13世紀にネーデルラント(現在のオランダ南部、ベルギー北西部、ルクセンブルク、フランス北東部にまたがる地域)で設立されたベギン会は未婚や夫に先立たれた女性たちによる互助組織で、壁で囲われた敷地に集合住宅や教会堂・事務所・診療所・学校・工房・庭などを配して「ベギナージュ(ベギンホフ/ベヘインホフ/ベギネンホフ)」と呼ばれる半ば閉鎖された生活共同体を築いた。神に人生を捧げ、清貧な生活を旨とする点で修道院的ではあったが修道会ではなく、各地のベギナージュが独立して運営を行った。
ネーデルラント南西部、現在のベルギー北西部に当たるフランドル地方では各都市にベギナージュが設立されていたほど活発で、建築をはじめフランドルの文化を反映したものとなった。構成資産はフランドル地方を代表する13か所で、ホーフストラテン、リール、トゥルンハウト、シント=トロイデン(サン=トロン)、トンゲレン(トンヘレン)、デンデルモンデ(テルモンド)、シント=アマンドスベルグ/ヘント(モン=サン=タマンド=レ=ガン)、ディースト、ブルッヘ(ブルージュ)、コルトレイク(コートレイル)のベギナージュ、ヘント(ガン)のプティ・ベギナージュ、メヘレン(マリーヌ)、ルーヴェン(ルーヴァン)のグラン・ベギナージュとなっている。
なお、本遺産はもともと26か所の構成資産を有していたが、ベギン会の伝統をもっとも代表するベギナージュに限定されるべきであるとするICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の提言に従って13か所に縮小された。
また、ブルッヘのベギナージュは世界遺産「ブルッヘ歴史地区」の資産内に位置しており、資産が重複している。重複はしていないものの、多くの構成資産の近くに「ベルギーとフランスの鐘楼群」登録の鐘楼がある。
ベギン会の活動は1200年頃にネーデルラントで自然発生的にはじまったといわれている。当時の女性には家庭に入るか女子修道院に入るしか人生に選択肢はなく、特に未婚や夫に先立たれた女性、身寄りのない女性には行き場がなかった。そうした女性同士の互助組織が成立し、郊外の集合住宅で共同生活を行った。特に市壁の外の川沿いにある病院やハンセン病療養所の近くが選ばれることが多く、看護や介護・肉体労働に従事した。
1230年頃からベギン会としての組織が確立されはじめ、フランドル地方では当局の管理下に置かれて活動が公認された。ベギン会の施設はフランス語でベギナージュ、オランダ語でベギンホフあるいはベヘインホフ、ドイツ語でベギネンホフと呼ばれ、集合住宅や戸建住宅、教会堂・事務所・診療所・学校・工房・庭といった生活に必要な施設をそろえて内部で完結する生活共同体を築いた。そして祈りや食事・仕事などについて独自の規則を作り、ベギン会士の中から「グラン・ダム " Grande Dame"」と呼ばれる代表者を選出して管理した。
生活の中心に教会があり、神に人生を捧げ、生涯を貧しいまま生きたイエスの清貧な生活を範としていたが、修道士に必要な修道誓願を立てていたわけではなく、教皇の承認を得た修道会に所属していたわけでもなかった。ただ、都市を管轄する司教やシトー会、フランシスコ会、ドミニコ会といった修道会の支援を得るなど密な関係を築いており、世俗と修道院の中間的な性格を有していた。また、それぞれのベギナージュは独立しており、ベギン会として堅固な組織を有していたわけでもなかった。規則も厳しいものではなく、むしろ個々人が修道誓願に代わる誓いを立て、自らを律して生きることが求められた。
ベギナージュでは教育や労働訓練なども行っていたため良家の子女が一時的に預けられることもあった。修道院のように個人所有が禁じられていなかったこともあり、裕福な会士が敷地に邸宅を建てることもあった。ただ、個人として自立することが求められていたため、各自で生活費を賄わなければならず、フランドル名産の毛織物工房で働いたり、病院や診療所で寝起きする者も少なくなかった。
