ニュー・ラナーク

New Lanark

  • イギリス
  • 登録年:2001年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)(vi)
  • 資産面積:146ha
  • バッファー・ゾーン:667ha
世界遺産「ニュー・ラナーク」、ニュー・ラナーク・ミル・ホテル(奥)とウオーターハウシズ(手前)
世界遺産「ニュー・ラナーク」、ニュー・ラナーク・ミル・ホテル(奥)とウオーターハウシズ(手前)
世界遺産「ニュー・ラナーク」、ロング・ロウ(左)とダブル・ロウ(右)
世界遺産「ニュー・ラナーク」、ロング・ロウ(左)とダブル・ロウ(右)

■世界遺産概要

ニュー・ラナークはスコットランド南部サウス・ラナークシャーの都市ラナーク郊外の美しい森にたたずむ紡績工場を中心とした産業集落で、綿糸の生産で18~19世紀のイギリスの第1次産業革命を支えただけでなく、労働者の健康や安全に配慮した人道主義的な経営で世界的な名声を勝ち取った。

○資産の歴史

イギリスの第1次産業革命は綿織物の生産によってなされた。綿織物は、綿花から採れる短い繊維を紡いで綿糸を作る紡績と、綿糸から綿織物を作る織布(製織)の2つの工程から成立する。リチャード・アークライトは水車から得られる水力を使うことで綿糸の生産速度を600倍に引き上げた水力紡績機を発明し、紡績工程を一気に効率化した。世界遺産のダーウェント峡谷は水力紡績機を採用した初期のミル群だ。

1785年にアークライトの特許が切れたことを受け、銀行家であり実業家であるデヴィッド・デイルは翌年、ラナーク郊外のクライド川沿いに水力紡績機を収めるためのミル(工場)を建設し、綿糸の生産を開始した。紡績機の改良によりアークライトの機械より細い綿糸の生産に成功し、18世紀中に第4ミルまで増設され、スコットランドでもっとも成功した紡績工場のひとつとなった(ただし、オーウェンの時代に第4ミルは生産に至らなかった)。

デイルは労働者を大切にする博愛主義者で、ダーウェント峡谷に工場城下町を築いたアークライトのミル・システム=アークライト・システムを参考に、「ロウ」と呼ばれる集合住宅からなる住宅街を建設した。3~4階建てのロウは当時の一般的な住宅よりもはるかに高品質で、その後も住宅が個室から複数の部屋を持つようになるなど改良が重ねられた。住宅街には学校や保育園、教会堂、見習いのための訓練所や店舗などを整備して福利厚生の向上に尽力した。1796年には510人の生徒と18人の教師がいたという。

1799年、ウェールズの紡績業者であるロバート・オーウェンがデイルの娘と結婚してパートナーシップを結び、経営に参加する。オーウェンはミルを効率化すると同時に、博愛主義の方針を強化して犯罪・貧困・苦悩のない社会という「ユートピア社会主義(空想的社会主義)」の理想を実現する場として整備した。1809年頃には産業集落の改造をはじめ、第4ミルが稼働し、新たに機械の鋳造所やスコットランド最古となるエンジニアのためのワークショップ(作業場・訓練施設)、保育園や人格形成のための研究所などが設置された。村内は清潔で貧困や犯罪も一掃され、その名声はヨーロッパに広く轟いた。世界中から多くの実業家や政治家・貴族らが視察に訪れ、産業集落のモデルとなった。

1824年、共同経営者らとの対立によりオーウェンはニュー・ラナークを去るが、綿糸の生産は1881年まで継続された。その後、綿織物生産が開始され、ミルは1968年まで稼働を続けた。

○資産の内容

世界遺産の資産にはミルや関連施設、ロウなどが残る一帯が地域で登録されている。

第1ミルは1785年に築かれた紡績工場で、1786年3月までに操業が開始された。1788年に火事で焼失した後、翌年再建された。全長47m・幅8.2m・高さ18.3mで、500人以上が働いていた。第2次世界大戦後に廃墟となったが、1998年にニュー・ラナーク・ミル・ホテルとして改装されてオープンした。第2ミルは第1ミルとほぼ同じ造りを持つ工場で、1788年に建設され、1884~85年にレンガ造で拡張された。第3ミルは1790〜92年に建てられた工場で、当初は全長40m・幅 9.0m・高さ18.3mを誇っていた。1819年に焼失し、1820年代後半に鋳鉄製フレームを採用した全長37.75mの建物として再建された。同時に複数の糸を紡ぐことを可能にしたジェニー紡績機を導入していたことから「ジェニーズ・ハウス」と呼ばれた。第4ミルは1791〜93年に築かれた全長47.5m・幅10.0m・高さ21.3mの建物で、倉庫や作業場として使用されていたが、1888年に焼失した。現在見られる水車は1990年に設置されたものだ。

