アルバニア南部のふたつの都市ベラットとジロカストラはいずれも農民や手工業者・商人たちが築き上げた要塞都市で、古代・キリスト教時代・イスラム教時代を通じて独自の街並みを築き上げた。2005年にジロカストラが世界遺産リストに登録され、2008年にベラットが追加された。
ジロカストラのあるドリノス川渓谷周辺はギリシアからアドリア海沿岸に抜ける街道の要衝に位置し、紀元前3世紀ほどには古代都市アリゴネアが成立していた。ローマ時代にはアリゴネアの西にローマ皇帝ハドリアヌスにちなんで命名されたドロポリスが築かれ、植民都市として発達した。4世紀に入るとキリスト教が普及し、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の時代にかけて多数の初期キリスト教の教会堂や修道院が建設された。
13世紀に「カラシャ」と呼ばれるジロカストラ城が建設されると一帯の政治的・経済的・軍事的中心地として発達。封建領主が暮らす城の周りに農民が集まり、14世紀には城下町が城塞地区の外側にまで広がってジロカストラの町を形成した。1419年にオスマン帝国の支配下に入ると城を拡張して宮殿が建設され、バルカン半島の要衝となった。イスラム教が広がって礼拝堂であるモスクが築かれ、トルコ風の建築が普及した。その後、町の成長は鈍化し、新しい建物が建てられてもそれ以前のスタイルが尊重され、街並みは維持された。
ジロカストラの建物は石造で、バルカン半島、特にアルバニア地域における中世後期の伝統をよく残している。オスマン帝国以前はキリスト教建築が多かったが、オスマン帝国時代にイスラム建築が増えた。宗教については比較的緩やかで、両者の信者が存在した。教会とモスクは並行して築かれ、1776年に建てられ1833年に再建された聖ミカエル教会や1786年建設の聖ソティル教会、1757年建設のバザール・モスクなど両宗教の混在が見られる。
住宅は独創的で、「タレット(トルコ語でクレー)」と呼ばれる塔を備えた高層住宅が普及した。地下~2階までの3層構造で、冬は1階を使用し、夏は2階を利用した。家族の層とそれ以外の層を明確に区切り、来客用の部屋は色とりどりに装飾された。現在残る住宅のほとんどは18~19世紀の建設だが、それ以前の伝統的なスタイルがよく守られている。
一方、ジロカストラの南70kmほどに位置するベラットはトモリ山とミゼケ渓谷の間を走るオスム川沿岸に築かれた町。アルバニア最古級、バルカン半島でも随一の古代都市で、紀元前2600~前1800年の集落跡が発見されている。
周囲を見下ろす丘には紀元前4世紀ほどから砦が建設され、12~13世紀には「カラ」と呼ばれるベラット城が築かれた。城は近代まで地域の要衝として機能し、その周辺に城下町が発達した。町にはビザンツ様式の初期キリスト教の教会堂や修道院が多数建設されが、15世紀にオスマン帝国の支配下に入ると住民の過半数はイスラム教に改宗し、モスクの建設が進められた。宗教的には寛容で、おかげで聖マリア大聖堂、聖マリア・ヴラヘルナ教会、聖三位一体教会、リーデン・モスク、学士のモスク、テゲハ・ヘルヴェティヴ・モスク等々、教会堂とモスクが併存していた。
ベラットは主に商人や手工業従事者によって発展した。おかげで華やかな文化が花開き、キリスト教美術のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)やイスラム美術の七宝焼(しっぽうやき。金属に釉薬を塗った焼物)などが発達した。宗教の研究も盛んで、キリスト教の福音書の古代写本である「ベラティヌスの写本紙」は世界の記憶に登録されている。
18~19世紀にはオスマン様式の家々が築かれた。住宅の構造は幾何学的で整然としており、多数の窓を規則正しく並べたデザインからやがて「千の窓の町」との異名をとった。家や街並みにキリスト教・イスラム教の区別はなく、平和に共存していた様子がうかがえる。
ふたつの都市はバルカン半島の都市社会の多様性と、今日ほとんど消滅してしまった歴史的な生活様式に関する際立った証拠である。ベラットは手工芸者や商人の生活に適応した街並みで、2500年の歴史の中でイリュリア、ローマ、ビザンツ、正統派キリスト教徒、オスマン帝国の伝統を引き継ぎ、キリスト・イスラム両宗教の共存を特徴とする。一方、ジロカストラは中央の権力者と結びついた地主によって築かれた要塞都市で、キリスト教文化を残しつつオスマン帝国時代のイスラム教文化の伝統を引き継いでいる。
ベラットとジロカストラのふたつの町は共に、オスマン古典期とそれ以前の中世文化のさまざまなタイプのモニュメントと地方の都市住宅に関する際立った例である。特にベラットについてはキリスト教徒との平和的な共生を特徴とする。オスマン帝国の都市計画の希少でよく保全された例でもあり、特にタレットを持つ家々はバルカン半島とオスマンの文化を特徴付ける傑出した例となっている。
19世紀以降、要塞が防衛機能を失い、要衝から外れたこともあって大きな変更は加えられていない。両都市の歴史地区はおおむね資産に含まれており、法的保護下にある。ジロカストラは1961年に「博物館都市」を宣言し、町を保護地域に指定している。ベラットの街並みも同年に保護対象となっており、よく保全されている。ただ、バッファー・ゾーンには懸念があり、都市開発の圧力にさらされて不適切な建造物が増えている。
中世・近世の建築様式はよく残されており、以前から伝統的な素材や工法で修復が行われていて真正性は高いレベルで維持されている。ベラットは1851年に大地震に襲われ、多くが倒壊して再建されている。それまではすべて石造だったが、再建後は高層階に木材が使用された。ただ、地下や1階部分は伝統的な石造で、高層階も空間構成など多くの特徴は引き継がれている。