ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]

Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)

  • イタリア
  • 登録年:1997年、2021年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)(v)
  • 資産面積:4,689.25ha
  • バッファー・ゾーン:15,695ha
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、チンクエ・テッレのヴェルナッツァ
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、チンクエ・テッレのヴェルナッツァ。左の塔はドリア城のラ・トッレ、中央奥はサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキア教会の鐘楼
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、チンクエ・テッレのマナローラ
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、断崖をうまく利用して要塞村落として発達したチンクエ・テッレのマナローラ
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、チンクエ・テッレのコルニリア
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、チンクエ・テッレで唯一港からアクセスできないコルニリア。背後にはブドウ畑が広がっている
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、リオマッジョーレ
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、リオマッジョーレ。家々がハウス・ウォールとなって城壁化している
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、ポルトヴェネーレ。右上の城壁はドリア城、その下がサン・ロレンツォ教会、右端がカピトラーレ門、左端がサン・ピエトロ教会
世界遺産「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群[パルマリア、ティーノ及びティネット島]」、ポルトヴェネーレ。右上の城壁はドリア城、その下がサン・ロレンツォ教会、右端がカピトラーレ門、左端がサン・ピエトロ教会

■世界遺産概要

現代画家ミケランジェロ・ピストレットが「地上に楽園が存在するとしたら、それはここ、チンクエ・テッレだ」と讃えたイタリア北西部リグリア海岸の美しい海岸線を登録した世界遺産。資産はレヴァントの手前からポルトヴェネーレに至る海岸沿いの約15kmと、その南に浮かぶパルマリア島、ティーノ島、ティネット島。チンクエ・テッレは「5つの土地」を意味し、北からモンテロッソ・アル・マーレ、ヴェルナッツァ、コルニリア、マナローラ、リオマッジョーレの5つの町を示す。なお、本遺産は2021年の軽微な変更でバッファー・ゾーンが設定された。

○資産の歴史

一帯でもっとも古い町は南のポルトヴェネーレで、ローマ時代のポルトゥス・ヴェネリスを起源とする。「ヴィーナスの港」を意味し、ローマ神話の愛と美の女神ウェヌス(ヴィーナス)はこの辺りの美しい海の泡から生まれたという伝説が伝わっている。

中世、リグリア海沿岸の都市は北ヨーロッパから移住してきたノルマン人や西アジア・北アフリカから進出してきたイスラム教徒の攻撃に悩まされ、さらには南東約40kmに位置するピサ(世界遺産)と北西約60kmのジェノヴァ(世界遺産)というイタリア4大海洋都市国家に数えられる両国の対立に巻き込まれた。ジェノヴァは12世紀にポルトヴェネーレを支配下に置き、前線基地としてドリア城をはじめとする城や要塞を建設。また、海岸沿いに立ち並ぶ高層建築は住居と城壁(ハウス・ウォール)を兼ねており、「クサル」と呼ばれるイスラムの要塞都市を参考に築かれたと思われる。続いてチンクエ・テッレ各地にも城や要塞が建設された。

12~13世紀にイスラム教勢力の脅威が去ると、各地で町が発展した。チンクエ・テッレは複雑に入り組んだ海岸線に点在し、アペニン山脈へと続く断崖が連なっている。こうした断崖を背景に、入り江に高層建築を並べて要塞都市とした。大きな平野も川もないため穀物は栽培できなかったが、人々は命綱を付けて最大45度に及ぶ断崖の岩を砕いて開墾し、砕いた石で石垣を造って総延長6,500kmともいわれるテラス(段々畑)群を築き上げ、ブドウやオリーブを栽培した。強い日差しや海・石垣からの照り返し、大きな寒暖差や水はけの良さ、弱酸性の土壌といった環境はブドウ栽培に最適で、ワインの出来はすばらしかった。特に名高いのが「シャケトラ」だ。ボスコ種を中心に3種のブドウを収穫した後、2か月ほど自然乾燥させ、水分を飛ばしてから混合・醸造し、最低1年間寝かせて作る手間の掛かるワインで、カビの力によって水分を飛ばす貴腐ワインと同様、濃厚な甘みとむせ返るような高い香りを特徴とする。ジェノヴァの貴族たちはこぞってこれを買い求め、「ジェノヴァの誇り」と讃えたという。約90mの断崖上に築かれたコルニリアや、チンクエ・テッレ最大のブドウ生産量を誇るマナローラは地域随一の名産地だ。

