ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟

Decorated Cave of Pont d’Arc, known as Grotte Chauvet-Pont d’Arc, Ardèche

  • フランス
  • 登録年:2014年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)
  • 資産面積:9ha
  • バッファー・ゾーン:1,353ha
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、アブラハムの断崖
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、アブラハムの断崖。この下層にドアで封鎖されたショーヴェ洞窟の開口部がある (C) JYB Devot
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。ウマやオーロックス、サイといった多彩な動物が描かれている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。ウマやオーロックス、サイといった多彩な動物が描かれている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。主にサイが描かれている
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。主にサイが描かれている。上の多くの角はサイの動きを示すものともいわれる(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。中央から右に描かれているのはホラアナライオンで、左のオーロックスやバイソン、サイを追い掛けている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」のペトログラフ。中央から右に描かれているのはホラアナライオンで、左のオーロックスやバイソン、サイを追い掛けている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、マンモスのペトログリフ。顔料を塗り付けるのではなく、石や指で壁面を削ることで描かれている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、マンモスのペトログリフ。顔料を塗り付けるのではなく、石や指で壁面を削ることで描かれている(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、赤鉄鉱で描かれたペトログラフ。左の大きな絵がクマ、右下はヒョウ(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、赤鉄鉱で描かれたペトログラフ。左の大きな絵がクマ、右下はヒョウ(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、初期人類の手形(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)
世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟」、初期人類の手形(写真はレプリカ洞窟ショーヴェ2)(C) Claude Valette

■世界遺産概要

ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟、いわゆるショーヴェ洞窟はフランス南東部のオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アルデシュ県に位置するアルデシュ峡谷に口を開けた洞窟で、オーリニャック文化(紀元前45000~前28000年頃)期に当たる32,000~30,000年前までさかのぼる装飾壁画で知られている。約23,000年前に地滑りによって開口部を封じられ、400点を超える動物画を含む約1,000点のペトログリフ(線刻・石彫)やペトログラフ(岩絵・壁画)は理想的な環境で保存されることとなった。これらは人類最初期の芸術作品として貴重であるだけでなく、初期人類の生活の様子を伝えるものであるのに加え、絶滅したマンモスやホラアナライオン、オーロックス(ウシの一種)、現在ヨーロッパでは見られないサイやヒョウ、ハイエナといった動物が描かれており、当時の環境を伝えるものとして考古学的・古生物学的にきわめて重要なものとなっている。

○資産の歴史

アルデシュ峡谷の周辺は水に溶けやすいカルスト台地(石灰岩などが溶食されてできる台地)で、新生代新第三紀(2,300万~258万年前)の鮮新世(530万~360万年前)の前後に侵食が進んで峡谷や洞窟群が造成された。洞窟群では第四紀(約258万年前~現在)に鍾乳石や石筍・石柱が形成され、現在につながる内部形状が整えられた。峡谷には約20の洞窟が点在しているが、そのひとつがショーヴェ洞窟だ。

ショーヴェ洞窟はアルデシュ川の左岸(北岸)、カルスト台地の頂部から約25m下、標高185〜198mの場所に口を開けており、木の根のように広がる洞窟の総延長は約800mに及ぶ。内部空間は最大で幅59m・高さ17.9mを誇り、面積は約8,500平方m、主に9室のホールからなる。

人類の到達年代は明らかではないが、一説では中期旧石器時代から後期旧石器時代への移行期に当たる40,000年前ほどまでさかのぼり、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス。ホモ・サピエンスの一種でホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとする説もある)によるムスティエ文化(紀元前90000~前35000年頃)の影響も指摘されている。一部の作品をネアンデルタール人によるものと唱える者もいるが、基本的には40,000~30,000年前に入れ替わるように広がったクロマニヨン人(ホモ・サピエンス。亜種名まで入れる場合はホモ・サピエンス・サピエンス)によるものと考えられている。

