中世の墓碑ステチュツィの墓所群

Stećci Medieval Tombstone Graveyards

  • クロアチア/セルビア/ボスニア・ヘルツェゴビナ/モンテネグロ
  • 登録年:2016年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(vi)
  • 資産面積:49.15ha
  • バッファー・ゾーン:321.24ha
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ストラツのラディムリャのステチュツィ
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ストラツのラディムリャのステチュツィ。石棺のように見えるが墓本体は地中に埋まっている (C) Litany
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、ボスニア・ヘルツェゴビナ、カリノヴィクのセンギチャ・バラのステチュツィ
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、ボスニア・ヘルツェゴビナ、カリノヴィクのセンギチャ・バラのステチュツィ。手前のステチュツィには狩猟の様子が描かれている (C) Adnan Šahbaz
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、クロアチア、ペルーチャックのムラモリェのステチュツィ
世界遺産「中世の墓碑ステチュツィの墓所群」、クロアチア、ペルーチャックのムラモリェのステチュツィ (C) Goldfinger

■世界遺産概要

「ステチュツィ」は12~16世紀にバルカン半島で築かれた墓碑で、3,300を超える墓地に70,000点以上のステチュツィが発見されており、このうち約60,000点がボスニア・ヘルツェゴビナに集中している。南スラヴの言葉で "stajati" は「立っている」を意味し、名詞形の "stećak" は「立っている物」でその複数形が世界遺産名にある "stećci" となる。構成資産となっているのはボスニア・ヘルツェゴビナ20、クロアチア2、モンテネグロ3、セルビア3の計28か所の墓地で、これら墓地群に設置されたステチュツィの総計は約4,000点に及ぶ。

○資産の歴史と内容

バルカン半島においてステチュツィの制作は12世紀後半にはじまり、14~15世紀に最盛期を迎えた。ボスニア・ヘルツェゴビナの文化的伝統に由来すると見られるが、巨石文化やキリスト教の石棺に影響を受けているなどともいわれ、起源は特定されていない。正教会、ローマ・カトリック、ボスニア教会といった宗教や教派の違いに関係なく見られた墓地形態で、墓の多くは同じ方向を向いて整然と並べられた。ステチュツィは墓の上に置かれた墓石、あるいは文字や記号・絵を刻んだ墓碑で、墓と同じ方向に向けられた。石の位置や大きさ・種類・装飾などで宗教や民族・階級などを表現したが、墓地にはそうした多様なステチュツィが置かれていた。石は主に石灰岩が使用されたが、凝灰岩や蛇紋岩・粘板岩・礫岩の例もある。大きな石を採るために墓地は採石場の近くに設けられることが多く、碑文を刻む職人の工房も近郊で営業していた。

ステチュツィの形状としては、12世紀から見られる単純な石板のようなスラブ型、14世紀半ばから制作がはじまる箱のような石櫃型、15世紀初頭に現れる「∧」形の切妻屋根型、15世紀半ばからの十字架型、15世紀後半からの柱型などがある。このうち石櫃型がもっとも多く、スラブ型が続き、十字架型や柱形はまれで5%に満たない。装飾は何もないことが多いが文字や記号・絵を彫り込んだものも少なくない。宗教やなんらかのシンボルが多く、太陽・月・星・渦巻き・ロゼット(花や葉)・十字・幾何学図形・ヘビ・シカ・ユリ・ブドウ・武器類・道具類など多種多様だ。複雑なものでは民族舞踊コロや騎馬戦・狩猟の様子を描いたものも存在する。キリスト教徒の墓に土着の神話が描かれている例もあり、こうした装飾は死者の精神的・宗教的・思想的背景を描き出すものとなっている。碑文は現在使われていないボスニア・キリル文字で書かれたものが多く、一部でラテン文字なども見られる。内容は宗教的なフレーズや故人の思想・信条から仕事や親族まで、多彩な情報が記されている。

15世紀後半にイスラム王朝であるオスマン帝国がバルカン半島の多くを征服すると衰退し、16世紀にはキリスト教やイスラム教の伝統的・一般的な墓地形態に移行していった。