また、こうした厳しい環境を活かして各地に修道院や教会堂が築かれ、修道士たちは修行に励んだ。モンテロッソ・アル・マーレのモンテロッソ・アル・マーレ修道院、ポルトヴェネーレのサン・フランチェスコ修道院、ティーノ島のサン・ヴェネリオ修道院などが一例だ。

チンクエ・テッレは1870年代にジェノヴァ=ラ・スペツィア鉄道が開通するまでアクセスは船に限られた陸の孤島だった。そのため近代的な発展から取り残され、中世・近世の街並みがそのまま保存された。自然と文化が調和した文化的景観は多くの芸術家を惹き付け、イタリアの画家ピストレット、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリーやジョージ・ゴードン・バイロン、フランスの作家ジョルジュ・サンド、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーらに愛された。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は「チンクエ・テッレとポルトヴェネーレ」「パルマリア島」「ティーノ島」「ティネット島」の4件。チンクエ・テッレの陸路は近代まで発達しなかったが、いくつかの小道は残されている。モンテロッソ・アル・マーレ~リオマッジョーレ間の海岸沿いの12kmは「青の道(センティエロ・アズーロ)」と呼ばれる。マナローラ~リオマッジョーレ間の「愛の小道」もその一部だ。一方、レヴァント~ポルトヴェネーレ間の内陸部の約35kmは「赤の道(センティエロ・ロッソ)」あるいは「高い道(センティエロ・アルト)」と呼ばれ、山岳風景が見所となっている。以下で主要な資産を紹介する。

チンクエ・テッレのモンテロッソ・アル・マーレは資産のほぼ北端に位置する町で、チンクエ・テッレの中では平野や港も広くビーチもあって近代的な家並みが見られる。11世紀頃からジェノヴァの下で要塞都市として発展し、ピサやイスラム教勢力の脅威に対して城塞や塔を建設して対抗した。一例が古代以来の要塞であるオベルテンギ要塞やジェノヴァ要塞、海に張り出した岬にたたずむオーロラ塔だ。町の中心的な教会堂が教区教会であるサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会で、13~14世紀に築かれたゴシック様式でバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の教会堂となっている。ゴシックといってもリグリア特有の重厚な造りで、ファサードや身廊の列柱・アーチに見られるポリクロミア(縞模様)や中世の鐘楼とともに特徴的なデザインとなっている。1610~20年代に築かれたサン・フランチェスコ教会とカプチーニ修道院は西の断崖にたたずむフランシスコ会の施設で、ゴシック様式やルネサンス様式のファサードが見られる。町の背後のソビオーレ山に位置するソビオーレの聖母の聖域は聖母像の奇跡で知られる聖域で、巡礼地となっている。13世紀以前からの歴史を有し、ロマネスク様式の鐘楼や見事なフレスコ画で彩られた教会堂が残されている。

チンクエ・テッレのヴェルナッツァはリグリア海に突き出した岬に守られた天然要塞で、深い水深と堤防のためチンクエ・テッレ随一の良港とされた。イスラム教勢力の脅威が減った11世紀に入植が開始され、ジェノヴァの海軍基地が設けられた。ヴェルナッツァのランドマークが岬の頂部に立つドリア城のラ・トッレと呼ばれる塔で、城塞は11世紀頃の建設だが、現在の塔は20世紀に再建されたものだ。その下にあるベルフォルテ城塞はジェノヴァ時代のもので、かつて町は城壁で囲まれていた。中心となる教区教会がサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキア教会で、11世紀創建のバシリカ式・三廊式・ロマネスク様式の教会堂がいまに伝えられている。レッジョの聖母の聖域はローマ時代の集落跡地に築かれており、古代あるいは中世初期から聖地だったと見られ、ビザンツ帝国から運ばれた黒い聖母像を収めている。

