ラヴェンナはイタリア半島の付け根にあたるエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県の県都で、ビザンツ美術最高峰のモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)が伝えられており、「モザイクの都」として知られる。構成資産は8件で、ガッラ・プラキディア廟、サン・ヴィターレ聖堂、ネオニアーノ洗礼堂、アルチヴェスコヴィーレ礼拝堂、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂、アリアーニ洗礼堂、テオドリック廟、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂となっている。
ラヴェンナはクラッセと呼ばれる小さな漁港だったが、紀元前後に初代ローマ皇帝アウグストゥスが軍港を整備してから帝国艦隊の基地として発達した。4世紀に入るとローマ帝国はゲルマン民族の大移動の圧力を受けて国を保てなくなり、皇帝テオドシウス1世は395年にミラノを首都とする西ローマ帝国とコンスタンティノープル(現在のイスタンブール。世界遺産)を首都とするビザンツ帝国(東ローマ帝国)に分割する。402年、ゲルマン系西ゴート人の侵入を受けて西ローマ皇帝ホノリウスはラヴェンナへ遷都。城壁を張り巡らせて籠城するが、476年にゲルマン人傭兵隊長オドアケルが皇帝位を廃位すると、西ローマ帝国は滅亡した。
オドアケルはラヴェンナを首都にオドアケル王国を建国するが、ビザンツ皇帝ゼノンはゲルマン系東ゴート人・テオドリックに攻略を打診。テオドリックは493年にオドアケルを倒すと、ヴェローナ(世界遺産)を拠点にそのまま東ゴート王国を建国する。東ゴート人が信仰していたのは325年のニカイア(ニケーア)公会議で異端宣告を受けたアリウス派。テオドリックはラヴェンナにサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂やアリアーニ洗礼堂をはじめとするアリウス派の教会堂を建設した。
アリウス派の伸長に対し、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世はゲルマン系ランゴバルド人とともにイタリアに攻め込んでラヴェンナを奪還し、553年に東ゴート王国が滅亡する。ユスティニアヌス1世はラヴェンナに総督府を置くと宗教都市として整備し、アリウス派の教会堂を改修した。ビザンツ美術の黄金期を迎えるが、やがてラヴェンナは勢力を伸ばしたランゴバルド王国に征服されてしまう。
ローマ教会の要請を受けたフランク王国のピピン3世はランゴバルド王国を破ってラヴェンナを奪還し、教皇に寄進(ピピンの寄進)。これ以降、教皇領となるが、近郊のヴェネツィアやフィレンツェ(いずれも世界遺産)の繁栄の影に隠れて小さな漁村にまで没落した。しかし、このおかげでラヴェンナの教会群は破壊や都市開発から免れ、「中世のポンペイ」といわれるように当時のままの姿をいまに伝えることになる。
一方、ビザンツ美術の本拠地コンスタンティノープルでは8~9世紀の聖像禁止令とイコノクラスム(聖像破壊運動)、15世紀のイスラム教勢力・オスマン帝国による征服を経て多くが破壊されてしまった。このためラヴェンナはビザンツ美術を当時のまま伝える数少ない場所となった。
世界遺産の構成資産は8件。
ガッラ・プラキディア廟はローマ皇帝テオドシウス1世あるいはホノリウスによって建設されたと見られる建物で、サンタ・クローチェ聖堂の付属施設として5世紀前半に築かれた。中世にはコンスタンティウス3世の皇妃ガッラ・プラキディアの廟とされたが、ガッラはローマのオノリアーノ廟に埋葬されていると考えられており、この建物は聖ロレンツォや聖ナザリオ、聖チェルソに捧げられた礼拝堂と考えられている。ギリシア十字形に近い平面プランを持つレンガ造の建物で、外観は地味ながら内部は下段を大理石パネル、上段を美しいモザイク画で覆われている。モザイク画の内容はイエスやその象徴である羊飼い、信者の象徴であるヒツジ、セラフィムをはじめとする天使、ペトロやパウロらの使徒、聖ロレンツォらの聖者、星々や花などで、いずれも青を基調とした作品となっている。
サン・ヴィターレ聖堂は司教エクレシオが530年頃に建設を開始したと伝わる教会堂で、聖ヴィターレに捧げられた。八角形の集中式(有心式。中心を持つ点対称かそれに近い平面プラン)で、外周は周歩廊、東にアプス(後陣)が設けられている。八角形のプランやレンガ造、柱頭装飾、モザイク画等はビザンツの影響が強く、一方でドームやポータル(玄関)、鐘楼、フライング・バットレス(飛び梁。アーチ状の支え)等はローマの建築要素が採用されており、両者の折衷となっている。アプスや手前の内陣の天井や壁は見事なモザイクで覆い尽くされており、イエスや天使・預言者・使徒・聖者らの姿や聖書の物語が描かれている。アプスの入口付近の壁にはユスティニアヌス1世や皇妃テオドラ、当時の有力司教らの姿も描き出されている。ドーム内はモザイク画ではなくフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で、18世紀後半のバロック様式の作品となっている。
