16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ

Venetian Works of Defence between the 16th and 17th Centuries: Stato da Terra – Western Stato da Mar

  • イタリア/クロアチア/モンテネグロ
  • 登録年:2017年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:378.37ha
  • バッファー・ゾーン:1,749.62ha
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、ベルガモの城壁とサン・ジャコモ門
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、ベルガモの城壁とサン・ジャコモ門。門の上部にヴェネツィアの象徴であるサン・マルコのライオン像のレリーフが掲げられている (C) Steffen Schmitz (Carschten) / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、ルネサンス理想都市パルマノヴァ
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、ルネサンス理想都市パルマノヴァ
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、サン・ジョヴァンニ要塞から見下ろしたコトル湾。中央左、三角形のオレンジ屋根の街並みがコトル旧市街
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、サン・ジョヴァンニ要塞から見下ろしたコトル湾。中央左、三角形のオレンジ屋根の街並みがコトル旧市街
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、1866年のペスキエーラ・デル・ガルダ
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」、1866年のペスキエーラ・デル・ガルダ

■世界遺産概要

ヴェネツィア共和国を防衛するためにイタリアのロンバルディア地方からアドリア海東部まで約1,000kmの間に築かれたルネサンス期の要塞防衛システムを登録した世界遺産。構成資産は、ベルガモの要塞都市、ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市、パルマノヴァの都市要塞(以上、イタリア)、ザダルの防衛システム、シベニク=クニン郡のサン・ニコラ砦(以上、クロアチア)、コトルの要塞都市(モンテネグロ)の6件。なお、ヴェネツィアは「ヴェネツィアとその潟」として世界遺産リストに登録されている。

○資産の歴史

中世、イタリアにはアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア(すべて世界遺産)という4大海洋都市国家が栄えたが、やがて東のヴェネツィア共和国と西のジェノヴァ共和国が抜け出した。13~14世紀の4次にわたるヴェネツィア=ジェノヴァ戦争で両国は疲弊したが、すばやく立ち直ったヴェネツィアが地中海貿易の覇者となり、一方ジェノヴァは金融業で再興を果たす。15世紀に最盛期を迎えたヴェネツィアはスタート・ダ・テッラ(北西の陸域・陸路)とスタート・ダ・マーレ(港と海域・海路)の要衝に要塞都市や要塞・砦を配して国と商業ネットワークを防衛した。15世紀後半からイタリアはフランスや神聖ローマ帝国の侵入を許して戦争が相次ぎ(1494~1559年、イタリア戦争)、東ではイスラム教国であるオスマン帝国が1453年にビザンツ帝国を滅ぼしてヨーロッパ進出を強め、ヴェネツィアは陸海両面から圧力にさらされた。スタート・ダ・テッラとスタート・ダ・マーレの防衛ラインはこうした圧力に対抗するためのものだった。

しかしこの頃、火薬と大砲の導入により軍の戦略は大きく変化し、城郭都市や要塞の設計も転換点を迎えていた。中世の高い城壁や塔は大砲で容易に破壊されたため、城壁は低く厚く築かれて、壁の前や間に土塁が盛られ、地下トンネルが多用された。また、それまでの円筒形の塔ではなく、城壁から尖った稜堡を突き出させることで死角を解消した。こうした構造のため、都市や要塞を囲う城壁は従来の方形(四角形)ではなく、死角のない円形や多角形が好まれた。都市によっては内部の街並みもルネサンスらしく幾何学的に整然と区画整理されたが、こうした城壁と街並みを持つ都市は「ルネサンス理想都市」と呼ばれた。さらに時代を経るとより遠距離から砲撃が行われたため、城壁の外に要塞や砦・砲台を設置して対応した。こうしたルネサンス様式の都市・要塞建築の第一人者のひとりがジェノヴァ出身の建築家ミケーレ・サンミケーリだ。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は以下の6件となっている。