チンクエ・テッレのコルニリアは高さ約90mの断崖上に位置し、三方をブドウ・テラスに囲まれている。商業港を持たないため観光客はチンクエ・テッレで唯一、船でアクセスすることができない。5つの町で最小だが、その歴史はローマ時代までさかのぼり、13世紀にジェノヴァの所領となって開発がはじまった。教区教会は14世紀に建てられたサン・ピエトロ教会で、ゴシック様式のバシリカ式・三廊式の教会堂ながら内装は絵画や彫刻などバロック様式の装飾で彩られている。近郊には16世紀に築かれたジェノバの要塞の跡がある。ベルヴェデーレ・ディ・サンタ・マリアのテラスはチンクエ・テッレを見渡す絶景で名高い。

チンクエ・テッレのマナローラはコルニリアに次ぐ小さな町だがブドウの生産量はチンクエ・テッレ一を誇り、シャケトラの名産地として知られる。また、12月中旬からクリスマスにかけて飾られるプレセペ(イエスの降誕物語を表した飾り)のイルミネーションはイタリア屈指とされる。教区教会はサン・ロレンツォ教会で、1338年に建設されたゴシック様式のバシリカ式・三廊式教会堂となっており、内装はバロック様式の影響も見られる。

チンクエ・テッレのリオマッジョーレは人口1,500人ほどでチンクエ・テッレ最大を誇り、北の玄関口モンテロッソ・アル・マーレに対して南の玄関口となっている。町の創設は8世紀と伝わるが、ジェノヴァの影響下では13世紀に設立され、1260年にリオマッジョーレ城が建設された。ブドウ栽培で知られ、周辺の断崖に段々畑を築いて栽培を行った。教区教会は14世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会で、他の教会同様にバシリカ式・三廊式のゴシック建築ながら、ファサードは19世紀に改築されてゴシック・リバイバル様式となっている。村を見下ろす山腹に位置するモンテネーロの聖母の聖域は13世紀の創建で、美しい景色とフレスコ画で知られる。

ポルトヴェネーレは「ヴィーナスの港」を意味し、紀元前6世紀以前からの歴史を誇る。ローマ帝国やビザンツ帝国の港として発展したが、643年にランゴバルド王国によって滅ぼされた。イスラム教勢力の攻撃をしばしば受けたが、ジェノヴァは12世紀にこの町を支配下に収めると、ドリア城などの城塞や要塞・城壁を築いて海軍基地を置き、南の拠点港として整備した。14世紀以降、フランス、アラゴン、フィレンツェ、ジェノヴァ、リグリア、サルデーニャといった国々の支配を受け、1861年にイタリア王国に組み込まれた。丘の上に立つドリア城は12世紀に建設された城塞で、15~16世紀に星形要塞風に改築された。五角形で東~南側に3基の稜堡が突き出しており、北に円柱形の中世の塔が組み込まれている。城壁を海岸まで伸ばして町を城壁と断崖・海で取り囲み、エントランスとしてカピトラーレ門を設置した。ドリア城の南東はマドンナ・ビアンカの聖域(白の聖母の聖域)で、教区教会であるサン・ロレンツォ教会が立っている。1130年に奉献されたロマネスク様式のバシリカ式・三廊式の教会堂で、14世紀にゴシック様式で改修された。マドンナ・ビアンカはポルトヴェネーレの守護聖人で、1399年に聖母マリアの聖画が光り輝くとペストが終息したという伝説にちなんでいる。この聖画が収められたことからこの地が聖域となった。サン・ピエトロ教会が立つ南西の岬にはローマ時代にウェヌス神殿が立っており、後にキリスト教の教会堂に改修されたという。13世紀にロマネスク様式の教会堂が再建され、その後ゴシック様式に改装された。愛と美の女神の加護を求めて人気の結婚式場となっている。

パルマリア島はポルトヴェネーレの対岸の島で、100~200mほどしか離れていない。軍事拠点が設けられることが多く、19世紀に建設されたカヴール要塞(パルマリア要塞)やウンベルト1世要塞、セマフォロ砲台、スコラ塔などの跡が残されている。青の洞窟やハトの洞窟など、洞窟観光でも人気が高い。

