ハンガリー北東部ボルショド=アバウーイ=ゼンプレーン県のトカイ地方(トカイ=ヘギャリア地方)は世界3大貴腐ワインのひとつであり、フランスの太陽王ルイ14世が「王のワインにしてワインの王なり」と絶賛したというトカイ・アスー(アスー/トカイ・ワイン)の名産地で、南向きの斜面、豊かな日照、大きな寒暖差、火山性の土壌、深い川霧、貴腐菌といったテロワール(耕作における環境的特性)によって唯一無二のワインを生産しつづけている。ワイン生産は少なくとも1,000年、トカイ・アスーは300年近い歴史を誇り、周囲の自然環境とブドウ畑・農場・村・町・セラーなどの施設が有機的に結び付いた歴史的な文化的景観が広がっている。なお、本遺産は2002年に「トカイ・ワイン産地の文化的景観 "Tokaji Wine Region Cultural Landscape"」の名称で世界遺産リストに搭載されたが、2003年に現在の名称に変更された。
トカイ地方には新石器時代から人類の居住の跡があり、人間が継続的に生活を行っていたようだ。一説では紀元前のケルト人の時代、あるいはローマ時代からブドウの栽培が行われていたというが、明らかではない。9世紀にハンガリー人の祖とされるマジャール人がロシア方面から進出し、896年に大首長アールパードがハンガリー大公国を建国。1000年に教皇シルウェステル2世にキリスト教国家として認められ、ハンガリー王国に昇格した。ブドウがもたらされたのはこの頃、9~10世紀と見られ、マジャール人とテュルク系(トルコ系)のカバル人が東方から持ち込み、遅くとも12世紀にはトカイ地方でブドウ栽培が行われていた。ブドウを意味する「トカイ」という単語の語源はアルメニア語にあり、10世紀にはマジャール人がこの言葉を使用していた。
ブドウの栽培はトカイ地方に非常に適していた。トカイ地方の地盤の多くは火山灰が堆積してできた柔らかい凝灰岩で、一部には溶岩が固まった流紋岩や安山岩といった火山岩が見られる。この上にレス(黄土)と呼ばれる砂質あるいは泥状の土壌が積み重なり、全体として地盤は酸性で多くのミネラル分を含み、水はけが非常によい。しかも南向きで適度に小高い丘が立ち並び、太陽方向を向いた斜面が多い。気候は地中海の暖気が入り込む比較的温暖な大陸性気候で、年間平均気温は9.6〜9.9度(東京は15.4度)だが、夏の最高気温は33度、冬の最低気温は-13度ほどまで上下し、季節や1日の寒暖差が大きい。年間降水量は600~620mm(東京は約1,500mm)と少なく、日照時間は1,900~2,000時間(東京は約1,900時間)と多い。周囲にはティサ川、ボドログ川、セレンチュ川、ギリップ川をはじめ多くの川や小川・湖沼があり、秋から冬の朝には深い霧が発生する。一帯は乾燥しているものの、この霧のためにカビが発生しやすく、貴腐ワインを生み出すカビの一種である貴腐菌(ボトリティス・シネレア "Botrytis cinerea")の繁殖に適している。
1526年にハンガリー王ラヨシュ2世がオスマン皇帝スレイマン1世にモハーチの戦いで敗れ、首都オーブダやペスト(現・ブダペスト。世界遺産)を落とされた。1529年にはハプスブルク帝国の帝都でありオーストリア大公国の首都であるウィーン(世界遺産)が包囲された(第1次ウィーン包囲)。オスマン帝国は結局、ウィーンから撤退したものの、ハンガリー中部と南部はオスマン帝国領ハンガリーとなった。ラヨシュ2世には嗣子(跡取り)がいなかったことからオーストリアのハプスブルク家がハンガリー王位を引き継いだ。
