チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群

Etruscan Necropolises of Cerveteri and Tarquinia

  • イタリア
  • 登録年:2004年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)(iv)
  • 資産面積:326.93ha
  • バッファー・ゾーン:4,932.11ha
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、チェルヴェテリのバンデタッチャの墳墓群
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、チェルヴェテリのバンデタッチャの墳墓群 (C) Sailko
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、チェルヴェテリのバンデタッチャ、リリエーヴィの墓
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、チェルヴェテリのバンデタッチャ、リリエーヴィの墓 (C) Roberto Ferrari
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、タルキニアのモンテロッツィ、ヒョウの墓のフレスコ画
世界遺産「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群」、タルキニアのモンテロッツィ、ヒョウの墓のフレスコ画

■世界遺産概要

ローマ近郊に位置するローマ時代以前、紀元前9~前1世紀のエトルリア人の墓地遺跡で、チェルヴェテリのバンデタッチャとタルキニアのモンテロッツィというふたつのネクロポリス(死者の町)からなる。

○資産の歴史と内容

エトルリア人はイタリアの先住民、あるいは小アジア(現在トルコのあるアナトリア半島周辺)南西部のリディアからの移民といわれる民族で、紀元前9世紀頃からトスカーナ地方を中心に数多くの都市国家を建設した。紀元前7世紀頃にはローマ(世界遺産)を支配してローマ王に就き、石造神殿やアーチ建築などをもたらして大いに繁栄した。しかし、紀元前6世紀末にエトルリア王が追放され、ローマは共和政に移行。この頃からローマの進撃がはじまり、エトルリア人の都市国家は次々とローマの支配下に入り、ローマ人と同化して消滅した。

バンデタッチャはローマの北西32kmほどに位置する遺跡で、紀元前9世紀までさかのぼる数千の墓を収めるイタリア最大のネクロポリスだ。最初期は地下に穴を掘って遺灰を収めていたが、やがて地下に玄室を備えた羨道墳(せんどうふん。玄室への通路=羨道を持つ墳丘墓)となり、複数の骨壷(遺骨を収めた陶器)を収める集合墓となった。その後、複数の部屋を備えた四角形や円形の小屋型の石造墓へと移行し、神殿を模した神殿型へと発展した。エトルリア時代の建物はほとんど残っていないため、当時の住宅や神殿を模した墓はエトルリア建築の貴重な史料となっている。

バンデタッチャでもっとも有名な墓が「リリエーヴィ(救済)の墓」だ。紀元前4世紀頃の墓で、玄室は7.8×6.5mで2本の巨大な柱を持ち、壁はカラフルなスタッコ(化粧漆喰。石灰などからなるセメントに水と細かい砂を加えたモルタルを塗り付けて形を整えたもの)のレリーフで彩られている。レリーフの内容は武器や日常品、宗教に関わるもので、当時の文化をよく伝えている。他に、黄金細工が多数出土した「レゴリーニ・ガラッシの墓」やエトルリア神殿を模した「ギリシアの花瓶の墓」などが知られている。

モンテロッツィはローマの北西70kmほどに位置するネクロポリスで、紀元前7世紀までさかのぼる6,000以上の墓が発見されている。特徴的なのは約200の墓に描かれたカラフルなフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で、特に王家や貴族の墓は極彩色のフレスコ画で覆われている。戦争や狩猟・ダンスといった日常生活を描いたものから神や悪魔をはじめとする宗教関係、人物や動植物まで題材は多彩で、エトルリア人の世界観を伝えている。

有名な「ヒョウの墓」には一対のヒョウと複数のカップル・使用人が描かれており、ミュージシャンやダンサーが周囲で演奏を行っている。「ライオネスの墓」にはライオンとイルカが描かれており、周囲にフルートやハープを演奏するミュージシャンが記されている。「狩猟と釣りの墓」にはローマ神話の酒神バッカスと狩猟・釣りのシーンが描かれている。このようにフレスコ画は埋葬者の思想や生活をよく表すものとなっている。

■構成資産

○チェルヴェテリ:バンデタッチャ遺跡のエトルリアのネクロポリス

○タルキニア:モンテロッツィ遺跡のエトルリアのネクロポリス

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ふたつのネクロポリスは人類の創造的な才能を表す傑作である。タルキニアの壮大な壁画は古代エトルリア人の生・死・宗教的信念といった側面を明らかにしており、品質と内容の両面で際立っている。チェルヴェテリは古代都市と同様の都市設計と建築様式をネクロポリスに持ち込んでおり、きわめて重要な史料となっている。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ふたつのネクロポリスはローマ時代以前のイタリアで唯一の都市文明である古代エトルリア文明に関する独創的で卓越した証拠である。さらに、エトルリアの住宅を模して築かれた墓にはフレスコ画で当時の日常生活の様子が描かれており、失われた文化をいまに伝えている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

タルキニアとチェルヴェテリの墓の多くはもはや存在しないタイプの建造物であり、きわめて重要である。こうした墓はこの地域でもっとも古い建造物のひとつであり、エトルリアの都市設計を模して築かれている。

■完全性

ふたつの構成資産は顕著な普遍的価値を構成する墓をすべて含み、フェンスで囲まれていて法的保護も受けている。1960年代には壁画を取り外して博物館に移動して保管していたが、現在ではこのような保管法は取られておらず、墓に換気システムを持ち込んで永続的に管理している。

■真正性

遺跡はほとんど発掘時のままで、真正性は高いレベルで維持されている。個々の墓は適切に保護されており、すぐれた訪問者管理・メンテナンス・監視が行われている。ただ、フェンス外にも数百の墓が存在し、法的保護は受けているもののその価値に値する注目を受けていない。

■関連サイト

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