イタリアの「ベルガモの要塞都市」はポー平原の北、アルプス山脈の南、ヴェネツィアの西200kmほどに位置し、スタート・ダ・テッラの西の前線基地にあたる。資産となっているのはチッタ・アルタと呼ばれる丘の上の城壁に囲まれた地域と、チッタ・アルタから西の尾根に沿って伸びるサン・ヴィジリオ要塞までの一帯だ。ローマ帝国やランゴバルド王国の時代から城壁が築かれれていた町で、14世紀にはミラノのヴィスコンティ家がこれらを再建・拡張する形でサン・ヴィジリオ要塞やヴィスコンティ要塞、ベルガモ要塞などを建設・整備した。15世紀にこの地を手に入れたヴェネツィアはつねに狙われつづけたベルガモの防衛システムの強化・拡張に着手した。チッタ・アルタを全長6.2kmの城壁で取り囲み、14の稜堡を突き出させ、4基の城門(サン・ジャコモ、サンタレッサンドロ、サンタゴスティーノ、サン・ロレンツォ)を整備し、既存の要塞を防衛拠点として強化した。一例がサン・ヴィジリオ要塞で、多角形の城壁とお砲台が備えられ、カスタニェータ塔など4基の塔が設けられた。また、ベルガモ要塞にも新たに砲台や塔が設置されている。城門でユニークなのは1592年に築かれたサン・ジャコモ門で、ルネサンス様式の白大理石製のファサードを持ち、門の上部にヴェネツィアの象徴であるヴェネツィアのライオン像のレリーフを掲げている。また、門から堀を越えるために石造アーチ橋が架けられている。

イタリアの「ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市」はベルガモとともにスタート・ダ・テッラの要衝を押さえる要塞都市で、ヴェネツィアの西130kmほどに位置する。13世紀ほどから要塞化が進められ、15世紀にはヴェネツィアの依頼で建築家ミケーレ・サンミケーリを起用して要塞化が進められた。ガルダ湖とミンチョ川の合流地点の島に築かれた淡水要塞で、五角形の城壁の5つの角から5基の稜堡(それぞれグエリーニ、サン・マルコ、コンタラーナ、フェルトリン、トニョン)が突き出した多角形要塞となった。要塞にはヴェローナ門、ブレシア門というふたつの城門が設けられ、川と運河は堀の役割を果たした。その後、オーストリアやナポレオン1世の支配下でも重要拠点として使用されたが、イタリア統一運動リソルジメントが進んで1861年にイタリア王国が成立すると戦略的重要性を失い、要塞の中央に運河が築かれるなど一部の解体が進んだ。

イタリアの「パルマノヴァの都市要塞」はポー平原の東端、ヴェネツィアの北東90kmほどに位置し、スタート・ダ・テッラの東を押さえてオーストリアやオスマン帝国に対する防衛拠点となった。1593年にルネサンスの名建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィの設計で要塞化が進められ、17・18世紀にはさらに外側に拡張された。九角形の多角形・星形要塞で、3重同心形の城壁を持ち、ルネットとラヴェリンと呼ばれるそれぞれ9基の二重の稜堡が設けられている。内部は正六角形のグランデ広場を中心に整然と区画整理された方格設計のネサンス理想都市となっている。外に出る道は南、北東、北西に120度ごと3本が用意され、それぞれアクイレイア門、チヴィターレ門、ウーディネ門という3基の城門が設置された。

クロアチアの「ザダルの防衛システム」のサダルはヴェネツィアの南東270kmに位置する西部スタート・ダ・マーレの行政の中心で、アドリア海の出口の要衝コルフ(世界遺産)とヴェネツィアを結ぶハブとして重要視された。フェニキア人、エトルリア人、ギリシア人の時代からの港湾都市で、ローマ時代にはフォロ・ロマーノを中心に城郭都市となったが、この頃の城壁はほとんど残っていない。15世紀にヴェネツィアはサダルを購入すると、北西方向に突き出した半島部分を城壁で囲って方格設計の要塞都市として整備した。16~17世紀にはオスマン帝国の砲撃に備えるために城壁を強化し、城外に要塞を設置した。城壁以外の主な施設としてザーラ門(テッラフェルマ門)が挙げられる。ミケーレ・サンミケーリの設計で1537年に設置されたルネサンス様式の門で、中央上部にはやはりヴェネツィアのライオン像を掲げている。門に隣接して東に突き出しているのがグリマルディ要塞で、現在は女王イエーネ・マディエフケ公園となっている。

クロアチアの「シベニク=クニン郡のサン・ニコラ砦」はヴェネツィアの南東330kmに位置し、シベニク港に通じるサン・アンソニー水道の入口部分に浮かぶリュリエヴァツ島に築かれた。設計はミケーレ・サンミケーリと甥のジャンジローラモで、名称はもともとこの地にあったベネディクト会のバリのサン・ニコラ修道院に由来する。アドリア海中央に位置する主要都市シベニク(世界遺産)を守るための関所のような砦で、三角形の城壁を持つ小さな砦に32門の大砲を設置することができた。周囲にサン・ミケーレ砦やサン・ジョヴァンニ砦なども築かれたが、これらは世界遺産には登録されていない。