正統派洗礼堂とも呼ばれるネオニアーノ洗礼堂は5世紀に建設されたラヴェンナ最古の洗礼堂のひとつで、407年奉献と伝わるウルシアーナ聖堂に付属するアリウス派に対する正統派(アタナシウス派)の洗礼堂として建設された。八角形のレンガ造で、10世紀に4基のアプスが取り付けられた。内装は見事なモザイク画やレリーフで飾られており、ドームの十二使徒像をはじめイエスや使徒・預言者らの姿を見ることができる。中央には聖水を収めるための大理石製・八角形の洗礼盤が備えられている。八角形の「8」は世界を創造した7日間と、イエスが復活した1日の象徴とされる。
アルチヴェスコヴィーレ礼拝堂(大司教礼拝堂)は聖アンドレアに捧げられていることからサンタンドレア礼拝堂とも呼ばれる建物で、ウルシアーナ聖堂付属の私設礼拝堂として495年頃に司教ピエトロ・クリソロゴによって建設された。やはり美しいモザイク画で知られ、特にミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの4大天使の像は名高い。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂はテオドリックが6世紀前半に建設したアリウス派の教会堂で、540年にビザンツ帝国がこの地を征服するとユスティニアヌス1世が再奉献し、ローマ・カトリックの教会堂として整備した。9世紀に聖アポリナーレの聖遺物が収められたことから現在の名前に改称された。バシリカ式・三廊式のバシリカで、円柱形の鐘楼は9~10世紀、西ファサードの大理石製ポルティコ(列柱廊玄関)は16世紀の増築で、アプスは第1次世界大戦で損傷して再建された。身廊列柱上の壁面がすばらしく、北面の聖人や東方三博士(イエス聖誕の際に聖母マリアとイエスを見舞った三賢者)、クラッセ港を描いたモザイク画と、南面のイエスと聖人、テオドリック宮殿を描いたモザイク画で知られる。
アリアーニ洗礼堂はテオドリックが5~6世紀に建設したアリウス派の洗礼堂で、八角形のレンガ造となっている。ほとんど装飾のない壁面ながらドームに見事なモザイク画を掲げており、十二使徒に囲われた中央に、ヨルダン川で洗礼者ヨハネに洗礼を受けるイエスと聖霊を意味するハトの姿が描かれている。
テオドリック廟は520年頃に築かれたテオドリックの廟で、当時この周辺は墓が立ち並ぶネクロポリス(死者の町)となっていた。十角形の2層構造で、屋根として直径10.76m・重量約230tのイストリア石(石灰岩の一種)の一枚岩が冠されている。中央にテオドリックの石棺が収められているが遺体は存在せず、キリスト教の礼拝堂として改修されたビザンツ時代に取り除かれたと考えられている。この建物にはモザイク画は存在しない。
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂は6世紀前半に建設された教会堂で、549年に大司教マクシミアヌスによって奉献され、聖アポリナーレに捧げられた。バシリカ式・三廊式・レンガ造の教会堂で、西ファサードにナルテックス(拝廊)を持ち、高さ38mの鐘楼は9世紀に増築された。身廊には24本の大理石製・コリント式の柱が立ち並んでおり、柱上の壁面やアプスは美しいモザイク画で装飾されている。アプスの上部は緑を基調としたモザイク画で、十字架を中心に預言者モーゼとエリヤ、聖アポリナーレ、十二使徒を示す12頭のヒツジ、木々や芝などが描かれている。
ラヴェンナの初期キリスト教建築物群はモザイク芸術の最高峰であり、人類の創造的才能を伝える傑作である。
ラヴェンナの初期キリスト教建築物群はヨーロッパの文化史において芸術と宗教の関係と接触を示す比類ない証拠である。モザイク画はこうした芸術のもっともすぐれた一例であるのみならず、東洋と西洋のモチーフや技術の融合が見られ、重要性を増している。
ギリシア・ローマの伝統、キリスト教諸派の図像、東西ローマ帝国のスタイルといった種々の芸術文化の融合が見られ、重要な芸術技法を証言している。
ラヴェンナの初期キリスト教建築物群は6世紀の宗教・葬儀に関する芸術・建築文化の縮図である。
資産には顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素が含まれている。8件の構成資産は5~6世紀の建築・芸術の発展に関するもっとも代表的な作品群を含んでおり、特にモザイク芸術に関して顕著である。これらのモニュメントは、ラヴェンナが西ローマ帝国、テオドリックの東ゴート王国、ビザンツ帝国、教皇領の首都あるいは主要都市として繁栄した時代時代の証である。
懸念材料として地盤沈下や主に観光客によってもたらされる結露や湿気による劣化、そして公害が挙げられるが、これらは各資産の管理者によって対処されている。
8件の構成資産の真正性は高いレベルで維持されている。多くは建設されてから数世紀にわたって改修を加えられてきたが、こうした修正にも固有の歴史的価値があり、全体の真正性には影響を与えていない。
近年、いくつかの修復プロジェクトが実施されているが、ラヴェンナ建築文化財景観局が行う作業はヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に基づいており、適切に保全されている。
モザイク画の文化的伝統と技術はラヴェンナという都市のアイデンティティの中で大きな役割を果たしており、モザイク芸術に関する知識・訓練・保全・価値の促進を目的としたさまざまな活動が実施されている。