だ。並行して幅7.5〜12.0m・深さ3.6 mほどの堀が掘られ、一定間隔で砦や望楼・駐屯所が設置された。砦はまず城壁と同時かそれ以前に13kmごと6基が築かれ、間隔を平均3.6kmに短縮して11基が追加された。これらの砦は石か土の城壁を持っていた。ラフ城やバーヒル砦、ベアズデン砦など、築かれた17基のうち16基は現存している。壁に沿って6か所の駐屯所が築かれたが、これらはいずれも地上に跡はない。長城はスコットランド遠征の拠点として築かれたが、遠征に失敗して164年に放棄され、国境は20年ほどでハドリアヌスの長城へ戻された。
ローマ時代、現在のドイツ、デンマーク、ポーランド、チェコ、スロバキア周辺の土地は「ゲルマニア」と呼ばれ、紀元前55~後16年ほどにかけてローマ帝国による遠征が行われた。ライン川沿いには数多くの要塞や砦、城壁や堀・柵、望楼、橋頭堡や港・堤防が築かれ、リメスを整備して防塞線を敷き、国境を守備した。紀元前後にはライン川中流・下流域のゲルマニア西部を征服し、1世紀後半にはライン川上流のゲルマニア南部やドナウ川沿岸を版図に収めた。90年にローマ属州・下ゲルマニア(ゲルマニア・インフェリオル)と上ゲルマニア(ゲルマニア・スペリオル)が成立してゲルマニアの国境地帯を形成した。上ゲルマニアについては皇帝クラウディウスが切り拓き、ドミティアスが最初のリメスを建設し、最大版図を築いたトラヤヌスが固定した。1~2世紀、ドミティアスやトラヤヌス、ハドリアヌスの時代に数多くの要塞や砦・望楼が築かれ、城壁や堀・堤防で強化された。本遺産のドイツ・リメスは上ゲルマニア=ラエティア・リメス(上ゲルマニア・リメスとラエティア・リメス。ローマ属州の上ゲルマニアはライン川中流域の一帯、ラエティアはその東でライン川とドナウ川の上流域の一帯)と呼ばれるもので、ライン川沿いのリメスはライン・リメス、ドナウ川沿いのリメスはドナウ・リメスとも呼ばれる。ライン川の下流のリメスについては世界遺産「ローマ帝国の国境線-下ゲルマニア・リメス(オランダ/ドイツ共通)」、ドナウ川の下流のリメスについては世界遺産「ローマ帝国の国境線-ドナウ・リメス[西セグメント](オーストリア/スロバキア/ドイツ共通)」に登録されている。
北西のライン川から南東のドナウ川まで約550kmの国境線に沿った防塞線で、両河川を堀としてその間、あるいは川に沿って土塁や柵・堀・城・要塞・砦・望楼・堡塁・橋頭堡・城壁・居住地などが築かれた。ヌメリ砦やザールブルク砦など100~1,000人の兵士を収容する60の要塞や砦が知られており、300~800mおきに建てられた約900の望楼が確認されている。これらは85年から3世紀まで段階的に建築・改修されており、西ヨーロッパや南ヨーロッパへ圧力を強めるゲルマン人に対する防衛拠点となった。測量の正確性はローマ時代の文化レベルの高さを示しており、軍事的に重要な地形をカバーするだけでなく、穀倉地帯を含むなど政治的・経済的な戦略もうかがえる。リメス内外は断絶されていたわけではなく貿易が行われており、交易都市として発達する植民都市もあった。ドイツのリメスの46%は山や森林地帯に、46%は耕地や草原に、8%は集落や町に位置しており、約9%は破壊・撤去された。その多くはいまだ土中に埋もれており、視認できるのは27%にすぎないとされる。世界遺産の資産となっているのは確認されたものの一部だ。こうしたリメスはローマ帝国の衰退に伴い3世紀後半、おそらく260年前後に放棄された。
本遺産は登録基準(vi)「価値ある出来事や伝統関連の遺産」でも推薦されたが、ローマ時代の象徴であり、ローマ帝国の境界内でアイデアと宗教が広がり、後にキリスト教の広がりを導いたという主張に対し、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は同意しなかった。
