グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群

Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd

  • イギリス
  • 登録年:1986年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)(iv)
  • 資産面積:6ha
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、ビューマリス城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、ビューマリス城 (C) Steve Collis
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、カーナーヴォン城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、カーナーヴォン城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、コンウィ城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、コンウィ城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、ハーレフ城
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」、ハーレフ城

■世界遺産概要

イギリス・ウェールズに位置し、13世紀にイングランド王エドワード1世が城郭建築家マスター・ジェームズに依頼して築いた4基の見事な城を登録した世界遺産。構成資産はビューマリス城、カーナーヴォン城と市壁、コンウィ城と市壁、ハーレフ城の4件。

○資産の歴史と内容

13世紀半ば、イングランドはウェールズを攻め、事実上その支配下に収めていた。これに反旗を翻したのがルウェリン・アプ・グリフィズで、1258年に自らウェールズ大公を意味する「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗り、ウェールズをまとめ上げた。この場合の「プリンス」は王子ではなく、公爵あるいは大公の爵位を意味する。この頃、イングランド王ヘンリー3世は国内でバロン戦争を戦っており、ルウェリンはレスターなどと同盟を結んでイングランドに対抗した。この結果、1267年にウェールズ大公の地位が認められ、ウェールズ大公国が成立している。

1272年にイングランド王位に就いたエドワード1世は何かと反抗的な態度を見せるウェールズの征服を決意。1276年から4度にわたって北ウェールズを攻め、南ウェールズの離反などもあって戦いを有利に進め、1282年にルウェリンを敗死させて征服した。エドワード1世はルウェリンの一族や諸侯を捕らえて領土を取り上げ、ウェールズ大公の冠をロンドンのウェストミンスター寺院に持ち去った。

エドワード1世はウェールズの反乱軍に対する拠点として城郭建築家マスター・ジェームズ(ジェームズ・オブ・セント・ジョージ)に命じて城塞を設計させ、1283年から建設が開始された。1294年にはルウェリン・アプ・マドッグによる反乱を受け、未完成だったカーナーヴォン城は落とされたもののコンウィ城とハーレフ城は攻撃に耐え、翌年には反乱の鎮圧に成功した。エドワード1世は城の重要性を再認識して建設を加速させ、1330年までの間に10基の城が完成した。ビューマリス城、カーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレフ城はその中でも最高傑作とされる。

エドワード1世は王妃エリナをわざわざ前線であるカーナーヴォン城に連れていき、1284年に長男を出産させる。長男がウェールズ生まれということで1301年にウェールズ大公=プリンス・オブ・ウェールズに任命し、大公位を引き継がせた。これ以降、第1位のイングランド王位継承権を持つ王太子はプリンス・オブ・ウェールズと呼ばる習慣が定着する。

ビューマリス城は12基の塔と2基の門楼を持つ六角形の低い外壁に、6基の塔と2基の門楼を有する四角形の高い内壁で構成されている。点対称・線対称で同心図形に近く、均整の取れたスタイルは中世の城塞の中でも傑作のひとつとされる。

似た構造を持つのが丘の頂上にそびえるハーレフ城で、正方形に近い四角形の二重環状城壁を持ち、外壁に2基の塔、内壁に4基の塔と門楼を備えている。

カーナーヴォン城はメナイ海峡とセイオント川に挟まれた畔に建てられた城塞で、7基の塔と2基の門楼を持ち、8の字形の平たい平面プランとなっている。城の建設と同時に町を取り囲む市壁の建設がはじまり、城郭都市を形成した。

同様の城郭都市となっているのがコンウィ川の要衝に築かれたコンウィ城だ。城塞は8基の塔と2基の門楼を備え、市壁は町をぐるりと取り囲んでいる。

■構成資産

○ビューマリス城

○カーナーヴォン城と市壁

○コンウィ城と市壁

○ハーレフ城

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ビューマリス城とハーレフ城は内外壁の二重環状構造で、同時代の軍事建築の特徴である二重壁・同心形の顕著な例となっている。中央部の平面プランや石積みも幾何学的で美しく、マスター・ジェームズの最高傑作とされる。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

城と城郭都市にはイングランド全域の労働者や石材が投入された。建築技術のみならず、中世の労働者や社会システムを理解する重要な証拠となっている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

13世紀後半~14世紀初頭に築かれたこれらの城と城郭都市は当時の軍事建築を代表する最高のサンプルである。城壁・塔・城門・楼門・石橋・跳ね橋・地下道など関連の施設も多く状態もよい。

■完全性

それぞれの城は計画の一貫性、革新的なデザイン、建設の質が損なわれることなく高度な完全性を備えている。4件の構成資産には中世のすべての防御構造(城と城壁)が含まれているが、周辺の集落やウオーターフロントは含まれていない。海岸の景観と城との本質的な関係は保たれており、カーナーヴォンとコンウィの場合、城と町の関係は現在の都市景観の中でも生きている。バッファー・ゾーンは設定されていないが、各城には「重要な景観」が設定されており、管理計画に含まれている。ただ、景観は脆弱で、町・陸・海の開発が脅威であり、より広いエリアを保護する必要がある。

■真正性

カーナーヴォン城における19世紀後半の再建にもかかわらず、4件の構成資産の真正性は維持されている。修復や保全は過去100年間に発見された調査結果や保全技術に則って行われており、現代的な介入は最小限に抑えられ、城の平面プランや形状・素材・特徴は適切に引き継がれている。カーナーヴォン城とコンウィ城の城壁も変化しておらず、城壁に囲まれた街並みは完全に本物で歴史的な景観を保っている。4基の城を巡る環境は、ハーレフ城周辺の平原での開発やカーナーヴォン城でのいくつかの開発を除いてほとんど手付かずで、もともとのスケール・防御力・威圧力を明確に表現している。

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