トカイ地方は難を免れていたが、それでも多くの住人が退避し、村々を去った。伝説では17世紀の初冬、オレムスのロラントフィ・ミハリの領地でオスマン帝国の侵略を恐れたブドウ農家が収穫をためらっていると、深い霧が発生してブドウがカビに冒されてしまったという。それでも宮廷司祭セプシ・ラツコ・マテは水分が抜け、干しブドウのようになったブドウを収穫させてワインを醸造した。その味に人々は「ネメスロトハダシュ!――なんて高貴な腐敗!!」と驚愕したという。セプシ・ラツコ・マテは史上はじめて完成した貴腐ワインを領主であるラーコーツィ家に献上すると絶賛され、エルドベニヤでトカイ・アスーとして生産が開始されたという(以上、異説あり)。なお、貴腐菌は水分の蒸発を防ぐブドウの果皮表面を冒してロウ質を奪い去り、それが果実内部の水分の蒸発を促して干しブドウのように乾燥させてしまう。こうして水分の抜けたブドウの糖度と香りは極限まで高められ、これを絞って醸造することで貴腐ワインが完成する。
オスマン帝国は1683~99年の大トルコ戦争に敗れるとカルロヴィッツ条約で多くの領土をオーストリアに割譲した。これによりハンガリーのほぼ全域がハンガリー王国に戻ったが、ハンガリー王位はハプスブルク家によって継承されていたため各地で独立運動が活発化した。そのひとつがラーコーツィ家によるラーコーツィ独立戦争(1703~11年)で、ラーコーツィ・フェレンツ2世はトカイ地方をはじめとする地方の農民軍を率いて反ハプスブルク闘争を牽引した。一時はハンガリーの大半を奪回したが、最終的に独立軍は鎮圧されてラーコーツィ・フェレンツ2世はハンガリーから追放された。独立はならなかったが、ハンガリー王国の独立と国民の独立意識をハプスブルク家に知らしめたことで多くの政治的譲歩を引き出した。
ラーコーツィ独立戦争の前後、ラーコーツィ・フェレンツ2世はフランスやイギリス、ポーランド、プロイセン、ロシアといった国々を回り、外交交渉に明け暮れた。このとき手土産として持参したのがトカイ・アスーで、各国の王家の称賛を浴びた。一例がフランス王ルイ14世で、「王のワインにしてワインの王なり」と絶賛したという。これを機にトカイ・アスーは各地の貴族のコレクションに加えられ、フランス王ルイ15世やプロイセン王フリードリヒ大王(フリードリヒ2世)、スウェーデン王グスタフ3世、フランス皇帝ナポレオン3世、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、ロシア皇帝ピョートル大帝(ピョートル1世)をはじめ多くの皇帝や王を魅了した。黄金色に輝く色彩からオーストリア大公マリア・テレジアが、「金が入っているのではないか」と成分を分析させたというエピソードもよく知られている。こうしてラーコーツィ・フェレンツ2世はハプスブルク帝国と戦い、トカイ・アスーを世に知らしめた英雄となり、いまもハンガリーの人々に愛されている。
ラーコーツィ家はトカイ地方を去り、ハプスブルク家が一帯を治めたが、トカイ・アスーの名声はますます飛躍した。フランス、ドイツ、スロバキア、ルテニア(ウクライナとポーランドにまたがる地域)、マケドニアなどから入植者が流入し、18世紀にはヨーロッパ有数のワイン商人であるポーランド系ユダヤ人が参入した。1737年にはいち早く原産地統制呼称制度を導入し、トカイ・アスーを名乗れる地域と製法を厳格化した。
しかし、19世紀に入ると市場は少しずつ縮小し、19世紀末にはフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が大流行してほとんどのブドウの木が枯死した。ヨーロッパの他の地域同様、アメリカ産のブドウの台木に穂木を接ぎ木することで回復したが、20世紀にふたつの世界大戦が続いたことで衰退は止まらなかった。特に第2次世界大戦ではナチス=ドイツの支配によるユダヤ人排斥運動によってトカイ地方のユダヤ人コミュニティは完全に破壊された。
1946年に王政が廃止されてハンガリー共和国が成立し、1949年には社会主義国家であるハンガリー人民共和国が誕生した。トカイ地方で伝統的なトカイ・アスー生産が本格的に再開されるのは1989年にハンガリー共和国が成立してからである(その後、2012年にハンガリーに改名)。