ドイツのリメス、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城はヨーロッパに存在するローマ帝国のフロンティア(最前線・未開拓地との境界線)に関する重要な要素を構成している。城・砦・壁・堀・インフラ網・民間建築といった帝国外縁部における軍事建築の開発を通じて、帝国の最高点で築き上げた人間的・文化的価値の重要な交換を表現している。帝国北西部では広範囲にわたる支援ネットワークを有する軍事施設と関連の民間居住地がはじめて導入されたが、それらは同地に存在する社会に複雑なフロンティア・システムが取り込まれていることを反映している。フロンティアは難攻不落の障壁というわけではなかったが、軍事ユニットだけでなく民間人や商人の移動を制御・規制した。そのため異国からの兵士や民間人の移動を通じて交流が行われることもあり、居住パターンや建築・景観・空間形成に関して地域に変化と発展をもたらした。今日でもフロンティアは景観に大きな影響を与えつづけている。
ローマ帝国の一般的な防塞システムの一部として、ドイツのリメス、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城は非常に高い文化的価値を持っている。これらはヨーロッパ北西部のフロンティアの統合による帝国の最大版図に関する際立った証拠を提示し、その政策を物理的に構成している。また、世界を支配するために長期的な観点からローマ式の法と生活様式を確立しようという帝国の野望の現れである。それらは帝国によるの植民地化やローマ文化の拡散、伝統と異なる軍事・工学・建築・宗教・政治の伝播の証拠であり、防塞システムと関連した数多くの居住地でどのように軍人や彼らの家族が暮らしていたのかその理解に貢献する。
ドイツのリメス、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城はローマの軍事建築と建造技術の際立った例であり、数世代にわたるエンジニアたちによる技術的開発によって完成した。ヨーロッパ全域に広がった帝国の北西部の政治・軍事・社会環境だけでなく、特定の地形や気候に適応したローマ人の多様性と洗練性を実証しており、地域のその後の発展を形作る礎となった。
数多くの構成資産はヨーロッパ北西部のローマ帝国のフロンティアの並外れた複雑さと一貫性を伝えている。土地利用の変化と自然環境の影響を受けている遺跡も一部に見られるが、資産の完全性は視認できる遺跡と埋没している遺跡の考古学的特徴を通して実証されている。多くの遺跡がその状態を研究されており、重要な考古学的遺跡が存在することが証明されたものが資産に含まれている。
ハドリアヌスの長城の4/5は開けた平野を貫いており、中央の45km弱は非常に良好な保存状態で、ローマ軍の重要な痕跡を示している。中央以外の部分についても個々の資産はよい状態を保っている。
ドイツのリメスは全体として歴史的な形のまま保存されている。全長の半分程度は露出しており、現在の国境や道路と一致する。大多数の考古学的なモニュメントと同様、その価値は視認できる遺跡と埋没している遺物が組み合わさっている。
アントニヌスの長城の1/3は視認できる土塁と関連する構築物の複雑な組み合わせからなっている。もう1/3は地方に位置し、そのラインは視認することができない。残りの1/3は都市部に存在する。
構成資産は真正性を高いレベルで保持しており、それぞれが広範な研究と調査を通じて検証されている。埋没した考古学的遺跡も視認できる遺跡と同様によく保存されている。フロンティアの代表的な部分と関連部分の構造の形状とデザインは明確でわかりやすい。構成資産の遺構の上部に砦や望楼などが復元された例も少なくないが、1965年以降に復元された遺跡の上部構造は構成資産とは見なされない。ただし、上部構造は垂直バッファー・ゾーンとして扱われ、機能する。
ハドリアヌスの長城の形状とデザイン、特にその直線的な特徴、建築的・軍事的要素は理解しやすく、景観内の位置と設定は明確に評価することができる。資産の直立部分は最高の基準で保全されており、修復も適切に行われている。
ドイツのリメスの多くは地下にあり、それらは発掘も埋め戻しもされていない。発掘された遺物は適切に保存されており、遺構の配置や完全性・真正性を保護するために地上の象徴的な描写によって提示されている。ただ、世界遺産登録以前に復元された建造物によって真正性が損なわれた例もある。
アントニヌスの長城は一般的に良好な保存状態で、視認できる部分はかなりの高低差を持つ。遺跡のよりよい理解と保護のために実施された保全と強化の手段は資産に適合しており真正性を毀損していない。