洞窟の開口部は約23,000年前に起きた地滑りによって4,500立法mの岩や土砂で埋められた(公式サイトは29,000~21,000年前に起きた複数の崩壊の結果としている)。こうして洞内環境は当時からほとんど変化することなく封印された。

1994年12月18日、地質学者で洞窟の専門家ジャン=マリー・ショーヴェとエリエッテ・ブルーネル=デシャン、クリスチャン・イレールらのチームが一帯の洞窟を探索中にショーヴェ洞窟を発見した。一行は洞窟開口部を塞ぐ岩を爆破して進入し、華麗な装飾壁画に驚嘆したという。

同じフランスのラスコー洞窟(世界遺産)では人間の呼気や熱による洞内の環境変化によってカビや地衣類が繁殖し、壁画が急速に劣化した。この事実を知っていたチームは洞窟の非公開を決定し、翌年1月に開口部をドアによって閉鎖した後、この発見を公表した。洞窟名はショーヴェの名にちなんで命名されたが、商標登録に当たってショーヴェ=ポン・ダルク洞窟とショーヴェ洞窟を併用したため両者が混在することとなった。以来、ショーヴェ洞窟は一般公開されておらず、内部の状況と環境はつねにモニタリングされ、訪問者は特別な許可を得た学者や役人などに限られている。

その代わり、2012年からショーヴェ洞窟の2.5kmほど北にショーヴェ2と呼ばれる世界最大級のレプリカ洞窟の建設が開始され、2015年に一般公開された。建設に際してショーヴェ洞窟の寸法や色彩・素材・壁面の細かな立体構造まで詳細な調査が行われ、顔料等ついてもオリジナルと同様の素材を使って製作された。こうして実物とほとんど変わらぬ精度で洞内が再現された。

○資産の内容

ショーヴェ洞窟の発見物の目録には4,000点以上がリストされている。その中に約1,000点のペトログリフやペトログラフが含まれており、動物に関する作品が400点以上を占めている。また、人間の足跡や木炭・フリント(火打石)、動物の足跡や骨といった遺物も発見されている。動物が巣穴・冬眠穴として使用していたことは示唆されているが、生活の跡がないことから人間が住居として使用していたことはないと見られ、宗教や儀式の場であったとする説が唱えられている。

ペトログリフやペトログラフが作成された年代について、大きく2期に分けられると考えられている。最初がオーリニャック文化の時代で、放射性炭素14Cの含有量を調査した放射性炭素年代測定によって32,000~30,000年前の測定結果が出ており、36,000年前までさかのぼる可能性が指摘されている。多くの作品はこの時代のものと考えられている。次がグラヴェット文化(紀元前30000〜前21000年頃)の時代で、やはり放射性炭素年代測定によって27,000~25,000年前という結果が示されている。ただし、年代やオーリニャック文化とグラヴェット文化の定義については諸説あり、異論も唱えられている。

ショーヴェ洞窟で見られる絵画技法として、主に3種が挙げられる。最初期の技法と考えられているのが、フリントや石灰石といった石や指を使って洞窟の壁面を削って描いたペトログリフだ。柔らかい石灰岩の壁面に描かれていることが多く、マンモスやウマ、フクロウなどの絵が発見されている。

続いて赤鉄鉱(ヘマタイト)や、赤鉄鉱と方解石・黄土などを混ぜて作った赤い顔料を使用したペトログラフで、指に顔料を付けてクマやヒョウ、サイといった動物を描いた。また、手に顔料を付けたり、手を置いて上から顔料を吹き付けたステンシル画法で描かれた手形も発見されている。

ショーヴェ洞窟を象徴する絵が木炭を使用したペトログラフだ。基本は木炭を使って黒い輪郭線を描いたが、木炭を水に溶かした顔料で塗ったり、ぼかしを入れることもあった。また、時代を下るとこうした絵にフリントで壁面を削って白い線や面を加えたり、赤鉄鉱の赤い線を追加したり、大小・濃淡によって遠近を表したり(遠近法)、壁の立体面を活かした作品も見られるようになった。