現在、貴腐ワインであるトカイ・アスーを名乗れるのはハンガリー=スロバキア国境付近のトカイ地方のみで、第1次世界大戦後、1920年のトリアノン条約でハンガリーからチェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)に割譲されたスロバキア側の産地を含んでいる(世界遺産には含まれていない)。ブドウ品種は約60%を占めるフルミントを筆頭に、ハーシュレヴェリュー、シャルガムシュコタイ(ミュスカ・ブラン・ア・プティ・グラン)、ゼタ、ケヴェルシュレ(グラサ・デ・コトナリ)、カバルのいずれかの白ブドウで、単一あるいはブレンドして醸造される。これらのブドウで通常の白ワインやアイスワイン(凍結したブドウから作られる甘口のワイン)も生産されている。
トカイ・アスーの中でも干しブドウのように貴腐化した貴腐ブドウの粒だけを手摘みで集め、圧搾機を使わず自重のみで自然に滴るフリーラン果汁を集めて発酵させた最高品質の貴腐ワインを「エッセンシア」と呼ぶ。世界3大貴腐ワインのソーテルヌやトロッケンベーレンアウスレーゼでも貴腐ブドウの粒だけを集める製法は存在せず、トカイ地方のみの特別な製法となっている。残糖度は最低450g/lで、900g/lに達することもある半面、アルコール度数は1.2~8.0%と低い。最低18か月のオーク樽による樽熟成を行い、半年程度の瓶内熟成も行われる。「アスー」は貴腐ブドウと一般のブドウを両方使って発酵させるもので、オーク樽で18か月以上熟成させて作られる。残糖度は120g/l以上で、アルコール度数は9.0%を超える。貴腐ブドウの桶=プットニュの割合が高いほど糖度が上がるため、以前は3~6までのプットニョシュという単位で残糖度の割合が示されており、残糖度60~90g/lで3プットニョシュ、90~120g/lで4プットニョシュ、120~150g/lで5プットニョシュ、150~180g/lで6プットニョシュ、180g/l以上はアスー・エッセンシアと呼ばれていた。2013年にこれらの区別は廃止されたが、それ以前に製造されたものや、名称が禁止されたわけではないため引き継いでいるブランドも存在する。「サモロドニ」は貴腐ブドウと通常のブドウの粒を区別せず房ごと収穫して発酵させたもので、貴腐ブドウの割合や質で甘口から辛口までさまざまなタイプが存在する。一般的に残糖度とアルコール度数は反比例し、甘口のエデシュで残糖度45g/l・アルコール度数9%以上、辛口のサーラズだと残糖度9g/l・アルコール度数12%以上となる。サモロドニはオーク樽で6か月以上熟成させて完成される。
世界遺産の構成資産は以下の7件となっている。
「トカイ・ワイン地区」はトカイ、タルツァル、ボドログケレストール、マド、タリヤといった町を含む広いエリアで、それぞれのブドウ畑やワイン・セラー、醸造所、歴史的な邸宅、ローマ・カトリックや正教会の教会堂、城跡、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)などを含んでいる。トカイのワイン・セラーはトカイ地方の典型的なもので、住宅の下に築かれたヴォールト型と岩盤を掘って造られた掘削型の2タイプに分けられる。ヴォールト型はアーチを並べたヴォールト天井を持つ地下室で、家を建てるときに同時に築かれた。一方、掘削型は地下の岩盤を掘り抜いた専用の地下室で、天井は自然の岩盤を利用し、地上階には木製あるいは鉄製の格子扉を持つ玄関のみがたたずんでいる。トカイの80~85%のセラーはこの掘削型となっている。
「ウングヴァリ・ワイン・セラー」はシャートラルヤウーイヘイにあるウングヴァリのワイン・セラーで、13世紀までさかのぼる最古級のワイン・セラーと考えられている。27のセラーが集まってできた迷路のような巨大なセラーで、全長14~16km・4階建ての内部に13,000もの樽を収めることができる。深さ15m以上になる喚起口やドア、セラー内のカビなどによって内部の環境が維持されており、おおよそ気温9~11度・湿度85~95%に保たれている。
