ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観

Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape

  • オーストリア
  • 登録年:1997年、2024年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:28,637ha
  • バッファー・ゾーン:19,863ha
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、ダッハシュタイン山塊
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、ダッハシュタイン山塊
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、中央下の街並みがハルシュタット
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、中央下の街並みがハルシュタット
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、ハルシュタットの街並み。尖塔はプロテスタントの福音派教会
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、ハルシュタットの街並み。尖塔はプロテスタントの福音派教会
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、福音派教会
世界遺産「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」、福音派教会

■世界遺産概要

ダッハシュタイン山塊とハルシュタット湖に映えるゴシックとバロックの街並みは3,000年以上の歴史が築き上げたザルツカンマーグート地方の文化的景観だ。ザルツ(塩)・カンマーグート(御領)がドイツ語で「塩の御領」、ハル(塩)・シュタット(町)がケルト語+ドイツ語で「塩の町」を意味するように、「白い黄金」と称された塩の生産が「世界一の湖畔風景」といわれる絶景を支えた。

なお、2024年の軽微な変更で、資産が28,446.2ha→28,637ha、バッファー・ゾーンが20,013.9ha→19,863haに修正された。

○資産の歴史と内容

ザルツカンマーグート地方では紀元前2000年紀の中期青銅器時代には塩の生産が行われていた。当時は深い盆地で塩水を採取して特別な陶器に入れて水分を蒸発させた。紀元前1200年前後の後期青銅器時代に山の露出した岩塩層を掘り進める樋押(ひおし)採掘がはじまり、初期鉄器時代の紀元前8世紀頃には山中の鉱脈の位置を読んでその下部に水平に坑道を掘る横相(よこあい)採掘が行われた。これらは紀元前1200~前500年ほどに栄えたケルト人とイリュリア人によるハルシュタット文化の遺構で、塩や銅・鉄の採掘で繁栄した。ハルシュタット製の青銅器や鉄器は遠くバルト海や北海沿岸部でも発見されており、逆にギリシアやアドリア海の陶器や宝石がハルシュタットの墓地遺跡から出土しており、広範な交易の様子がうかがえる。ローマ時代になると地下深くに竪坑を掘って大規模な採掘を行った。中世に入ると長らく塩の採掘の記録はない。

1311年にオーストリア公から許可を得たハルシュタットは製塩を開始。塩を蒸発させるために大量の木材が必要であることから森の管理権も獲得したが、これらは1524年に国の直轄事業に移行した。1595年にはエーベンゼーからハルシュタットまで40kmにわたって木製パイプラインが開通し、塩水が送水された。一説では13,000本の木製管をつなげた世界最古のパイプラインとされる。

ハルシュタットの町はミュール川沿いに展開していたが、16世紀に湖岸に沿って町が広がった。少ないスペースを活かすため家屋は狭く高くデザインされ、下層階は石造、上層階は木造でゴシック様式で築かれた。スペースを活かす工夫は墓にも見られ、遺体はカーナー墓地で20~30年埋葬された後、掘り起こされ、骨は漂白・装飾されてから聖ミカエル礼拝堂の納骨堂に収められた。この時代の建物としてはロマネスク建築とゴシック様式の祭壇を持つカトリックの聖母マリア教会がある。

1750年にハルシュタットを大火が襲い、中心部分の建物はほとんど焼失した。町はバロック様式で再建され、現在見られる街並みがおおよそ完成した。ランドマークであるプロテスタントの福音派教会やハルシュタット湖を見下ろす旧鉱山管理ビル・ルドルフシュトゥルムなどはこの時代の建設だ。

19世紀初頭、ナポレオン戦争の資金獲得のため塩の生産が一時的に増えたが、その後は低迷した。製塩業や鉱業は衰退したが、その景観の美しさから代わって避暑地として観光業が発達した。19世紀後半までハルシュタットには徒歩で山を越えるか船でアクセスするしかなく、住人は町を通る湖岸の道路の建造を拒否しつづけた。1875年にハルシュタットの北3kmほどにあるゴーザウツヴァングに道路が通り、1877年には湖の対岸1kmほどに国鉄ザルツカンマーグート線のハルシュタット駅がオープン。1890年にようやく道路が開通した。ハルシュタットの風光明媚な様子は作家アーダルベルト・シュティフターや詩人フランツ・グリルパルツァー、画家フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーらの作品を通して伝えられ、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の愛する避暑地としても知られた。

ダッハシュタイン山塊はハルシュタットの周辺に広がる山地で、世界遺産には湖の北を除く三方の山々が登録されている。標高508mのハルシュタット湖から2,995mの最高峰のホハー・ダッハシュタイン山まで急速に駆け上がっており、フィヨルドのような断崖絶壁を見せる。ハルシュタット氷河、グローセル・ゴーザウグレチャー氷河、シュラトミング氷河といった氷河が展開し、周囲には氷河が山を削って生まれたU字谷や氷河が押し流した岩石が堆積したモレーンなどの氷河地形が見られる。また、アルプス有数のカルスト山塊でもあり、数多くの洞窟が発見されている。最長の洞窟が全長81kmのヒラツ洞窟で、氷に覆われたダッハシュタイン=リーゼン洞窟は有数の観光地となっている。また、山では先史時代からヒツジやウシの放牧が行われており、牧草地として整備された草原が山岳風景をいっそう引き立てている。

■構成資産

○ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

人々は3,000年以上にわたって山々に囲まれたザルツカンマーグートの狭い谷に住みつづけてきた。それを支えたのは人と動物の生活に不可欠な天然資源である塩の採掘と加工で、ほとんど手付かずの自然の中で宝石のような繁栄とユニークな文化を育んだ。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの高山地域は際立って美しい自然景観と人間の基本的な経済活動を含む科学の成果の顕著な例である。この地域の文化的景観は2,500年にわたって継続的に進化しており、その歴史はかなり初期から塩と関連している。ハルシュタットにおける製塩の歴史は中期青銅器時代にまでさかのぼり、その証拠は建築・芸術のみならず生活のあらゆる面に見ることができる。

■完全性

16~20世紀にかけて王室の領地として厳格に管理され、19世紀からは観光業が発達して文化的・美的要素は保護された。資産は法的に保護されているだけでなく、住民が湖岸に沿った主要道路の建設を拒否するなど人々の高い意識に支えられており、現代の開発の影響もほとんど受けていない。資産は塩の採掘と加工、関連する木材生産、移牧と酪農に関する顕著な普遍的価値を構成するすべての要素を含んでおり、19世紀に作家や画家たちを魅了した文化と自然の調和を見事に保持している。

■真正性

その特別な歴史的発展によりこの文化的景観は高山地域で際立った自然と社会の真正性を保っており、人間と環境の調和の取れた相互作用の結果、空間的・物質的な構造を高いレベルで維持している。その質と文脈はここを訪れた多くの作家や画家といった芸術家たちによって証明され支持されている。

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