ベギン会は女性の組織ということで多くの偏見にさらされた。1312年のウィーン公会議のように反国家的・反教会的であるとして非難を浴びることもあった。しかし、フランドル地方では自治体の支援を得ており、1320年に行われた教皇ヨハネス22世による調査でも好意的に捉えられた(ヨハネス22世は魔女狩りを推進し、フランシスコ会などの修道会にも介入している)。
16~17世紀にかけての宗教改革でネーデルラント北部はカルヴァン派プロテスタントが支配的となり、アムステルダム(世界遺産)やブレダーなど一部を除いてベギナージュは廃止された。フランドル地方は宗教改革を発端とするオランダ独立戦争(1568~1648年、ネーデルラント独立戦争/八十年戦争)でプロテスタントの侵攻を受けて大きな被害を出した。しかし、その反動である対抗宗教改革(反宗教改革。宗教改革に対抗して行われたローマ・カトリック内の宗教改革)の盛り上がりの中でベギン会は再興され、以前にも増して繁栄した。この時代に多くのベギナージュの建物がバロック様式で建て替えられた。
1789年のフランス革命後、1795年にフランドル地方はフランスに併合された。フランスではこの時代に教会の敷地の接収や修道院の廃院が進められたが、この流れで多くのベギナージュが廃止され、一部は病院や療養所・学校・児童養護施設・庁舎といった公共施設に置き換えられた。ただ、地方や都市によってその対応は異なり、修道会や地元の名士に引き継がれたり、活動を続けるベギナージュもあった。
第1次・第2次世界大戦で多くのベギナージュが被害を受けた。戦後は女性の解放が進み、職業も選択できるようになった。こうした社会環境の変化を受けてベギナージュは次第に役割を終え、2012年に最後のベギン会士が亡くなってベギン会は消滅した。
かつてフランドル地方には約80のベギナージュが存在したが、現存するのは約30で、そのうち13が世界遺産に登録されている。
世界遺産の構成資産としてフランドル地方に現存する13か所が選出されている。都市への展開の仕方として、都市の区画に従って建物を配した都市型、広々とした中庭を中心とした中庭型、両者の中間的な混合型の3種がある。また、小ベギナージュを意味するプティ・ベギナージュ、大ベギナージュを意味するグラン・ベギナージュがあるが、これらは規模ではなく、1都市に複数のベギナージュがある場合に区別するために命名された。
「ホーフストラテンのベギナージュ」は1380年頃の創設で、ふたつの中庭を持つ中庭型となっている。17世紀に建設された多くの建物が残されており、バロック様式のシント=ヤン・エヴァンゲリスト教会がランドマークとなっている。1972年に最後のベギン会士が亡くなって活動を停止し、現在は博物館として公開されている。
「リールのベギナージュ」は13世紀初期に活動を開始した最初期のベギナージュのひとつと考えられており、1258年頃に正式に創設された。都市型のベギナージュで、区画整理されたネテ川の畔の街並みに溶け込むように広がっている。中庭のある住宅区画も存在するが、その内外に教会堂をはじめとする多くの建物が立ち並んでいる。16世紀に建てられたコンヴェント(女子修道院という名前の集合住宅)や旧診療所、17世紀に建設されたバロック様式の門やゲートハウス(守衛詰所)、サント=マルグリット教会、タウンハウス(2~4階建ての集合住宅)などはフランドル地方のベギナージュを代表する建築物として知られる。フランス革命で解散したが、個人に買い取られて破壊を免れ、その後ベギン会に復帰した。1920年代にはフランドルの作家フェリックス・ティメルマンスが滞在し、作品に書いたことでベギン会の活動が広く認知され、高い評価を受けた。
「メヘレンのグラン・ベギナージュ」は13世紀半ばに創設された都市型のベギナージュだ。もともとメヘレンには都心にプティ・ベギナージュ、郊外にグラン・ベギナージュがあったが、16世紀の宗教改革で破壊されて放棄された。16世紀末~17世紀初頭にグラン・ベギナージュが現在の場所に移り、街並みに溶け込みながら活動を再開した。バロック様式のシント=アレクシウス=エン=カタリーナ教会は彫刻や絵画をはじめとするバロック美術で非常に名高い。