モンテネグロの「コトルの要塞都市」はヴェネツィアの南東約610km、コトル湾の最奥部に位置し、アドリア海でもっとも重要な西部スタート・ダ・マーレの要衝のひとつだ。古代から要塞化されていた都市で、ビザンツ帝国のユスティニアヌス1世が城壁を再建している。その後、セルビア王国、ハンガリー王国などの支配を経て1391年に独立するが、1420年に保護を引き替えにヴェネツィアの支配下に入った。ヴェネツィアによって城壁は大幅に強化・拡張され、全長約5km・高さ最大20m・幅10m前後に及んだ。また、3基の城門(川門、海門、グルディック門)が整備され、5基の要塞・稜堡によって海と陸の両面から守られた。城壁は町の背後の山にまで及び、山上からはサン・ジョヴァンニ要塞が湾全体に睨みを効かせている。なお、コトル湾は「コトルの自然と文化-歴史地域」として世界遺産リストに登録されており、コトルの町は二重に登録されている。

アドリア海のさらに外、イオニア諸島の中ほどに位置するヴェネツィアの最前線基地が要塞都市コルフだ。こちらは「コルフ旧市街(ギリシア)」として世界遺産リストに登録されている。

■構成資産

○ベルガモの要塞都市(イタリア)

○ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市(イタリア)

○パルマノヴァの都市要塞(イタリア)

○ザダルの防衛システム(クロアチア)

○シベニク=クニン郡のサン・ニコラ砦(クロアチア)

○コトルの要塞都市(モンテネグロ)

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(ii)「重要な文化交流の跡」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)はヴェネツィアが15~17世紀に商業ネットワークを通じて文化交流を行っていた事実は認めたものの、構成資産の防衛施設群がその側面を示すものであるという点に疑問を持ち、実証されていないとしてその価値を認めなかった。

また、構成資産についてイタリア、クロアチア、モンテネグロの3か国は15の資産を推薦したが、ICOMOSは開発が進んでいたり、後世の改修を受けてオリジナルがほとんど残っていないなどとして6件の顕著な普遍的価値のみを認めた。これに伴い時代区分が15~17世紀から16~17世紀に変更された。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

6件の軍事防衛施設群は16~17世紀にヴェネツィア共和国で飛躍的に発達した軍事文化の稀有な証拠を示している。構成資産はアルプス山脈から地中海にまで広がるスタート・ダ・テッラと西部スタート・ダ・マーレの防衛ネットワークや防衛システムをよく表現している。これらはレヴァント地方(現在のシリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル周辺)まで地中海全域に軍事的・市民的・都市的つながりを持っていた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ヴェネツィアの軍事防衛施設群は銃器や大砲の発達に対応して構築された近代的要塞システム(稜堡システム)の特徴を示している。6件の構成資産はスタート・ダ・テッラと西部スタート・ダ・マーレにおける新たな軍事技術や軍事戦略、軍事建築、ロジスティクス能力を示す並外れた建造物群である。

■完全性

6件の構成資産については丘や陸・島・海・河川といった地理性、防衛システムの多様性、視覚的完全性、保存状態など、16~17世紀のヴェネツィア共和国の軍事防衛施設を代表するものであり、顕著な普遍的価値を有している。将来的にはスタート・ダ・マーレの東部やレヴァント地方への拡張の余地も含んでいる。

個々の資産の保全状態は一般的に良好だが、完全性はまちまちで、いくつかは過去・現在の開発と観光圧力に対して脆弱である。サダルやコトルなどでバッファ-・ゾーンの拡大が望まれるが、6件の構成資産の範囲はおおむね適切である。

■真正性

6件の構成資産は軍事的な目的と要衝に築かれているというロケーションのため、ナポレオンやオーストリア、オスマン帝国の侵入や20世紀のさまざまな紛争による損傷を受けており、多くの変更が加えられてきた。しかしながらおおむね16~17世紀の構造を引き継いでおり、広範な公文書や資料・建築図面・地図・絵画などの研究によって証明されている。

構成資産は建造物はもちろん景観も含めて各国の法律で保護されており、3か国の国際共同チームを設立して包括的な監視システムを構築している。

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