絵には400点以上の動物画が含まれているが、対象となった動物としては、すでに絶滅しているマンモスやオーロックス、ホラアナライオン、ホラアナグマ、ヨーロッパでは見られなくなったサイやヒョウ、ハイエナ、バイソンなどに加え、ヒグマ、オオカミ、ヤマネコ、キツネ、セーブル、ウマ、シカ、アイベックス、トナカイ、フクロウなどが挙げられる(上記にはケブカサイやメガロケロスのように細かな種としては絶滅したものも含まれている)。特に多いのはマンモスやオーロックス、バイソン、ヤマネコ、サイ、クマといった人間にとって危険な大型動物や肉食動物の絵で、動物画の67%を占めている。これらの動物は通常、狩猟対象ではなかったため、多くの絵は狩猟に関係しないものということになる。ホラアナライオンが草食動物を追い回す絵や、愛情表現を行う雌雄のサイの絵、火山噴火から逃れていると見られる動物たちの絵があるように、多くは自然を描写した自然主義的な作品で、目的性のあるものではないともいわれる。

人間は手形を除いてほとんど絵の対象になっていない。例外が、「ショーヴェのヴィーナス」と呼ばれる女性の足と性器の周辺を描いたと見られる作品や、女性の下半身とバイソンの上半身を組み合わせた半人半獣に見える作品だ。

抽象的な絵としては、線や点、なんらかの記号と見られる図形が数多く発見されている。儀式的・宗教的な意味や、抽象表現の可能性も指摘されているが、正確なことはわかっていない。

■構成資産

○ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

本遺産は人類初となる芸術的才能の発露であり、美的品質のきわめて高い人間や動物をモチーフとした1,000点以上の壁画が発見されている。これらは主題と技術の両面においてきわめて多様ですぐれた初期人類の芸術的創造の卓越した表現を示している。色彩の巧みな使用、絵画と彫刻の組み合わせ、表現の解剖学的正確性、立体感や動きを印象付ける技法などによって際立った美的品質を見せている。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

本遺産はオーリニャック期の初期人類の文化的・芸術的伝統と、創造的な人間活動全般に関する発展の様子を独創的できわめて良好に保存された壁画によって証言している。この洞窟は2万年以上にわたって隔絶された環境下にあり、オーリニャック期初期の芸術を、オーリニャック期以降の人類による介入や改変のない状態で比類ない証拠として伝えている。後期旧石器時代初期の痕跡を残す他の洞窟と異なり、この洞窟で発見された考古学的・古生物学的証拠は文化的・儀式的慣習のために洞窟が頻繁に使用されていたことを示している。

■完全性

本遺産の資産は約8,500平方mを誇る洞窟の地下空間全体と、開口部とその周辺、さらに洞窟の上部で構造的関連性を持つ石灰岩台地の全域で構成されている。こうした空間には顕著な普遍的価値を有するすべての要素が含まれており、資産の大きさも適切である。アクセス制限を含む厳格な予防的保全策により、発見当時とほぼ同様の状態で保全されている。こうしたアクセス制限と洞内環境の継続的なモニタリングは、資産の完全性を維持し、人間の影響によって起こる潜在的危機を回避するためにきわめて重要である。

■真正性

資産の真正性は、23,000年ものあいだ封印されていた環境と、発見後は慎重な取り扱いとアクセス制限によって保全された原始の時代を伝える遺跡とその保存状態によって示されている。出土品や壁画の年代は放射性炭素14Cを使用した放射性炭素年代測定によって32,000~30,000年前のものと確認されており、素材・デザイン・絵画技法・工芸品の年代もこの時代までさかのぼる。壁画だけでなく、考古学的・古生物学的価値を示す遺物にも人為的な影響や改変は見られない。唯一の例外は、洞窟にアクセスするためのステンレス製の橋に関する部材で、内部の作品群や発見物には影響を与えず、完全に元の状態に戻せる形で設置されている。

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