ティーノ島はパルマリア島の南500m弱に浮かぶ島で、7世紀はじめに聖ヴェネリオがポルトヴェネーレの修道院長の座を捨てて隠遁した場所として知られる。11世紀にベネディクト会の修道院が建設され、その跡が残されている。島は軍の管轄下にあり、9月の聖ヴェネリオ記念日を除いて上陸は認めらていない。

ティネット島は周囲300mほどの小さな島で、樹木も建物も存在しない。5世紀の礼拝堂や11世紀の庵の跡が残されているが、ティネット島も海軍の所有で上陸することはできない。

■構成資産

○チンクエ・テッレ:モンテロッソ・アル・マーレ

○チンクエ・テッレ:ヴェルナッツァ

○チンクエ・テッレ:コルニリア

○チンクエ・テッレ:マナローラ

○チンクエ・テッレ:リオマッジョーレ

○ポルトヴェネーレ

○パルマリア島

○ティーノ島

○ティネット島

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

チンクエ・テッレとポルトヴェネーレの間に延びるリグリア東部の海岸は1,000年前からの伝統的な生活の様子を伝えており、コミュニティの中で社会的・経済的に重要な役割を果たしつづける際立った価値を持つ文化遺産である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

チンクエ・テッレからポルトヴェネーレに至るリグリア海岸沿岸部において、海から山に至る歴史的・階層的な町々の配置・構造や、険しく不均一な断崖を克服して築かれた周囲のテラスは卓越した建造物ならびに景観である。これらの資産は過去1,000年にわたる人類の継続的な居住の歴史を示している。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群は険しく激しい自然環境の中で人類が1,000年以上をかけて築き上げたすばらしい文化的景観であり、人類と自然が相互作用を起こして見事な調和を保ち、並外れた景観を生み出している。

■完全性

我々が今日知るすばらしい景観と集落は、農地を囲む岩垣を築き上げ絶えず修復を続けてきた長年にわたる勤勉と忍耐によっていまに伝えられている。自治体や共同体の伝統的なブドウ栽培や農業システムは資産の顕著な普遍的価値にとって不可欠な属性である。

世界遺産登録の時点でブドウ畑1haあたり130m、オリーブ畑1haあたり30〜300mの石垣に対し緊急の修復が必要であると見積もられた。それ以来、観光活動と景観保全を関連付ける活動が広まり、テラスを含む景観の再生プログラムにより数十haのブドウ畑とオリーブ畑が回復し、ワインのマーケティングに関する活動も強化された。ただ、いくつかの放棄されたテラスは地滑りの危険があるためマッピングして記録しておく必要がある。また、再植林もテラスに対する脅威となりつつあり、適切な対応が望まれる。

記念碑的な建造物は修復の対象となっているが、いくつかの時代の改修・増築部分が伝えられている一方で、もっとも古い構造が保持されていたりする。この地域はリグリアのコミュニティの歴史・経済・生活を伝える肖像画であると考えることができる。

近年いくつかの村やテラスを洪水が襲ったが、被害は特定の地域に限定されており、主要な景観と集落は影響を受けていない。ただ、被害を受けた地域はいまだ完全には回復していない。洪水は自然災害に対する資産の脆弱性とリスク管理の必要性を強調している。しかし、資産の視覚的要素は予想される、あるいは予想できない変化に対して脆弱であり、適切に保護する必要がある。洪水の予防措置については作業が行われる前に顕著な普遍的価値への影響を十分に評価する必要がある。

なお、チンクエ・テッレ周辺の海岸はチンクエ・テッレ海洋保護区、陸地はチンクエ・テッレ国立公園に指定されており、ポルトヴェネーレ周辺もポルトヴェネーレ地域自然公園に指定されている。

■真正性

資産は「有機的に進化する文化的景観」の一例であり、その真正性は伝統的な農業とブドウ生産システム、それらを管理する集落の維持と深く関係している。これらは近代の社会的・経済的な開発圧力にもかかわらずこれまで維持されてきたが、テラスや灌漑設備を含むこの地の農業システムはきわめて脆弱なままであり、農民の生活と地域の景観を維持するために農作物に付加価値を付与するなどいっそうの支援が必要である。集落の真正性は伝統的な素材・方法ならびに職人技の持続的使用にかかっている。

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