「トゥルンハウトのベギナージュ」は13世紀の創設と見られ、東西に伸びる細長い中庭を中心とした中庭型となっている。バロック様式のヘイリク・クライス教会やゲートハウス・診療所・集合住宅と保存状態のよい建物が立ち並んでいるほか、ルルドの洞窟は聖域として巡礼地になっている。
「シント=トロイデンのベギナージュ」は1265年頃に創設された中庭型のベギナージュで、現在は公園や競技場となっている広大な緑地と農場を備えていた。これらの敷地も含んでいるため、構成資産の中で圧倒的に大きな物件となっている。充実した診療所を備えており、市民からは療養施設としても知られていた。シント=アグネス教会も13世紀の創建で、ロマネスク様式の影響を残したゴシック様式となっている。
「トンゲレンのベギナージュ」は13世紀はじめの成立と見られる最古級のベギナージュで、都市の区画に合わせながらも石壁に囲まれた都市型となっている。16世紀の宗教改革で攻撃を受けて損傷したが、その後の対抗宗教改革の時代に繁栄し、木造の家屋は石造で建て替えられた。フランス革命後に接収・売却され、壁の多くが撤去されて墓地は庭に変わった。ゴシック様式のシント=カタリーナ教会、バロック様式のシント=ウルズラ礼拝堂のほか、集合住宅や診療所・醸造所などが残されている。
「デンデルモンデのベギナージュ」は三角形の中庭の周囲に集合住宅が立ち並ぶ典型的な中庭型で、1288年頃に病院の近くの湿地に創設された。16世紀の宗教改革で多くが焼失し、17世紀に再建された。中庭に立つシント=アレクシウス教会も17~18世紀に新古典主義様式で再建されたが、第1次世界大戦で被害を受けてゴシック・リバイバル様式で再々建された。
「ヘントのプティ・ベギナージュ」はヘントに設立されていた3か所のベギナージュのひとつで、1234年頃に創設された。都市の一角を占めつつ中庭を持つ混合型で、中庭の片隅に17世紀に建設されたバロック様式のオンゼ=リーヴェ=フラウ・プレゼンタティ教会(聖母顕現教会)とシント=ホーデリーフ礼拝堂が立ち、周囲に地元の建築様式を引き継いだ赤レンガに階段破風のタウンハウスが取り巻いている。フランス革命後に解体の危機を迎えたが、アーレンベルク公エンゲルベルト・アウグストが買い取ることで危機を免れた。第1次世界大戦後に接収され、非営利団体によって保存された。多くの建物は保全されつつ貸し出されており、集合住宅ではペギン会時代と同様に市民が生活を行っている。
「シント=アマンドスベルグ/ヘントのベギナージュ」もヘントの3か所のベギナージュのひとつで、ヘントのプティ・ベギナージュと同時に1234年頃に創設された。プティ・ベギナージュに対してグラン・ベギナージュと呼ばれることもある。いくつもの中庭を持つ都市型で、中央に19世紀に再建されたゴシック・リバイバル様式のシント・エリザベート教会がそびえている。他にもグラン・ダムのための邸宅や診療所・礼拝堂・集合住宅など数多くの建物が立ち並んでいる。こちらもフランス革命後にアーレンベルク公エンゲルベルト・アウグストに救われている。
「ディーストのベギナージュ」は13世紀半ばに創設された都市型のベギナージュで、16世紀に土壁の家々を石造に建て替え、方格設計(碁盤の目状の都市設計)の整然とした街並みに改造された。ランドマークとなっているのは14世紀に建設されたゴシック様式のシント=カタリーナ教会や診療所で、周辺には地元の資材と伝統的な建築様式による17~18世紀の建物が連なっている。
「ルーヴェンのグラン・ベギナージュ」はルーヴェンにあるふたつのベギナージュのひとつで、街の北に位置するプティ・ベギナージュに対し、南に位置してグラン・ベギナージュと呼ばれていた。1234年頃に創設された混合型のベギナージュで、診療所や農場で慈善活動や経済活動を行った。サン=ジャン=バティスト教会(シント=ヤン・ド・ドーパー教会)はフランドルのベギナージュでも最古の建物のひとつで、1305~1444年にゴシック様式で建設された。地元の建築様式を反映した木造・石造の中間的なハーフティンバー(半木骨造)やレンガ造の特徴的な建物が数多く見られる一方で、シント=ニコラス邸などバロック様式の建物や装飾も少なくない。現在は大学の所有で、一部はキャンパスとして使用されている。
