ドイツ出身のロシア人天文学者フリードリヒ・ゲオルグ・ヴィルヘルム・フォン・シュトゥルーヴェが行った子午線弧(経線の弧)を測るための三角測量の測地点を登録した世界遺産。構成資産は10か国34か所に及び、これらの測地点を結ぶ弧(測地弧)は世界遺産の英語名でもある「シュトゥルーヴェ・ジオデティック・アーチ "Struve Geodetic Arc"」と呼ばれている。
紀元前500年頃から地球球体説が唱えられており、紀元前3世紀にはエジプトのギリシア人エラトステネスが異なる場所の太陽の高度の違いを利用して子午線弧を測定して地球の円周を概算したが、正確なものではなかった。16世紀に三角測量(1辺の長さと2か所の角度から三角形の頂点までの距離を測る方法)が確立され、17世紀に測定機器が発達すると正確な距離の測定が可能になり、各地で国や地域の長さが測定された。この過程で地球が完全な球体ではないことが明らかになった。
1814~15年に開催されたナポレオン戦争後のウィーン会議で各国の国境が再定義され、より詳細な測定が必要になった。地球の測定技術は政治的・軍事的に大きな意味を持つため、ロシア帝国ロマノフ朝の皇帝アレクサンドル1世はシュトゥルーヴェに円周の測定を依頼。シュトゥルーヴェはリトアニアでカール・テナーがすでに測定していた弧を延長し、自身が働いていたドルパット大学(現・タルトゥ大学)のタルトゥ天文台(現・タルトゥ旧天文台)を通る子午線弧を測定することを決定した。ただ、数多くの国境を越えるため各国の合意が必要で、科学技術の発展の名の下に国家・君主・科学者間で合意が進められ、国際協力が実現した。
1816~55年にかけてシュトゥルーヴェは弟子たちとともにノルウェーのハンメルフェスト近郊のフグレネスから黒海沿岸のイスマイル近郊のスタロ・ネクラソフカまで2,820kmにわたる265の測地点を258の三角形で結んで測定を行った。これにより地球の赤道半径を6,378,360.7m(現在の推定値は約6,378,137±1m)と推定するなど正確な地球のサイズと形状が明らかになり、地球科学や地形学に重要なステップを刻んだ。
世界遺産の構成資産は現存する34の測地点で、石やレンガにマークを打ったものや、記念碑を置いた程度のシンプルなものが大半を占めている。
そんな中で1810年創立のタルトゥ旧天文台はシュトゥルーヴェが1813年に赴任した場所であり、こと座のベガまでの距離を測量するなど数々の成果を挙げ、1820年には所長に就任している。シュトゥルーヴェ・ジオデティック・アーチも成果のひとつで、1816年にこの地で1箇所目の測量を行った。
建物としては他にフィンランドのトルニオのアラトルニオ教会がある。バルト海の奥、ボスニア湾最奥部のトルネ川河口付近に位置する新古典主義様式の教会堂で、シュトゥルーヴェは1842年に教会堂の時計塔で測量を行った。
きわめて長距離にわたる子午線弧の画期的な測量であり、世界の正確なサイズと形状を明らかにして地球科学の発展に重要なステップを刻んだ科学的成果を記録する記念碑群である。また、動乱の時代にあって多くの国の協力が実現した人間の価値の交流の並外れた記念碑群でもある。
シュトゥルーヴェ・ジオデティック・アーチは科学技術に関する傑出した建造物群であり、子午線弧の三角測量の測地点を示す測量技術の不動で有形な遺産である。
シュトゥルーヴェ・ジオデティック・アーチの測量とその結果は人間が世界に対して持つ探究心の表れであり、地球の形状と大きさについて回答するものである。地球は正確な球体ではないというアイザック・ニュートンの理論とも一致し、地球科学の歴史に新たなページを切り拓いた。
シュトゥルーヴェ・ジオデティック・アーチに関して顕著な普遍的価値を持つ資産はすべて登録され、法的保護を受けており、バッファー・ゾーンも設定されている。現在でもすべての構成資産は測地基準ネットワークに属しており、機能を保っている。資産の保護は各国が行うが、10か国を統括する調整委員会が管理しており、合意された国際管理メカニズムに従って運営されている。
それぞれの構成資産は現在でも技術的・科学的な特性と重要性を持っており、位置は維持され、記念碑的な建造物以外に大きな変更は加えられていない。