イタリア北部のアルプス山麓に位置するヴァルカモニカ=カモニカ渓谷はロンバルディア平原を流れるオリオ川沿い約70kmに横たわる渓谷で、8,000年以上にわたって刻まれた数多くのペトログリフ(線刻・石彫)が残されている。その数は世界遺産登録時で14万点以上とされ、現在は200,000~300,000に及ぶ。
1909年、カーポ・ディ・ポンテのセムモという集落で2点のペトログリフが発見された。1920年代に本格的な調査がはじまると次々と同様のペトログリフが見つかるが、戦争によって中断された。第2次世界大戦後に調査が再開されるとその重要さが認識され、1955年には国立公園に指定して保護活動がはじまった。
最初期のペトログリフは紀元前8000~前5000年前後の中石器時代のもので、シカやヘラジカ、それらを狩る姿などが描かれている。紀元前5000~前3000年ほどの新石器時代になると四角形や円といった抽象的な記号が増え、農地を思わせる図形をはじめ農業との関わりが指摘されている。また、イヌやヤギといった家畜も描かれており、農業・牧畜による定住生活の様子がうかがえる。
銅器時代(金石併用時代。紀元前3000年紀)や青銅器時代(紀元前2000年紀)になると人間や動物の他に農業・天体・幾何学図形など絵柄は多様化し、宗教的・科学的要素が強くなっていく。鉄器時代(紀元前1000年紀)のペトログリフは主にカムニ人によって描かれたもので、武器や盛り上がった筋肉・男性器など男性の雄々しい姿が特徴で、狩猟風景や決闘の様子などが刻まれている。「カモニカ」はこのカモニ人が語源だ。
エトルリアやローマの時代には文字のペトログリフが数多く刻まれたが、この時代に衰退した。ただ、中世の一時期、キリスト教徒によって一部が聖地として整備され、十字架や聖像などが描かれたほか、教会堂や要塞が建設された。
世界遺産の構成資産は6件となっている。
「ダルフォ=ボアーリオ・テルメの遺跡公園」はロンバルディア州ダルフォ=ボアーリオ・テルメの丘に位置する市立遺跡公園で、紀元前8000~前2000年ほどに描かれた多彩なペトログリフが発見されている。刻まれた岩の数は100以上に及び、中石器・新石器時代の古いペトログリフは動物など狩猟に関係したものが多く、青銅器時代になると抽象表現が増え、数字など文字と見られるペトログリフが1万点以上も発見されている。
「マッシ=ディ=チェンモ国立考古学公園」はロンバルディア州カーポ・ディ・ポンテに位置する国立考古学公園で、紀元前3千年紀の銅器時代からローマ時代までのペトログリフが発見されている。紀元前2千年紀には壁で囲われ、聖域として祀られていたようだ。人物像とともに短剣などの武器の絵柄が多く見られ、ローマ時代に入るとキリスト教の聖人像も描かれている。
「カーポ・ディ・ポンテのセラディナ=ベドリナ市立考古学公園」はロンバルディア州カーポ・ディ・ポンテの市立考古学公園で、主として紀元前2千~前1千年紀の青銅器~鉄器時代のペトログリフ地帯となっている。人物や動物像とともに狩猟や戦闘の様子を描いたものが多数見られる。「ベドリナの地図」は世界最古級の地形図のひとつとされ、村の家々を中心に耕作地や山道、人間や動物など109の絵柄が刻まれている。
「セッレロ市立公園」はロンバルディア州セッレロの市立公園で、新石器時代から居住の跡はあるものの、硬い岩盤のためかペトログリフは紀元前1千年紀の鉄器時代、カムニ人によって刻まれたものが多い。特徴的な絵柄が「ローザ・カムーナ(カムニのバラ)」で、十字形や卍形のペトログリフが随所に見られる。戦士とともに描かれることが多いことから戦闘と関連した象徴と見られるが、詳細は不明。ローザ・カムーナはロンバルディア地方のシンボルとなっており、旗にも使用されている。
「ソーニコのプルリテマティコ・コレン・デ・レ・ファテ公園」はロンバルディア州ソーニコの市立考古学公園で、紀元前4千~前1千年紀のペトログリフが見られる。「コレン・デ・レ・ファテ」は地元の方言で「妖精の石」を意味し、妖精伝説をもたらした。人物や動物像のほか、ローザ・カムーナも見られる。
「カーポ・ディ・ポンテのインチジオニ・ルペストリ国立公園、チェートとチンベルゴとパスパルドのインチジオニ・ルペストリ自然保護区」のインチジオニ・ルペストリ国立公園は1955年にヴァルカモニカで最初に設立された公園で、ペトログリフが刻まれた104の岩が見られる。質は一帯最高レベルで、紀元前5千~前1千年紀の人間・動物・建物・道具類・文字など絵柄は多彩で、村や狩猟・戦闘といった場面を描いたものも少なくない。インチジオニ・ルペストリ自然保護区は森林の中の遺跡地帯で、紀元前5千年紀からエトルリア、ローマの時代まで少なくとも420の岩に多彩なペトログリフが刻まれている。
現在に至るまで8,000年の期間にわたって描かれつづけたヴァルカモニカの岩絵群は人類にとってかけがえのない記録である。
ヴァルカモニカの岩絵群は先史時代の人類の慣習と精神性に関する比類ない記録である。これらの体系学的解釈・類型学的分類および年代学的研究は先史時代の考古学・社会学・民族学といった分野の発展に大きく寄与した。
資産には顕著な普遍的価値を表現するために必要な要素がすべて含まれており、先史時代の慣習と精神性を表現するきわめて完成度の高いペトログラフやペトログリフが残されている。構成資産の6件は国立公園や自然保護区などに指定され、国や自治体・博物館などによって管理されており、保存状態とロックアートの視認性は一般的に良好である。しかし、こうした岩面芸術は大気にさらされているため気候や木など自然の影響や、大気汚染や人為的損傷といった人的な影響に対して脆弱である。
考古学的遺物としてのヴァルカモニカの岩絵群は形状・デザイン・素材において高いレベルの真正性を保っている。ロンバルディア・ベニ考古学博物館(文化財・文化活動省の地方事務所)および公園群の特別なネットワークによって実現した継続的なモニタリングや修復・管理のおかげで資産の物理的真正性が維持されている。すべての修復作業はヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)の原則に従って省の指示の下で行われている。