「ブルッヘのベギナージュ」は「ブルッヘ歴史地区」として世界遺産リストに登録されている美しい街並みの一角を占めるベギナージュで、1244年頃に創設された。シント=エリザベス教会を東の中心に置き、扇状に広がった中庭を持つ典型的な中庭型で、構成資産の中でもっとも小さいがもっとも美しいベギナージュとして知られている。シント=エリザベス教会の創建も13世紀にさかのぼると見られるが、ゴシック様式の教会堂は16世紀後半に焼失した。1700年頃に外見はゴシック様式、内装は主にバロック様式で再建され、現在の姿となった。他にも15世紀の礼拝堂、17世紀のグラン・ダムの邸宅、18世紀の新古典主義様式の門、19世紀末のゴシック・リバイバル様式のゲートハウスなど特徴的な建物が多い。また、中庭を取り囲む住宅群は地元の資材・建築様式を利用したもので、特に階段破風や三角破風・バロック破風など多彩な破風飾りがユニークで、全体は白く塗装されて庭の林と見事に調和している。1948年にベネディクト会に組み込まれ、女子修道院として活動を行っている。
「コルトレイクのベギナージュ」は1238年にフランドル伯爵夫人ジャンヌ・ド・コンスタンティノープルによって創設された都市型のベギナージュだ。大きな中庭はないが、ブルッヘのベギナージュと同様、白塗りの家並みで知られる。ランドマークは14~15世紀に築かれたゴシック様式のシント=マールテンス教会で、西ファサードに壮大な鐘塔を備えている。
フランドル地方のベギナージュは都市・農村計画の顕著な物理的特性や、フランドル文化圏特有のスタイルを反映した宗教建築と伝統建築の融合を示している。
ベギナージュは中世の北西ヨーロッパにおける独立した宗教関係の女性たちによる文化的伝統の際立った証拠である。
ベギナージュは世俗と修道院の両者の価値を関連付けている中世の特徴的な宗教運動に関連した建造物群の卓越した例である。
構成資産はベギン会の伝統においてもっとも代表的なベギナージュであり、歴史的・建築的発展と保存状態に基づいて選定された。13か所のベギナージュはその多くが第1次・第2次世界大戦で被害を出しているにもかかわらず、本来の機能を引き継いでいる。また、教会堂や礼拝堂、コミュニティや個人の住宅のある通りや広場など、住宅地としての特徴も維持されている。今日、ほとんどのベギナージュはかつてそうであったように都市構造の要素として明確に定義されており、清閑の安息地と考えられている。フランス統治時代に壁が撤去され、閉鎖性を失ったベギナージュも少なくないが、いまだ保持している場所も存在する。資産の範囲は顕著な普遍的価値を構成する特徴をカバーするのに十分だが、多くの構成資産にはバッファー・ゾーンが設定されていない。総じてベギナージュの状態は良好である。
フランドル地方におけるベギン会の活動は終了したが、ほとんどのベギナージュはコミュニティとプライベートが融合したライフスタイルを実現する平和の安息所として求められつづけている。
にぎやかな歴史地区から離れたベギナージュでは基本的な機能として居住性を重視していたため、一般的に表面的な改修は見られるものの、特徴的な構成やシンプルで機能的な建築は保持されている。共同体意識と個性の尊重が絶妙なバランスを保っており、ユートピア的な環境を目指す独特の雰囲気を醸し出している。
一部の教会堂を除いて中世の完全な建築物は残っていない。最初期のベギン会の木造建造物は16~17世紀、特に17世紀に自治体の条例によりレンガ造や石造に建て替えられたが、おおむねオリジナルのレイアウトや範囲を踏襲している。17世紀にはベギン会士の数が増加したため、もともと利用可能だった敷地内にさらに建物が増築された。18世紀になると会士は減少し、一部の建物が取り壊された。19世紀から20世紀にかけていくつかのベギナージュに新しい家屋やビルが増設された。