「ラーコーツィ・ワイン・セラー」はシャーロシュパタクにあるラーコーツィのワイン・セラーを登録したもので、ラーコーツィ城の下に位置している。10~13世紀までさかのぼる歴史的なセラーで、1711年にラーコーツィ家の所領となり、1776~91年に拡張されて現在の姿が完成した。900個の樽を収蔵するこのセラーでは主にアスーとサモロドニが熟成されており、湿度96%という高い湿度が厚いカビを生み、好影響を与えているといわれる。
「コポロシ・セラー群」と「ゴンボシェギ ・セラー群」はそれぞれヘルツェクートのコポロシとゴンボシェギのワイン・セラー群を登録しており、いずれも17世紀後半の大トルコ戦争や18世紀はじめのラーコーツィ独立戦争の前後に製造が開始されたものと見られる。丘の中腹に位置する2つの地域に三角形のエントランスを持つ3~4階建ての細長いセラーがそれぞれ80以上も列をなして並んでいる。
「オレムス・セラー群」はトカイ・アスー誕生の地とされるトルチヴァのオレムスのセラー群を登録したもので、トカイ地方でもっとも有名なセラー群といえる。1241年にモンゴル帝国が襲来した後、ハンガリー王ベーラ4世は破壊されたブドウ畑を再建するためにイタリアとフランスから職人を呼んで再建させた。このときセラーの合理化が進められ、西側の丘の斜面に北北東を向いたセラーが建設されるようになった。セラーは複数のエントランスを持ち、気温10度・湿度96~98%程度に保たれ、換気口によって自然換気が行われている。
「トルチヴァ・ワイン博物館セラー群」はトルチヴァの4つのセラー(コンスタンティン、アドリアニー、ラーコーツィ、リーブマン)で構成されたセラー群で、現在はワイン博物館として公開されている。約1,000の樽と1,000以上のボトルを収めることができ、灰褐色のカビが樽やボトルを覆うほどに繁殖している。カビは環境を一定に保つ役割を果たしており、セラー内をおよそ気温12度・湿度88~90%に保っている。1906年や1912年、1915年といった100年以上の歴史を持つ幻のヴィンテージを保管していることでも知られる。
トカイ・ワイン産地は少なくとも1,000年以上の歴史を誇り、現在まで手付かずの状態で維持されてきたブドウ栽培の伝統を明確に表現している。
ブドウ畑と長い歴史を有する集落を含むトカイ・ワイン産地の景観全体が伝統的な土地利用の特殊な形態を鮮明に描き出している。
特殊なブドウ栽培に適した環境条件(地質・地形・水環境・気候)、歴史あるブドウ畑やテロワール、長期にわたって居住された集落とそのネットワーク、民族多様性を反映した豊富な文化遺産、多彩なセラー・タイプ、ブドウ栽培とワイン生産に関連し景観の特性に寄与しているその他の建造物の多彩性(テラス、石垣・生垣、貯水池など)といった顕著な普遍的価値を持つ構成資産の各要素は十分に手付かずの状態で維持されている。資産は顕著な普遍的価値を表現するために必要な要素のほとんどを備えているが、資産とバッファー・ゾーンそれぞれの範囲と関係性を見直す必要がある。経済的に需要が変化する中でも伝統的な土地利用の継続性は維持されているが、長期的に潜在的な脅威として湿地の消滅や住宅地の拡大、気候変動などは十分に考慮されるべきである。
一帯の建造物に関して、何世紀にもわたる度重なる軍事侵攻や火災により歴史的建造物のかなりの部分が破壊され、再建や再構築を繰り返してきた。しかし、ヴェネツィア憲章に準拠した国際基準の保全・修復を厳格に遂行しており、過去半世紀のわたって現存する歴史的建造物の真正性のレベルは世界遺産の運用ガイドライン要件に完全に適合しているといえる。また、歴史的な集落群は基本的な都市レイアウトのみならず、集落同士あるいは集落と景観の相互関係を維持している。トカイ地方では1,000年以上にわたってブドウ畑が整備され、ワインが生産されてきた。世界的なワインとして名声を勝ち取ったトカイ・アスーを生産する町や村を含む文化的景観はさまざまな歴史を経ながらも全体的な姿を保持している。