工場関連施設としては、19世紀初頭に築かれたスコットランド最古を誇るメカニクス・ワークショップ(整備士の作業場)や、機械や部品の製作を行う鋳造所、1806年に建設された染色工場(当初は鋳造所)、1799~1818年に建設された2階建ての建物で水の逆流を防いだウオーターハウシズなどがある。

代表的な公共施設としては人格形成学院が挙げられる。1809~15年に建てられた屋根裏付きの2階建てで、幼児用のホールや研究施設があり、教育の研究・実践を行った。エンジン・ハウスが設置されており、鉄パイプに暖気を送る暖房システムを備えていた。1817年に建てられた2階建ての学校も同様の暖房を備えており、一般的な学校教育が行われた。現在は博物館として公開されている。1809年に建設されたナーサリー・ビルは保育園・孤児院・貧窮院を兼ねた建物で、後には住居に建て替えられた。1898年に築かれたニュー・ラナーク教会はゴシック・リバイバル様式のシンプルな教会堂だが、現在はホールとして使用されている。

居住施設として、数多くのロウが立ち並んでいる。1785〜95年に築かれた4~5階建てで10世帯用のブラックスフィールド・ロウ、1790年代に建てられた3階建て・8世帯分のダブル・ロウ(ウィー・ロウ)、1792年に建設された3階建て・16世帯用のケイスネス・ロウ、1792年建設で地下1階・地上2階で14世帯を収容するロング・ロウ、1790年に建てられ、遺構のみが残るマンティラ・ロウがある。また、ニュー・ビルディングスは1798年に建てられた平屋のコテージだったが、1800年頃に4階建てのロウに建て替えられ、鐘楼やペディメント(三角破風)などが取り付けられた。

代表的な戸建住宅としては、オーウェンが1799~1808年に暮らしていたジョージアン様式で屋根裏付き2階建てのオーウェン邸、オーウェン邸が手狭になったため17世紀の邸宅を増改築して引っ越したブラックスフィールド・ハウス、デイルが暮らした一帯で最大を誇る邸宅・デイル邸などがある。

■構成資産

○ニュー・ラナーク

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

リチャード・アークライトの繊維生産のための新しいミル・システム=アークライト・システムがニュー・ラナークに持ち込まれ、労働者と管理者に住宅やその他の施設を提供する必要性が認識された。これを基にデヴィッド・デイルとロバート・オーウェンは19~20世紀に産業コミュニティのモデルを創り、世界に大きな影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ニュー・ラナークは適切に設計・配備された労働者の住宅のみならず、精神・身体両面における豊かさを実現するために学校や訓練施設・人格形成研究所などさまざまな施設が建設された。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

先進的な教育や工場改革、人道的労働慣行、国際協力体制、ガーデンシティといったニュー・ラナークで実現したオーウェンの哲学は、19世紀以降の社会に大きな影響を与えた。

■完全性

建物から周囲の景観まで、資産には顕著な普遍的価値を表現するすべての要素が含まれており、法的に保護されている。村の建造物群は物理的証拠や歴史的調査、図像や書面といった資料に基づいてオーウェンが管理していた19世紀初頭に近い状態に保たれている。こうした修復によって20世紀後半の構築物が撤去されるなど顕著な普遍的価値を毀損していた要素が排除され、価値の維持に貢献した。

■真正性

ニュー・ラナークの真正性は高いレベルで維持されており、19世紀初頭の綿織物生産の全盛期からほとんど変化がない。保全と修復のプロセスはほぼ半世紀にわたって継続されており、主要なプロジェクトは今日まで続いている。オーウェンの時代と比較して建造物のなんらかの構造が欠落していたり置き換えられている場合、こうした箇所は明確に分類された。必要に応じて撤去し、改築や再建が必要な場合は正確な記録と最高の保全基準に基づいて、できる限りオリジナルの形状・デザインを尊重し、当時の素材・工法を用いて行われた。こうした修復やメンテナンスもあり、1780年代から工場に水力を提供してきた水路やダムといったインフラは現在も使用されている。

■関連サイト

■関連記事