■構成資産

○Radimlja, Stolac(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Grčka glavica in the village of Biskup, Konjic(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Kalufi in Krekovi, Nevesinje(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Borak in the village of Burati, Rogatica(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Maculje, Novi Travnik(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Dugo polje at Blidinje, Jablanica(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Gvozno, Kalinovik(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Grebnice, Radmilovića Dubrava, Baljci, Bileća(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Bijača, Ljubuški(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Olovci, Kladanj(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Mramor in Musići, Olovo(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Kučarin in Hrančići, Goražde(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Boljuni, Stolac(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Dolovi in the village of Umoljani, Trnovo(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Luburića polje, Sokolac(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Potkuk in Bitunja, Berkovići(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Bečani, Šekovići(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Mramor in Vrbica, Foča(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Čengića Bara, Kalinovik(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Ravanjska vrata, Kupres(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

○Velika and Mala Crljivica, Cista Velika(クロアチア)

○St. Barbara, Dubravka, Konavle(クロアチア)

○Grčko groblje, Žabljak(モンテネグロ)

○Bare Žugića, Žabljak(モンテネグロ)

○Grčko groblje, Plužine(モンテネグロ)

○Mramorje, Perućac, Bajina Bašta(セルビア)

○Mramorje, Rastište, Bajina Bašta(セルビア)

○Grčko groblje, Hrta, Prijepolje(セルビア)

■顕著な普遍的価値

本遺産はICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)から登録延期勧告を受けていたが、世界遺産委員会で逆転で登録された。登録基準について(ii)「重要な文化交流の跡」でも推薦されていたが、ICOMOSは文化交流のプロセスにほとんど焦点が当てられておらず、芸術の重要な発展という側面にも疑問が残り、証明がなされていないとして価値を認めなかった。また、推薦時には30か所の墓地が構成資産となっていたが、ICOMOSの評価報告を受けてボスニア・ヘルツェゴビナの2件、"Stare Kuće, Donje Breške, Tuzla” と "Mramorje in Buđ, Pale" の推薦が取り下げられ、いくつかのバッファー・ゾーンが修正された。また、世界遺産名についても内容がわかるように "Stećci - Medieval Tombstones" から現在の名称に変更された。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ボスニア・ヘルツェゴビナを中心としたヨーロッパ南東部では多様な形態のステチュツィが数多く発見されており、先史時代・ローマ時代・中世初期の痕跡とともに類いまれな中世ヨーロッパの芸術的・考古学的遺産となっている。保存されているステチュツィの数はきわめて多く(資産でないものも含めて推定70,000点以上)、スラブ型・石櫃型・切妻屋根型・十字架型・柱型などその形態の多様性がよく表現されている。装飾的・象徴的・宗教的な内容や日常生活の場面を刻み込んだレリーフは中世の文化を赤裸々に証言している。資産として厳選された墓地とステチュツィの数々は中世のこの地域の文化や歴史と深く関係しており、卓越した歴史史料となっている。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ステチュツィは歴史的・継続的な文化的伝統や信念を深く刻み込んでおり、その歴史的な意味と重要性を示している。ステチュツィはまた地元の民話やおとぎ話・迷信・風習と関連しており、碑文やレリーフは4か国の現代文学や他の芸術の発展に大きく寄与し、その影響はより広い地域に及んでいる。

■完全性

本遺産は28件の構成資産によってヨーロッパ南東部のステチュツィの広範な現象・重要性・多様性を表現している。各構成資産は本来の場所で保存されており、いずれの墓地や墓碑も保存状態はおおむね良好である。墓地は現在、開発圧力を受けていないが、自然の劣化を防ぐためのメンテナンスと積極的な管理により状態はさらに改善される可能性がある。各構成資産には顕著な普遍的価値を表現するために必要な要素がすべて含まれており、法的保護を受けている。バッファー・ゾーンのいくつかは墓地を取り巻く環境を保持するために評価プロセスの中で修正された。

■真正性

本遺産の真正性は中世の墓地・墓碑(ステチュツィ)・関連の墓の芸術を通して立証されており、ステチュツィはこの時代の宗教・騎士道・民俗文化の融合を示している。構成資産は考古学的・歴史的な背景と証拠、墓石の種類と多様性、そしてこの現象が生じているヨーロッパ南東部のこの地域の範囲性を加味して選ばれており、真正性もひとつの根拠となった。一枚の石から彫られたステチュツィは熟練した職人の技術と知識を反映したものであり、装飾や碑文はステチュツィの誕生と発展の歴史を証言している。

■関連サイト

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